思考の整理学|考えをうまく取り出すには|読書メモ
「思考の整理学」
外山滋比古(著)
先生と教科書に引っ張ってもらうグライダー型ではなく、エンジンを積んで自分の頭で考え、自力で飛びまわれる飛行機型の人間こそ、これからの時代には必要なんじゃないかな。
★自己整理のため書き出してみました。
|はじめに
おそらく思考の整理においては、そのほとんどを何となくの流れに任せているひとが多いのではなかろうか。つまりいつのまにか我流で、自然にある型のようなものができ上がっている状態をいう。少なくとも私自身はそうだった。ただ、その人の発想というのは、皮肉にもこの型によって規制され得る。そんな時、もしこの本を読み「ほかの型」を知ったのなら、既存の型を壊すキッカケとなるかもしれない。そして、何かを生み出すスパンを縮めることができるかもしれない。その指針となり得る本。
|本との出会い
著者である外山先生を知ったのは、今から3年前。とある雑誌の記事「カントを読んでわかるのもいいけど、大根を刻むのも知らなくちゃ困るよ」と題して、生活のプロセスから学ぶことの大切さを書いたものだった。その独特の言い回しや世界観に一瞬で心を奪われた。そこには、そういうことか!という発見と、そうそう!という曖昧な思考さえも言語化されていく爽快感とがあり、その衝撃も大きいものだった。芸術性と豊かさを顕著に感じ、感動を生んだ。ただ、ここまでの体感を得たにも関わらず、この時はそれ以上発展することなく終わった。
数年の月日が流れたある日、本屋で運命の再会が訪れる。1冊の本が目に飛び込んできたのだ。視力が悪いにも関わらず(笑)
「思考の整理学、外山滋比古…?外山、、、あっ!そういえば、コレは!」
そう、この外山先生の本だった。一気に記憶と感情が押し寄せる。あれから一定の年月が経っているにもかかわらず、こんなにも鮮明に思い出せることが何とも不思議だった。そうそう、先生のこの表現、この世界観、これが好きなんだよ。どうしてこんなにも長い間思い出さなかったんだろう。巻き戻したくなるほどの気持ちすら浮かんだほどだった。
かくいう感動的な再会を果たしたわけだが、読み終わるのには結構時間がかかってしまった。読んでは味わい、いちいち反応ばかりしていたのもあるかもしれない。あるいは、あまりの濃厚さに半分埋もれてしまっていたのかもしれない(笑)
とにかく運命の出会いだったのではと思わざるを得ないのだった。
|本の中身
この本は一言でいえば、自分の頭で考え、それをたんなる思い付きで終わらせず、高度な思考へと導くための学術エッセイ。外山先生は、学ぶ、考えるについて生涯にわたり思考を続け、自分の経験から導き出した体感的な答えを言語化している方であるが、その無数の試行錯誤において生み出されたノウハウに近いところがまとめてある。その中心となるのは、思考をメタ化(高次の抽象化)させるそのプロセスについて具体的に書いてある点。ノートを活用した方法まで網羅されている。
もう一つ特徴的だと感じたのは、全体的に包括性に富んだ構成である点。これは実践において重要なポイントとなる。
たとえば、思考の整理とは、古典的で不動の考えを早くつくり上げること、というのが一つにある。それには忘却がもっとも有効であると説くが、闇雲に忘れることにはなく相応の方法があるのだ。だから、それまでも具体的に記してある。さらには、別の観点である新しい思考の生み出し方もセットで記してある。この繋がりと具体性が豊富であるのは、試行錯誤の果て、であると感じずにはいられない。あとがきで、いわゆるハウツウものにならないようにしたつもりと記してあるが、私はそれに近いものがあると感じた。新たな思考整理への扉を開いてもらったし、行動イメージも湧いたのだから。
|本の感想
なんていうかこう、核心をつくようでそうではないところからジワジワと攻めてくる点が面白かった。考える余白を与えてもらった感覚。一方で、端的に書いてあり捉えやすかった。その2つの方向からのアプローチがあることで、楽しみながら理解を深められた気がする。
また、体感から頷きたくなることが大きく2つあった。
1つ目は、「調子にのってしゃべっていると、自分でもびっくりするようなことが口をついて出てくる。やはり声は考える力を持っている。しゃべって、しゃべりながら、声にも考えさせるようにしなければならない」の部分。
この辺は体感として持っているが故に、深く共感した。自分で話しながらも、口から出た言葉にびっくりする体験はこれまでに何度もしてきた。それを「声にも考えさせる」と表現してあるところが独創的でハッとさせられたし、この行為そのものの価値を捉え直すことができた。声に出してみると、頭が違った働きをするのかもしれない、洗練されるとある。なるほど。これからはもっとこの機能を頼りにしていこうと思う。
2つ目は、「頭の中は立体的な世界になっているらしい。あちらにもこちらにもたくさんのことが同時に自己主張してくる。」 対して、「書くのは線上である。一時にはひとつの線しか引くことができない。」の部分。
これは、普段、私自身が言葉にしていることに似ている。報告書などの書面を作る時、現実が立体的であればあるほどに、書面に落とし込むのに生みの苦しみを経験するというもの。壮大すぎて混乱するのだ。
ここにもあるが、書く作業は、立体的な考えを線上のことばの上にのせることとある。その点に奥の方からの納得が走った。たとえば、AとBが同時に存在すると捉えたとしても、AとBを同時に表現することは不可能。その上で、いかに立体的なものと線上のものを近づけ再現するか。これは毎度試されることでもあったので、参考にしながらブラッシュアップを図りたい。
|さいごに
あとがきより。「考えるのは面倒なことと思っている人が多いが、見方によってはこれほど、ぜいたくな楽しみはないのかもしれない。」
分かる、分かる。五感を働かせて味わい香れば、豊潤な世界が広がっているのだ、考えるとは。それが贅沢な営みであることに気づいた時、新たな一面が開花するかもしれない。
刊行から34年。いまだ褪せることのない恵みが広がり、一語一句余すことなく味わいたくなる良書。これまで読書会というものにあまり興味を持ったことはなかったが、もしこの本を読んだことのある人がいたら読書会をしてみたい。もっと広い目で深く理解できたらと思うから。
決して回し者ではありませんが、この本を読まないのは損かもしれません(笑)それも、人生のなるべく早いうちにぜひ。
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