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with グリーフ⑮「父親の生きた時代」

ごきげんよう🍒アカチェリーナ4世です🤙🏻👈🏻

1章 父親との思い出編
2章 闘病〜死去編
と来た感じで

いよいよ最終章
聖地巡礼編のはじまりです


それではどうぞ



👉🏻👉🏻👉🏻




父親の葬式が済んでから
内地から
父親の親友がお参りに来てくれました


Oさんというその方は
父親が病で寝たきりになってからも
何度も札幌に来る用事がある時に
うちに寄ってくれていました

しかし
弱って前と大きく変わってしまった
夫の姿を見せたくないから
と母親が思い
毎回会わせずに帰ってもらっていました

そんなOさんが来るとなって
母親も気まずかったのかもしれません

訪問の直前になって
急な仕事を理由に
私にOさんの対応を任せると言われたので

私はこの時
Oさんと初めてまともに会話をしました


Oさんが仏壇の父親にお参りをした後に
しばらく話をしました


Oさんは父親の
子供時代からの親友で
青春時代を一緒に過ごしてきた人だったので

思う存分
父親の思い出話ができました

父親は北海道出身なのですが
生まれは『秩父別村』(ちっぷべつ)(現在の秩父別町)
という道北の町で

8歳の時にそこから少し下の
北海道のちょうど真ん中くらいに位置する
『芦別町』(あしべつ)(現在の芦別市)に引越し
そこでOさんと出会い
小・中学、高校と過ごしました


トラジャ☕️のけんじ(本編には関係ない)と地味にご近所だったんだね


なのでOさんと父親の思い出話は
この芦別という町のできごとがほとんどすべてでした

Oさんの話はとても楽しく
父が亡くなって寂しい私は
なんだかんだと質問を投げかけ
1時間近く話しこんでしまいました


このOさんとお話しできたことが
私が父親の聖地巡礼をする
きっかけになることになります


父親の幼少期


Oさんとの話をもとに
私が知ってることや調べたことなども含めて
父親の子供時代についてお話したいと思います



戦後の混乱の時代に
父親は生まれました

広い田畑を持っていた
農家だった父親の父親
(じいさん。ちなみにひなさんの子供だお)

うちの先祖は元々
石川県に土地を与えられた
下級武士だったのですが

なんかヘマしたらしく
幕府に追われる身となり

小さな小船で命からがら
妻と子供を連れて
北海道に亡命したんだそうです
(母親がマルチ商法などにハマっていた時
先祖のルーツ調べる専門の人に調べてもらって分かったの)

小さな小船での長旅は
本当に命懸けだったらしく
連れて行った子供は途中で亡くなったそうです

そして秩父別に住み着いて
農家となりました

じいさんで農家3代目になります
(父親が継がなかったから
今は土地なんかも全部ないです)

じいさんは秩父別から
当時都市として周辺で一番栄えていた
芦別に移り住むことにしました
なして移り住もうと思ったのかは不明ですが…



芦別市(当時は町)は
北海道有数の炭鉱の町として発展しており

炭鉱長屋と呼ばれる長屋に
たくさんの人が住んでました

ファミリータイプ。中は2階建になってるのが多かったっぽい。今で言うメゾネット


Oさんも長屋に住んでいたそうですが
父親の家は農家だったため
一軒家だったそうです


北海道の道央周辺は
『炭鉱の町』として
広範囲に栄え

戦前から日本の主な貿易品として
石炭は需要が高く

戦争が始まるとなおのこと
国がお金や物資を手に入れるために
石炭を掘って掘って掘りまくるように
なったそうです

石炭を掘るという仕事があるから
内地から人が集まってきて
今よりもずっと賑わっていたそうです

そして
石炭を色んな土地に運ぶため
鉄道網が発達していたそうです
(今では廃駅になったところもかなりある)


そんな石炭に支えられた町は

戦後
石炭より石油の方が
需要が高くなってきたことにより

父親が生まれ育ったこの時代
芦別の炭鉱でも大規模なリストラが
されるようになり

仕事のなくなった人々が
少しずつ芦別を去り始める
きっかけになった時代でした

父親は丁度
芦別に一番活気があった
時代にいたことになります


父の家は
駅にほど近い場所に
あったようです

秩父別にいた時とは違い
農地も小さくて
ちょっと窮屈で不便だったらしく

父親が高校卒業後の就職で
札幌へ出た後には
また秩父別に戻ったそうです


当時は家父長制が主流で
『長男』というだけで
その家で一番大切にされたんだって

父親は5人兄弟の長男として生まれて
ゆったりと大切に育てられたみたいです
両親に怒られたことないって言ってたし


8歳で引っ越してきて
ご近所さんだった同い年のOさんと
よく一緒に遊ぶようになりました

Oさんにとって
父親は憧れで
いつも一歩先にいる人だったと
おっしゃってました

中学生のある日
何を思い立ったか
急に父親は豆腐売りのアルバイトを始め

ラッパを吹きながら自転車で
豆腐を各家に売って歩いていたそうです
(サザエさんでしか見たことないんだが)

買ってみたい❗️


おもしろそうだったので
Oさんも真似して豆腐売りをはじめたら
その頃には父親はもう違うもの(牛乳だっけな)を売っていたそうです

興味があったんでしょうね
多分ラッパ吹いてみたかったんじゃないかな笑

(親父と性格が似てると仮定すると
私も興味あるものにすぐ飛びつくタイプだから…気持ちわからんくもない笑)



いつもそうやって先を行っていたなぁと
Oさんは懐古していました





*********巻末CM**********
豆腐売り現代にまじで来てほしい
アカチェリーナ4世ですが

真面目な面もあってですね
普段はシンガーソングライターとして
『辛い気持ちを口にだして伝えていくことで
皆で自分の辛い気持ちを言えるようになろう』と
いうメッセージを発信しています

公式HPにたくさん自分の気持ちを載せているので
見に行ってみよう

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