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希死念慮や死生観について考える
もう10年くらい前から死生観について
とても興味があった。
祖父が死んだ時から、ぼんやりずっとそういう事について、いつかしっかり考えたいと思っていた。
だけど、「死ぬということ」「死にたい気持ち」「死そのもの」について、追及するのが怖くて、ずっと避けてきたように思う。
これからの人生、もしかしたら死ともっと密接な関係になるかもしれない。
両親だっていつまで元気かわからないし、仮にわたしが出産することになったらそれこそ命懸けだし、確実に今までよりもこれからの方が人の死に直面する。
普通に生きていても、急に結構本気で死にたくなるかもしれない。
「死」という、正体が掴めないものや得体の知れないものは、いくつになっても怖い。
だから、お守りになる自分の考え方がほしい。
そういうわけで、手始めに3冊本を買った。
読んで自分の中で咀嚼できたらnoteにするかもしれません。
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宗教チックだからこういう類の本も買ったことはなかったけど、自分の考えのヒントになるといい。そもそも人間なんて何かしらの思想があって、それが何かしらの宗派に繋がっているのだ。
先人の概念に対する教えって、全然今でも生っぽく心に響くことだってある。
どちらかというと、自分自身心の健康は壊しがちな側の人間な気がする。本気かどうかはさておき。
軽い感じで「もうむりー」くらいに考える時もあれば、わりと本気で車のアクセルを思いっきり踏もうとしてしまうこともある。
「もう無理・辛い」が溜まると、もう全部どうでもいい〜となるタイプで、全部白紙にして空っぽにして終わらせたい、と思ってしまう癖がある。
別に「もういい」と思った時、全部諦めて適当に生きればいいだけなのに。
現世を真面目に生きすぎな気がする。でもこれはあくまでそれぞれの個性。別に悪いことじゃないと思っている。
全部無くして適当になる、捨てる、忘れる、そういう事が苦手なのだ。
苦手だからと言って、別に死にたくならなくてもいいのにね。極端!
あとは別に、たいして現世に未練がないのかもしれない。終わったらそれまでだしな、みたいに考えているフシがある。
残された人のことや、大切な人たちのことはやっぱり変わらず大切だし、辛い思いをしてほしくないけど、それと自分のことは別というか何というか。...薄情ってこと??
こういう人間だって、恋愛するし結婚するし、子供が欲しいかもな〜とか考えたりもする。
未来のことを考えるし、別に普通で何も変わらない。
死について1番気になることは、死んだらどうなるんだろう?という純粋な疑問ではなくて、
「今をしっかり生きるために、死ぬということをよく知りたい」という興味だ。
あとはそれを知ることで、人が死んでしまった時の残された側の考え方というか、心づもりができるようにしておきたいと言うのもある。
こう書くと、全然しぶとく生きるつもりじゃん!となるのだけど、生に執着みたいなものはあまりない。ただどうせ今生きているなら(死ねないなら)、それはそれで良いものにしたい、と言う思いがある。
今、「死の講義」から読み始めているのだけど、
「存在する、在るということ」についての前提認識の共通確認から解かれている。
もう、考え方そのものが分かりやすすぎて、読み進めるのが楽しみです。
これを読んだら、命だけじゃなくて自分の価値とか、これから生まれるものに対しての考え方とか、変わるだろうか。
希死念慮も、ある人ない人が存在して、それって一体何なのだろうね。
同じように自分の意思なくみんな生まれたのに、そこからの生き方や環境で「生死」に対しての執着度や考えがバラバラで不思議。
また感想書くかも!