3/21。本当は、死にたくない君へ。
5:30起床。
天気は晴れ。
*
……。
……。
……。
「泡になるよ」
まだ、
まだ、
もう少しだけ、
底に沈んでいたいよ。
……。
……。
……。
「泡になるよ」
もう少しだけ、
もう少しだけ、
でも、
もう、
いいかな。
さあ、
水面へ。
*
ワニ、死んだ。
きくちゆうきさん(@yuukikikuchi)の「100日後に死ぬワニ」が、昨日100日目を迎えた。100日目が更新された同時刻、僕は謎の腹痛に悩まされていた。僕も、死ぬのかな。ワニくんに感化されて、そんなことを思った。
その内、「死ぬのかな」は、「死にたい、死にたい」になった。体が弱っていると、いつもそうだ。自分に失望し、将来に絶望し、いっそのこと、それらを断ってしまいたくなる。(体調が回復すれば、そんな思いは無くなってしまうんだけど。)
ワニくん。彼は、難病だったとか、そういうのじゃない。健康そのものだった。けれど、100日目に死ぬことは決まっていた。だから、その100日目には、不慮の事故が必要だった。今がどれだけ幸せでも、どんなに不幸でも、もしかしたら明日には――10秒後には、その命は無くなっているかもしれないんだ。それを思うと、僕は急に、命が惜しくなった。
僕は、何度も何度も吐きそうになりながら、「死にたくない、死にたくない」と思った。ついさっきまで、「死にたい、死にたい」と思っていたくせに。生死への執着っていうのは、簡単に反転されるものなんだな。……僕だけかもしれないけど。
いつのまにか、気を失っていたらしい。気付いたときには、もう0時を回っていて、パートナーもうちに帰っていた。まだ、意識は朦朧としていた。僕は、パートナーの頭をわしゃわしゃした。ああ、ちゃんと居る。ちゃんと生きてる……。
朝起きると、体調はすっかり良くなっていたけど、「死にたい」も「死にたくない」も、腹の底にこびりついているみたいだった。削ぎ落としてしまいたいけど、うっかり「死にたくない」の方を削いじゃったら、後が困るな……。まあ、いいか。このままでも。
「死にたい」と「死にたくない」の往復は、今回で何回目になるのか、わからない。ただ一つわかるのは、これからも、往復することになるだろうってことだ。「死にたい」の前で立ち止まったときが、僕の最期だろう。
でも今は、「死にたい」でも「死にたくない」でもない――「生きたい」の前に、僕はいるから。……100日後も生きていられるように、「生きたい」にしがみついていよう。
*
「僕だけが、鳴いている」
これは、僕とドッペルさんの話。もしくは、何か(を生む/が死ぬ)話。
連載中。