孤独の分け前(『虎に嚙まれて』『カルメン』『B・Fとわたし』/ルシア・ベルリン)

ミルクティーは甘いものだと思っていた。そのとき提供されたものはまったく甘くなく、とはいえ苦くもなく、幸せな夢がふいに途切れたような、そんな味。甘くしたいなら砂糖を追加すればいい話だが、そのときのぼくは、今から読もうとしているルシア・ベルリンの短編に丁度いいと思った。


ほんのわずかな慰めを得るためなら、人はどんなことでもするだろう。

――『虎に嚙まれて』より引用

群像の6月号に、『掃除婦のための手引き書』に未収録の三篇が掲載されていた。


『虎に嚙まれて』
『カルメン』
『B・Fとわたし』



最初に収録されていた『虎に嚙まれて』を開いたときから、予感が頁に触れている指先を伝い、じりじりとぼくを侵食した。その予感は身に覚えがあるもので、たぶん現在進行形で抱えているもので、普段はあまり意識したくないものだ。けれど、これらの物語は否応なしにソレと向き合わせるのだった。誰かと分け合うことも、切り売りすることもできない「孤独」と。

「これが自宅の電話番号ですか? ご主人に電話しましょうか?」
「いいえ」わたしは言った。「家には誰もいません」

――『カルメン』より引用

『虎に嚙まれて』も『カルメン』も、どちらの「彼女」達(と、ぼくは主人公達を呼ぶことにする)にも家族も友人もいる。けれど、「彼女」達の孤独の救いになっているのかは、わからない。「彼女」達を心から思い、気遣ってくれる友人でさえ。「彼女」達は誰かと寄り添っていても、一人取り残されている。孤独は「彼女」達を隔離している。孤独であることを自覚させるために。物語の結末の先で、ぼくは途方に暮れる「彼女」達を見た気がした。

あんたのその酸素、ちょっと吸わせてくれないかと彼は言った。あなたもボンベにしなさいよ、とわたしが言うと、でも煙草を吸ったら爆発しそうだよな、と彼は言った。

――『B・Fとわたし』より引用

けれど、三篇目の『B・Fとわたし』で希望が見えた気がした。前二篇の「彼女」達は妙齢の女性だが、この物語の「彼女」は老齢で、「彼女」が出会った彼もまた老齢だった。ただ年を重ねただけではない、幾重の孤独を味わったがゆえの、ユーモア溢れるやりとりをくり広げていた。絶望の最中で物語を閉じた「彼女」達も、『B・Fとわたし』の「彼女」のように、孤独を経験したことで得られる安らぎを、獲得するんじゃないか。そんな希望を残してくれた。





三篇を読み終えても、ミルクティーは半分以上残っていた。読むのに集中しすぎたのか、それとも。孤独にさんざんいたぶられた記憶。「彼女」達と自分が重なって。ぼくは、残りのミルクティーを一気に飲み干した。

5/12更新

『虎に嚙まれて』『カルメン』『B・Fとわたし』(『群像2021年6月号』収録) - ルシア・ベルリン(翻訳:岸本 佐知子)

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