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絵本を、人生に3度。 『大人が絵本に涙するとき』 絵本『モチモチの木』

絵本で子育て、自分育て。
多くの方にお読みいただければ嬉しいです◎

さて昨日、初めて長男にリクエストされた絵本。

モチモチの木。

小学校の教科書に載ってた!という方も多いのでは。

国語の教科書はどういうふうに作られているのか
よく存じておりませんが、
小学校で習ったやつ、絵本でもあるんや!!と思うこと、
しばしばあります。

『スイミー』とか、『スーホの白い馬』とか。
『ちいちゃんのかげおくり』とか。

…いや〜小学校、ちゃんといいお話、教えてくれてるなあ。ありがたし。

国語の中で、素敵な文学作品に、たくさん触れられるようにしていてほしい。
私、そんなに読書家でもないので、余計にそう思います。
特に本好きとかじゃなくても、多くの子どもが、いろんな作品に触れて、感じられるように。

*****

さて、この『モチモチの木』の絵本。
買ったのは、私の学生時代に遡ります。

柳田邦男さんの本を読んだのがきっかけ。
これ↓↓

大人こそ絵本を。
人生に絵本を3度。

を提唱されている柳田さん。

1回目は子どものとき
2回目は子どもを育てるとき
3回目は人生の後半にさしかかったとき。
…だったかな。(3回目の表現がちょっと間違えているかもしれない。意味合いはそれほど外していないはず)

この、3度目のところは、
当時学生の私には全くもって盲点というか、目から鱗というか、
へぇ〜なるほど〜すげ〜!!!
って思い(語彙力のなさ。笑)。

当時認知症が入りかけてた、私のおじいちゃんに、
絵本をプレゼントしよう!!
と買いました。
『モチモチの木』。

なんで『モチモチの木』だったのかは、よく覚えていないけれど。
教科書に載ってたお話で、自分が懐かしくなったからかな。

…結局おじいちゃんは、たいして読んでくれなくて、
認知症がどんどん進んできた頃に、母に返されて私の手元に戻ってきました。

おじいちゃんの珍エピソード(笑)はいろいろあるので、
それはまた、別の機会に。
「忘れる」んじゃなくて「記憶が消える」っていうのはこういうことか!と何度目の当たりにしたことか。
同居じゃなかったので、たまにしか会わないけど、
そして孫なので特に何を世話したわけでもないけど、
おじいちゃんおばあちゃんのお世話というのは本当大変だなあと感じました。(当人はお世話になってるつもりなぞ更々なかっただろう…笑)

今は亡きおじいちゃん。
珍エピソード達(笑)のせいで、おじいちゃんを思い出すときはいつもちょっと笑ってしまうのだけど。

今思うと、絵本はプレゼントするだけじゃなくて、読んであげればよかったなあ。

*****

おじいちゃんの話が長くなってしまいました。
最近思い出すことが減ってたからかな。
…でも、先に忘れたんは、そっちやで。笑
祖父「どこの子で?」
私「さあ〜どこの子やろうな〜。孫やねんけどなあ〜」
祖父「あぁ!ハハハ…」
(笑ってごまかして、しばらく喋っていると私の名前が出てくる。笑 最終的に名前が出てくるだけマシ◎)

で、そのおじいちゃんから譲り受けた(というか私があげたのが返ってきただけだけど)
『モチモチの木』を、
私の息子、つまりおじいちゃんからみる、ひ孫に読んだわけです。

それだけでちょっと感慨深いのですが。

久しぶりに読んでみると(多分親になって初めて)、
やっぱり子どものときに読んだのとは、随分印象が違って。

弱虫豆太の普段の甘えも、
お医者さまを、寒い夜に泣き泣き呼びに行く姿も、
じさまの愛も、
子どものときより一段深く、入ってきたような気がします。

長男は、
「ながいな。」とか言いながら、最初はあっちこっちチョロチョロしていたのに、
結局面白かったようで、もう1回読んで!と言い、
2回目は割と真面目に聞いていました◎

*****

柳田さんのおっしゃる、
人生に絵本を3度。

子どもたちが今1回目。
私が2回目。

1回目と2回目は、確かに全然違う。

3回目になると、またきっと違うのだろう。

子育てのときが1回目でも、
晩年になってからが1回目でも、
それはそれで良し◎
…と私は思っています。

でも、今の段階で1回目と2回目を経験できていること、
良かったなとも思っています。

さて、10年以上前に読んだ柳田さんのご本を、
もう一度読もう。

*****

小さな幸せがあふれる毎日でありますように◎

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