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デミアン|ヘルマン・ヘッセ

運命しか望まない者には、手本も理想もない。

第六章 ヤコブの戦い

挫折するかと思いきやまさかの一気読み。
お父様を信じてよかった(『この闇と光』)。

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。

第五章 鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う

とはいえ、複雑な言い回しで理解に苦しむところがまあ出てくる。
そこで新潮文庫の高橋健二訳を読みながら、光文社古典新訳文庫の酒寄進一訳(Kindle Unlimited ¥0)を辞書的な役割にするという、私史上初の方法をとった。
ざっくりした違いとして、高橋健二訳は抽象的で古典的で直訳っぽい。
酒寄進一訳は具体的で現代的で意訳っぽい。

現代的な訳が最適かというとそういうことでもなく。
理解よりも詩のような響きに打たれたりもする。

おもしろくなって、途中から二冊を交互に読む。
翻訳者に失礼なのかもしれないが、これがなかなか味わい深い。

酒寄氏の訳者あとがきに、訳の違いについての比較説明がなされており、まさかのご本人登場のような衝撃。
例題のシーンは読んでるときに私も酒寄訳に引き込まれたところ。
デーミアンのセリフを「ですます調」に変換するとBLになりますよ、という公式見解もありがとうございます。

原作者の息遣いに同化して、「もし日本語が堪能だったら、原作者はここでどういう文脈でものを考え、どういう文体を選ぶだろう」と想像してみる。翻訳していて、一番楽しい時間だ。

訳者あとがき
光文社古典新訳文庫『デーミアン』酒寄進一・訳

徹頭徹尾、自己との対峙の物語。
祈りの対象に向いているようでその対象は自分の中にいる。
世界の中の自分ではなく自分が世界。
デミアンはタイトルの割に出演回数はすごく少ない。
でもいつも存在を意識する。
自分の中に存在する。

善と悪だけではない向こう側を知りたかったのに、狂おしいほどの内側だった。

私は心の中をのぞき、自分の運命の姿の開いて凝視している目の中を見た。それは知恵に満ちていることも、狂気に満ちていることも、愛あるいは深い悪意を放射していることもありえたが、どっちでも同じことだった。そのいずれを選ぶことも、いずれを欲することも許されなかった。ただ自己を、自己の運命を欲することを許されるだけだった。

第六章 ヤコブの戦い