2024年4月、電動車椅子のバッテリーが目視できず、搭乗断る!ピーチ・アビエーション謝罪。
こんにちは、翼祈(たすき)です。
2024年7月30日、障害のある地方議員などで構成された全国組織「障害者の自立と政治参加をすすめるネットワーク」の代表で熊本市議会の村上博議員などは、総務省へ、障害のない議員と比較して、平等に活動できない現状があるとして合理的配慮に基づいた、障害を抱えている議員に対して、必要な対応を取ることを全国の地方議会に周知する様に、担当者に要望書を手渡し、求めました。
要望書では、障害を抱えている議員の活動の現状に関して、「当選した後、合理的配慮を得るまでに多くの労力と時間を自ら割かなければならない状況で、それ以外の議員と平等に活動できる環境を得られず、十分な議員活動ができない」と主張しています。
要望に対し、総務省の担当者は「今後、合理的配慮の件に関してきちんと盛り込み、通知として発令することを考えたいです」と述べた上で、総務省の公式ホームページに議会における合理的配慮の具体例を掲載する方針を伝えました。
村上議員は、「障害を抱えている議員が活動、活躍しづらいというのは、お年寄りや障害を抱えている人にとってまだまだ生活しづらい社会だということと一緒だと考えています。地方議会においても広く理解が進んで頂きたいと思っています」と語りました。
この様に、2024年4月に、障害を抱えている人に対して、合理的配慮を求められる様になってから、少しずつだと思いますが、環境などが変わってきた様に感じます。
この記事では合理的配慮が求められる様になった、直後に起きた、ある社会問題です。
沖縄県にある那覇空港で2024年4月、航空会社のピーチ・アビエーションの航空機は、電動車椅子のバッテリーを目視で確認できないことが理由で、乗客の女性が航空機に搭乗できないトラブルがありました。台湾に向かう女性は電動車椅子を機内に預けられず、搭乗できなかったといいます。
2024年4月16日、国土交通省は、「車椅子のバッテリーの確認は現物を必須とせず、口頭や書類などで足りる」と、再度航空各社に周知したと発表しました。
今回は、電動車椅子の女性が見舞われた、合理的配慮がされなかった社会問題について、考えていきたいと思います。
ピーチ・アビエーションが電動車椅子の女性に怠った、合理的配慮とは?
格安航空会社ピーチ・アビエーションや国土交通省によりますと、2024年4月5日、台湾在住の女性が、利用している電動車椅子のバッテリーの種類や型式、容量などを予め申告した上で、台北行きのピーチ機に搭乗しようとしました。
ピーチ・アビエーションは、乗客の事前申告に加え、安全を確保するため搭乗当日に目視で現物を確認する様に社内で規定しました。
女性の車椅子はバッテリーがカバーに覆われるなどして確認できなかったため、女性に謝罪した上で車椅子の貨物室への預かりを断りました。
電動車椅子を航空輸送する場合、温度や気圧の変化、衝撃・振動で発火や液漏れなどが起きる可能性があるので、航空会社は法令により、電池を確認し、種類に応じた取り扱いが要求されます。
会社側は女性に航空券代を負担して別の航空会社で目的地に向かって貰ったといいます。
参考:電動車椅子の客、「バッテリー目視できない」とピーチ機に乗れず…国交省「現物確認を必須とせず」 読売新聞(2024年)
2024年4月から障害者差別解消法で、障害を抱えている人に対する合理的配慮の提供が民間事業者に義務付けられています。
ピーチ・アビエーションの広報担当者は、「社内規定の案内が不十分でした。バッテリーの確認に関しても、国土交通省からの通知を踏まえ、今後、合理的配慮の観点から対応を検討します」と説明しました。
後日談
この問題を受けて国土交通省は、2024年4月15日に、航空法の基準では必ずしも現物の確認まで求めているのではなく、口頭や書類の申告での確認もできるとして、航空各社に通知しました。
2024年4月16日、斉藤鉄夫国土交通大臣は閣議後記者会見で、
「旅客の案内やバッテリーの確認方法の仕方など、障害者差別解消法の趣旨を踏まえ、障害を抱えている人への合理的配慮の観点から、今回の対応を検証した上で、ピーチ・アビエーションの対応を検証した上で、必要な指導などを行っていきます」
と語りました。
この社会問題は、合理的配慮について模索していた、まだまもない頃のことで、その概念が浸透していない時に発生した、悲しい問題でした。
今、4ヵ月以上が経過して、少しずつ合理的配慮という概念や言葉が、浸透している。
それが義務付けられる直後に起きた問題で、浸透していなかったので、対応できなかったと言ってしまえば簡単ですが、それでもこういう前例ができたことに心が痛み、こんな悲しい話はもう聞きたくないと思いました。
先にnoteに書いた記事で、視覚障害を抱えている人に、合理的配慮を怠った記事を書きました。
こういう記事を観る度に、どうしたらこういうことが起こらずに済むのだろうか?と、記事を気持ちを綴りながらも、同じ障害者として模索する日々です。