3/25。世界はそれを“愛”と呼ぶんだぜ。
5:30起床。
天気は晴れ。
*
……。
……。
……。
「こわい、こわい」
泣かないで。
泣かないで。
こんなことばに、意味なんてあるのかな。
……。
……。
……。
「こわい、こわい」
世界は、こわいもので溢れているから。
それは、どうしようもないことだから。
だから、一緒にいれば、大丈夫だよ。
*
「君が死んじゃったら、どうしよう」
そういったのは、僕だったっけ。パートナーだったっけ。どっちもいいそうだから、忘れちゃったな。昨日のことなのに。
「君が死んじゃったら、僕も死んじゃうかも」
ああ、そうだ。これをいったのは、僕だ。じゃあ、さっきいったのは、パートナーだな。何で、こんな話になったんだっけ。なんちゃらウイルスについて、話していたのかな。
「でも、僕が死んでも、君には生きていてほしいな」
これをいったのも、僕だったな。パートナーがいなくなったら、自分もいなくなりたいくせに、自分がいなくなっても、パートナーにはそうならないでほしい、なんて。わがままだな。でも、僕がいてもいなくても、パートナーには笑っていてほしいな。……いや、それは強がりかな。できれば、パートナーには、僕のそばで笑っていてほしい。
世界は、どうなっちゃうんだろうね。最近、パートナーとそんなことをよく話す。もちろん、なんちゃらウイルスのせいで。僕らが住んでいる地域では、まだ感染者は確認されていないけど、時間の問題だと思っている。どうなっちゃうんだろうね、この世界は……。
でも。僕は思う。なんちゃらウイルスがあってもなくても、人は死ぬときには死ぬ。なんちゃらウイルスは、そのきっかけにすぎない。
なんちゃらウイルスで死んでも、インフルエンザで死んでも、交通事故で死んでも――それは等しく死なんだ。僕もパートナーも、次の瞬間には死んでいるかもしれない。それは、充分にあり得ることなんだ。だからこそ、パートナーがそばにいる一瞬一瞬が、とてもいとおしい。
「君が死んじゃったら、どうしよう」
それを訊かれたのは昨日だけど、それより前にも訊かれた気がするな。いや、そのとき訊いたのは、僕だっけ? それこそ、もう思い出せないけど。
「君が死んじゃったら、僕も死んじゃうかも」
きっと僕は、何度訊かれても、同じことばをくり返すだろう。
「だから、一緒に生きようよ」
今日も、君のそばにいたいから。今日も、君に生きていてほしいから。そのためなら、何だってできる気がするよ。……これを愛というのなら、僕は君を愛してるよ。
*
「僕だけが、鳴いている」
これは、僕とドッペルさんの話。もしくは、何か(を生む/が死ぬ)話。
連載中。