信長と茶道具…今とは異なる茶の湯の姿
織田信長さん、歴史の教科書に必ず出てきますね。
今川義元との桶狭間の戦い、鉄砲隊をつかった長篠の戦い、安土城築城、楽市楽座、延暦寺焼き討ち、そして本能寺の変。
中学生の歴史では、これくらい覚えておけば信長関係はクリアでしょうか?
さて、そんな信長さんと茶の湯のお話。
信長さんは「名物狩り」といって、名物茶道具の強制買収や献上を行っています。
そして、それら名物茶道具を活躍した部下に下賜することで、戦などの労をねぎらうのに活用。
例えば、秀吉は毛利氏との戦の功労で、竹の茶杓や中国南宋時代の馬麟筆「雀絵」などを下賜されています。いずれもお茶で使われる道具です。
一方で、同じく信長家臣、滝川一益(たきがわ いちます / かずます)さん。
こちらの方は、武田氏討伐で手柄を立て、その褒章として唐物茄子茶入「珠光小茄子」を切望します。
唐物茄子茶入「珠光小茄子」
唐物:中国で制作されたさまざまな輸入品の総称
茄子茶入:茶入の形態の一種。茶入の全体の形が茄子(ナス)の実に似ていることに由来。茄子といってもよく見る長茄子ではなく、コロンとした丸茄子に似た形状。丸形のやや下膨れで、口造りが細まった茶入。
珠光小茄子:茶の湯の祖、村田珠光ゆかりの小振りな茄子茶入
それに対する信長の答えは「上野一国と信濃二郡を下賜」。
すご~い!国をもらったんだ!よかったね~!!
と現在にいきる私は思うのですが、滝川さんは茶入をもらえず、落胆したと言われています。
たかが茶道具(ごめんなさい)が領地と同様に扱われているのに、驚きますし、さらに領地よりも手のひらに乗るようなお道具が欲しかったよ~というのも私にはさっぱりイメージできません。
とはいうものの、信長から茶道具を下賜されるのは、単に名物といわれる道具が手にできるだけではなく、茶会開催の許可もセットだったようです。
(茶の湯はいまよりもずっと政治的な意味を含んでおり、信長は家臣が勝手に茶会を催すことを禁じていました。いまでいうところの、料亭で密談が行われるように、茶席で政治が動くこともあったようです)
現代の茶道、茶の湯のイメージとだいぶ違いますよね。
お茶室で密談が交わされ、茶道具が国一国の価値を持つ。
そんな時代もありましたというお話でした。
そうそう、岐阜駅前に金ぴかの信長像がありますよ~。
すんごい金ぴかです。
(参考資料:「茶の湯人物案内」八尾嘉男著 淡交社)
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