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ファミリーカーの広告で「家族」という言葉を使わないこと
大手広告代理店(おそらく電通)のクリエイター・笛美さんの著書『ぜんぶ運命だったんかい(おじさん社会と女子の一生)』を読み、広告制作現場の懐かしい既視感に襲われた。
ぼくも10年以上前、その渦中にいた。
本書は、過重労働と男尊女卑社会に疑問を抱き、フェミニズムに目覚める経緯が克明に描かれている。ぼくも当時抱いていた違和感がていねいに言語化されているので、随所で膝を打ちたい気分にとらわれた。
そしてやがて、数年前に自動車メーカーの広告制作に関わったときのことを思い出していた。
車種はミニバンという7人乗りのタイプで、ポスターやカタログ巻頭ページで使用イメージをモデル撮影して見せる構成だった。
この文面を書く仕事を担うにあたり、ああ、これは自分の抱くジェンダー観や家族観に鋭敏にならなくては危ういかもしれないと感じた。
たとえば、不用意に「妻/母/ママ/奥さん」などと記載してもよいものかは慎重を期すし、「家族」という言葉を使うのもいったん控えておこうと思った。
これは消費者からクレームがくるので危ないという意味ではない。むしろそんなクレームはこない。そうではなく、無自覚に家父長制の価値観をなぞってしまうことで、旧弊な因習を助長するエンジンとして加担してしまうことが危ないと感じたのだ。(ひいては依頼主である自動車メーカーの企業姿勢にも、後ろ向きな印象を与えかねない)
「ファミリーカー」とも称されるジャンルなので「家族」という言葉はもちろん禁忌ではないし、少しばかり過剰な自主規制(言葉狩り)かもしれない。しかしどちらかというと、自分で課したこの制約によって新しい表現を探ってみようという前向きな気持ちだった。これは誰に宣言するでもなく、あくまでも密かに自分の胸に決めたトライアルだ。(書き手の自分さえ用心深く使い出さなければ、他のメンバーからあえて当該ワードを使ってほしいなどと言われることもありえないので)
ちなみに、ミニバンのアウトドアシーンを描くとき、デザイナーが用意したイメージボードは、父親と男児が野山で遊び、母親と女児が料理をしているシーンを撮影予定としていた。
ぼくはそのデザイナーとそりが合わなかったので、横目で見ながら「ああ、こういう感度の低い不勉強なデザイナーが、悪気もなく性別分業を固定させるのだな」と観察していたが、打ち合わせでメーカーの担当者から「みんなで共同作業しているシーンに変えてほしい」と真っ当な指摘が入り、無事に修正することになった。
そのとき、「ああ、こういう自分のような他人事感の傍観者が、後ろめたさを感じながらもジェンダー観を固定させるのだな」と反省した。
一応の自己弁護をすると、初めて組んだこのデザイナーは他人の意見を頑として受け入れないので、ぼくは呆れて匙を投げていた。無能なクリエイターにかぎって自分の殻に閉じこもる。それでもクライアントから意見されれば、即座に直すのは微笑ましいほど哀しきサラリーマン根性と言えるのだろう。(組織人の性として「誰に言われるか」が「何を言われるか」より圧倒的に大事なのはどこでも散見されるに違いない)
ぼくは会社員を辞して一人で仕事をするようになって長いので、組織社会の風習から距離を置き、「見ないようにする」ことで問題をシャットアウトできているわけだが、それによって社会全体が前進しているわけではない。(そこは肝に銘じたい)
話を戻そう。
「広告という公共物」の制作には、作り手の無意識がうっかり反映されてしまう。その目線が受け手にも内面化されると、旧来の価値観が再生産されるループを産んでしまう。ぼくはそれを恐れている。
広告表現は「爪痕を残そう」とするほどセンシティブなラインを攻めがちなので、その自覚と意思があるならまだましとも言えるけれど(それで炎上してもきっと本望なのだろう)、問題は無自覚な社会意識が漏れ出してしまうことだ。
そして残念ながら「おじさん社会」の巣窟である広告会社は、何周も遅れているので自浄作用を望みにくい環境にある。能天気に業界の空気に染まっていると、先般のデザイナーのように屈託なく旧態依然のジェンダー観に取りこまれる。グローバルなクライアントサイドのほうがよっぽど意識が高いことが多い。
ぼくはおそらく異端の少数派なので早々に危機感を覚え、そうした場から足を洗ってエスケープしたものの、今も変わらぬ業界の惨状を垣間見せられると、彼らのセンスの鈍麻ぶりに悲愴感と憐憫さえ催してしまう。
ジェンダーギャップ指数が表しているものの正体は、「女性が味わう不条理感の指数」なんじゃないか(P.146)
「女性蔑視」を知ってしまってからは、見え方が変わってきました。もしかして男の人はセクシーとかエロではなくて、「女いじめ」が見たいのかな?(P.152)
そもそも優遇されている男性さえ社畜にさせられ人間扱いされていない国で、女性が人間扱いされるわけがないんだ。(P.156)
女は弱々しくかわいくあれと言われる。愛する男に人生を預ける壮大なギャンブルに賭けろと言われる。そのあとは堅実な良妻賢母になり、途方もなく過酷な育児という長期プロジェクトを主導せよと言われる。なんだろう……キャラ変が激しすぎないだろうか?(P.102)
広告業界話としてもフェミニズム入門書としてもおすすめ