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最大の勝負の1年。後悔はないと思える、魂を燃やす1年にしたい。そして、学ぶ・感じるを大切にできる1年にしたい(2025年新春note記事)。【社会貢献】【エッセイ】【バスケ】【Bリーグ】【野球】
2025年、自分自身の目標として、「『後悔はない』と思える、『魂を燃やす』1年」にしたい。
そして、「1つでも多くのことを『学ぶ』『感じる』を大切にし続ける1年」に、「『初心』『原点』を心掛け続ける1年」にしたい。
2025年、新春の1回目のnote記事。
いわゆる「新春note記事」の執筆は、「2年ぶり2回目」になります。
(自分のnote開設日は「2022年2月1日」。ですので、あと1か月で「3年」になります。)
2023年は、「河村勇輝」を中心に執筆しました。ですけど、2024年(昨年)は、新春note記事の執筆ができませんでした。
そう、元日の「能登半島地震」で、「揺れが怖い」(自分は、小学4年生での「阪神・淡路大震災」の被災経験の影響で、少しの揺れでも極端に心身が反応する「フラッシュバック」持ちです)で、心のリズムが完全に乱れてしまったと。これに加えて、この翌日(1月2日)の「羽田空港の、JAL[日本航空]機などの事故」で、リズムの乱れがより悪化したと。
2025年を、自分的にどのような年にしたいかの目標のことは、書き進める過程で綴っていく感じになります。
ですけど、昨年に新春note記事を執筆できなかったことは、「自分自身に対して、正直とても悔しかった」。
自分が大切にしていることの1つに「後悔したくない」があります。
で、いま、「2025年1月」。社会的・世間的には「新年」「年末年始」です。勿論これは、頭ではわかってますし、スポーツ好きの自分としては、
「富士山女子駅伝」(12月30日)、「ニューイヤー駅伝」(1月1日)、「箱根駅伝」(1月2日・1月3日)。
この3つは、日程が完全固定ですので、「ああ、年末年始だな」と、はっきりとわかるのです。
それに、いまの自分は、(「社会貢献への想い・意識」「社会をよりよくできる一助でありたい」と共に)「バスケットボール」が最大の軸になっている訳ですけど、そう、高校バスケの最大の大会である「ウインターカップ」。
自分自身、2019年のウインターカップでの感動(河村勇輝、林真帆)が、いまの自分自身の大きな転機・きっかけになってますけど、いまやこのウインターカップは、「高校野球の『夏の選手権大会』の、バスケ版」の地位を完全に確立できてると共に、「日本の『年末の代名詞・風物詩』」として、定着してきた感じがあります。
社会的には「年末年始」である。この実感が、全くない訳ではないです。
ですけど、自分の中では、「最大の勝負の1年」の最中であること。
そう、今季である「2024-2025シーズン」、つまり「2024年の夏~2025年の5月が、最大の勝負のとき」であると。
https://note.com/wrap_up/annual_2024/15a3e88e-8acc-4525-acd8-34aa053dead1
(←なぜか、リンク添付の埋め込みがうまくいってませんが、これ、自分のnoteの「2024年の記録」です。
1位が「渡邊雄太(有料記事)」、2位が「富永」、3位が「京都、半澤の退団発表にあたっての緊急執筆」です。
いずれも「バスケ関係」。特に選手編成的なことは、自分の最大の得意分野ですし、「渡邊雄太」「富永」、いわゆる「ビッグネームの選手」を取り上げる効果は、想像以上に大きいんだなあ…と実感です。
↓
もどかしいのは、いままでは、「球団側に聞こえて欲しい」の意図をも込めてで、意識的に無料記事にしてる[有料にして、球団側に聞こえない形にする方が、かえってリスクになると]のが多くありましたけど[というか、有料記事は昨年から導入を始めてますが、現時点で「4本」です]、今年からは、正直にぶっちゃけますと、「生きていくために」、「有料記事の本数を、増やしていかざるを得ない」[「社会貢献」のテーマの記事とかは、もちろん無料にするイメージですが。でも、スポーツ系統の記事は、有料記事の本数・比率を増やしていかざるを得ないだろうなあ…と]、そう感じてます。「有料記事を、どう徐々に増やすのか」も、「2025年[今年]の自分の課題の大きな1つ」になるだろうなあ…と。)
この、いまリンク添付をさせて頂いた、「2024年のラスト記事」である「島根vs京都、生観戦日記」、これが「自分史上で最大の文章量のnote記事」になり、そして「想像以上に執筆時間を要した」になってます。
ああ、今回の「2025年の新春note記事」、当初の執筆構想時間よりも、とても限られた時間になる。これを意識しよう。
そう、「2025年、自分にとって、どのような年にしたいのか」。
いま置かれている立場も意識しながら、綴らせて頂きます。
【自分(愛球人)に関係してくる、2025年の日程。】
1月~5月4日 (今季の)Bリーグ、RS(レギュラーシーズン)
(CSファイナルは、5月24日~[最大で]5月27日。会場は「横浜アリーナ」。
個人的には、「関東圏ばかり、いい思いをしやがって」と、特に昨季はとても批判されてた)
1月17日 「阪神・淡路大震災」から30年(の当日)
(「2年に1回程度のペース」で、当日に神戸に足を運んできた。
今年は特にできればと思ってる。自分自身にとって「最大の心の原点」であり、「神戸の新アリーナの開業を2か月半後に控える」でもあるので。)
4月5日 「GLION ARENA KOBE」(神戸の新アリーナ)開業
(この「2025年」で、特にとても楽しみにしていること。
より現実的には、3,4試合目の「4月20日、4月21日」での生観戦になりそうだが。)
4月13日~10月13日 大阪・関西万博(会場は夢洲)
(期間中、1回は正直参加したい。尤も現実的には、恐らく6月以降だが。
でも「2005年、愛知万博」での感動を経験してるから、1回は参加したい、そこから学べることがあるだろうからと。)
2025年、社会的なキーワードでいえば、自分に関係する感じでだと
(1)「阪神・淡路大震災から30年」
(自分のnoteでは何回も言及のように、「永遠に特別な、心の原点」。)
(2)「戦後・原爆投下から80年」
(1人の人間として、「防災」と共に大きなキーフレーズ。特に昨年は、「日本被団協」「高校生平和大使」が話題になったこともあり、いままで以上に改めて強く「平和」に向き合う・問い直す想いが強い。
それと個人的には、あの「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」の「魂の叫び」は、社会全体で耳を傾ける感じであって欲しい、あの少年少女の存在は「社会の希望」であると感じてるんですよね。)
(3)「7月、参議院選挙」
(政治学を学んだ自分にとって、選挙は「社会を問い直す」貴重な機会と感じてる。ワンチャンで「衆参同日選挙」の可能性も囁かれるが、もしそうなったら「どうぞ、そうなるならばそれで完全決着をつけよう」が正直な想い。尤も現実的にはそこまではならないと読むが。)
(4)「4月、神戸の新アリーナ」
(先述のように、1人の人間として、特にとても楽しみにしてること!)
(5)「4月~10月、大阪・関西万博」
(時間や資金との兼ね合いではあるが、1回、できれば複数回の参加機会を持てるとより嬉しい。反対・慎重意見も理解はできるが、開催することでの「学び・気付き」は恐らくきっとあると想像の感じだが。)
主として、上述の5つです。「今季のBリーグ、自分自身にとって、最大の勝負の1年」と、ずっと公言し続けてますけど、これは
「新B1(Bプレミア)が2年後(2026年秋)からであることを踏まえると、現行制度でこれほどの生観戦の機会を見込めるのは、今季を逃すと恐らくもうないだろうから。」
理由は他にもありますけど、主としては上述のことが大きい訳です。
そう、来季(2025-2026シーズン)は、これは「資金的なこと」もありますが、特に「時間的なこと」の意味で、来季は生観戦の試合数が、恐らく大幅に減る(減らす)ことになる可能性がとても高い、と思ってます。
理由は主に3つです。
(1)(まだタイミングではないので多くはいえないが)「ある勉強に取り組むために、その時間が必要であるから」。ただ、今季のBリーグを終えた直後に着手開始になるので、新B1開幕(2026年秋)に間に合うのか、「蓋を開けないとわからない」ではあるが。
(2)「Liella!」(ラブライブ!スーパースター!!)の劇場版。テレビアニメのシーズン3(2024年の10月クール、NHKEテレ、全12話)が「きれいさっぱりな終わり方」であったけど、いままでの傾向からすれば、「映画がないはずがない」(理由?いわゆる「これはビジネスでもあるから」と)。
かつて(μ’s、Aqours)のときのように、がっつりとできる体力や喉は、恐らくもう無理だけど、Liellaの映画、いつの実現になろうとも、応援上映がまず確実に叶うと読むので、そのときは「後悔のないように、楽しみたい」と強く思ってるから。
(3)2年近く後の「2026年秋」から「新B1(Bプレミア)」とわかっている。そう考えると、少しでも多くの「資金」「体力」を確保したい。
特に「新アリーナ」仕様になると、いままでよりも「1試合あたりの生観戦の資金」は、ほぼ確実に上昇が予想される。
(既に「群馬、長崎、横浜BC」は「新アリーナ仕様」で「1試合あたりの値段」が、やはり明確に上昇傾向になってる。)
そうなると、新B1になってからは、(年間の予算が同じと仮定でも)生観戦の可能試合数が単純に減少傾向になるので、これをも踏まえると、今季の意味合いがより上昇するから。
(それとシンプルに、いわゆる「ハイパーインフレ」で今季が想像以上の出費になってるので、いまのペースだと来季は単純に予算を圧縮しないと、新B1を迎えられないリスクがあるからも、正直あります。)
「ある勉強」のことは、話せるタイミングが来たときに改めて話せればの感じですが、実は、当初は昨年のオフ突入時(夏頃)に着手開始をとも構想してました。でも、どちらかを中途半端でというのは、何か違うなと。
やると心に決めたからには、それに対して「全身全霊」で取り組みたい、向き合いたい(ちなみに「全身全霊」は、自分自身の「座右の銘」の1つです)。
それに、新B1(Bプレミア)が「2026年秋から」ということは、繰り返し公言されている。恐らく、よりアップデートされた景色になることは、期待してよいだろうと。そう考えると、そこに心の照準を合わせたい。
そう考えると、自分自身が、1人の人間として、別のことに心のウエイトをより大きく向けるには、「今オフ(2025年夏)からの1年程度」がベストタイミングになる、という判断からと。
「ある勉強」と、そして(より現実的には「2025年の年末~2026年の年明け?」と読んでるが)そう遠くないうちに実現するであろう、「Liellaの映画(劇場版)」。そういった「(自分の)カレンダー的な事情」も、正直あります。
自分の誕生日は「1984年8月12日」です。
そう、昨夏で「40歳」の大台になりました。
思い起こす、自分自身の転機の1つ、「μ’s(ラブライブ)の劇場版」。
これが「2015年夏(本編の応援上映)、2016年の年明け~春(ありがとうproject)」。当時が「31歳」でした。
で、「Aqours(ラブライブ!サンシャイン!!)」が、ライブ(主としてLV[ライブビューイング]だが)が「2017年2月~2019年6月」、映画が「2019年の年明け」。当時が「32歳~34歳」でした。
で、2018年11月、Aqoursの4thライブ(東京ドーム。1日目、2018年11月17日)。「純粋なるコンサート」としては、人生で初めてかつ唯一の生鑑賞ですけど、当時が「34歳」。
ですけど、このときが「体力・喉を総合しての、自分のピーク」であった感覚であるのです。
そう、2019年6月、Aqoursの5thライブのLV。これを終えたとき、
「ああ、『自分らしい、高くて大きい声』で『会場の雰囲気を創出できる』のは、もう限界が近いなあ…。より若い人間に託したい、そのときが来ているよなあ…。」
と感じたんですよね。
(というか、若い人間に託そうと思って臨んだら、結局声が小さかったので、ああ、自分がやってみるかとなったら、それでムードメイクができたのでそうなったが、やり終えて、「限界が近付いてる」と感じてと。
喉もですけど、体力もです。終わった後のダメージの回復が、正直結構掛かると。「区切り」を意識し出したタイミングで、いわゆる「コロナ禍」に突入になったんですよね。ですので、いわば「半強制的な区切り」になった感じが正直あった。
尤もこの「コロナ禍」という表現は、いまだにすとんと落ちません、自分的には「コロナ危機」の表現が、やはりより「すとんと落ちる」です。)
で、河村勇輝のウインターカップにとても感動して(それ以前から、NBAはがっつりと楽しんでいたし、BリーグもBSでの中継があるときは楽しんでいたが)、バスケの初めての生観戦をした「大阪vs秋田」が、2020年2月、「35歳」のとき。
で、京都のFCに入会したのが、2022年3月、「37歳」のとき。当時、京都には「おもてなしスタッフ」(いまでいう「学生インターン」に近い)がいたのですが、この「おもてなしスタッフ」さんの「想い・熱量の強さ」に頃を揺さぶられて、FC入会の前倒しを決断しました(当時は、「2022年秋」からのFC入会を真剣に検討している感じでした)。
あのとき、前倒しでFC入会を決断したのは、「運命」だったんだといまは正直感じてる。このFC入会は、いまの自分自身が、バスケットボールに加速度的に向き合う「心のスピード・熱量」を一気に高める転機になりました。
生観戦の試合数が一気に増え始めたのが「2022年10月」から、これが「38歳」。これは、「コロナ危機の突入から3年目」、つまり「社会状況が徐々に許し始めてきた」の影響も正直大きいかなですけど、この「2022-2023シーズン」から、今季で「3年目」になります。
ですけど、です。
「自分自身にとって、年齢的に『無理が利くができる』のは、果たして『あと何年』であるだろうか…?」
実は昨年は、自宅のものが一斉に変わる時期を経験しました。
「ユニベアシティ(ぬいぐるみ)」「荷物用のトートバッグ(ありふれたデザイン→五等分の花嫁)」「腕時計」「部屋の電気」「冷蔵庫」「電子レンジ」「冬用のコート」等々。
なぜか、テレビはまだですが(さすがに今年中には買い替えることにはなるだろうと思ってますが)、それでも、自分自身にとって「変化の年」を実感でもありました。
いま、天王寺のコワーキングスペース・自習室(時折でカフェ)が、自分の仕事場になっていますが(「フリーランス」。表現を変えれば「ノマドワーカー」)、幸運にも、「若い世代と共に机を並べる」の感じでいます。
中には、「制服姿の中高生」もですし、「志を叶えるための国家試験・就職試験の突破を目指す若い世代」もいます(実際、「薬剤師」「看護師」「理学療法士」「歯科衛生士」「教員採用試験」「警察官試験」の勉強をしてる人間がいます)。
そう、天王寺は、「あべのハルカス」があり、「繁華街にして観光名所をも持つ」の街・場所としてイメージされてます(というか、ハルカスは「仕事場の1つ」であり、「かかりつけの病院の1つ」でもある。つまり自分にとっては、いまや「日常」の場所になってる不思議さです。多くの人間にとっては「非日常」の場所であるのにと)。
ですけど、天王寺は、実は「学生の街」の顔も持ってます。これは、いずれ改めて言及させて頂く機会があるかなですけど、(近隣の学校をも含みますが)有力な私立・国立・公立だけで「10校以上」が集中してます。
制服姿の学生が街に普通に繰り出してるのは、東京でいえば「池袋」「渋谷」に恐らく近いかなです(この2つも、駅からの徒歩圏内・及び近隣だけで多くの学校が集中しており、若者向けの商業施設を持つことも共通)。
もともと自分は、「子どもが大好き」です。ですので、子どもや若い世代に囲まれてることで、「とても刺激になってる」ですし、その刺激が「自分自身の成長の原動力の大きな1つ」になってます。
そう、「この少年少女が、こんなに努力し続けてるのが伝わる、自分も頑張ろう」と、心を奮い立たせてくれるのです。
ですけど一方で、身体の回復に時間を要する現実も、徐々にだけど確実に、実感するようになっています。
はっきりとした根拠は正直ないですが、「無理が利く」と思えそうなのは、恐らく「あと3年~5年程度」かなあ…が、自分の正直な感覚です。
「2026-2027シーズン」(新B1の1年目。いまから2年後)
(舞洲は改修、西京極は「2年後に新アリーナ移転を控える」。
で、Gアリ[神戸]は「新B1の1年目」になる。)
(尤もいまの感じだと、神戸は「ギリでB2のPOには出場できても、ワイルドカード2枠目だと、PO1回戦でA千葉と。そうなると、「来季もB2→新規定の恩恵で新B1」と、ある種恥ずかしい感じになりそうだが。)
「2028-2029シーズン」(新B1の3年目。いまから4年後)
(Gアリは軌道に乗ると想像。
京都は、この年から「西京極→東向日の新アリーナ移転を控える」。「周辺の交通環境の整備」「専用練習場的なサブアリーナを設けられるか」、この2つが特に重要と自分は正直思ってるが、いずれにせよ新アリーナはまず確定であること。正直、「無理が利く」のが、ここまでは持ってる感じでありたいが、いまの自分の本音。
↓
問題は大阪。舞洲はいわば「数年間の暫定利用」の感じになると思っていて、「新アリーナをどうするか」に、このときには目途を立てて欲しいと。
当初、噂レベルをも含めると「万博公園、森ノ宮、夢洲(万博の跡地。IRとの共存が前提)」の3つのいずれかになると思われてたが、「舞洲の暫定利用」で一応の決着と考えると、森ノ宮は事実上消滅の感が。
結局は、「夢洲」が「最もベター」ではと自分は思ってる。なぜなら「専用練習場的なサブアリーナ」が最も重要になるし、「万博公園」だと「中河内・南河内・泉州地域の人間の切り捨て」リスクが大きすぎるからだ。)
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地下1階から、「オフィスフロア」「展望台ロビー」に向かうエレベーター。
左側が「オフィスフロア」(17階)に向かう、
右側が「展望台ロビー」(16階)に向かう、エレベーター。
これらがそれぞれに3台ずつ。尤も右側のエレベーターは、
途中で2階にも止まる関係から、3台中2台は、実は17階にも止まります。
「オフィスフロア」は、仕事場的なコワーキングスペース(soranosu)や
カフェ・薬局もありますし、21階・22階の「クリニックモール」も17階経由です。
展望台のゾーンは「58階~60階」。16階の展望台ロビーから、
別途の専用エレベーターで乗り換えます。
行きは60階に到着、帰りは59階から出発です。
↓
で、右側のエレベーターは2階にも止まる関係から、一部は17階にも停車と
述べましたが、普段は左側を活用ですけど、
「ハルカス→あべのキューズモール」を利用する場合は、
「17階→2階」(歩道橋があるため)の利用のため、右側が重宝になる。
そう、朝は17階の「soranosu」「カフェ」を主に利用ですが
(あるいは「あべのHoop」にある「マクドナルド」「スタバ」も併用)
特に昨夏以降は、「あべのキューズモール」の利用機会が一気に増加。
(4階にコワーキング・自習室のスペースがある。)
もともとは「併用」でしたが、いまはキューズが「最も使用機会の多い場所」です。
↓
それと、左側、右側の共に、最も手前の1台ずつ(メインの3台ずつの手前側)が
「19階、大阪マリオット都ホテルへの専用エレベーター」です。
名古屋駅の「セントラルタワーズ」が、上層階が
「名古屋マリオットアソシアホテル」という高級ホテルですけど、
これと相通ずる感じに映ってます。
↓
ちなみに、「地下2階~14階」は、別途の出入り口があって、
そう、「近鉄百貨店」が入居してます。
特に利用頻度があるのが、7階(ジュンク堂書店・ロフト。
近くにある自習・読書スペースをたまに利用することも)、
9階(催会場。3月の「東北物産展」は、特に毎年楽しみにしてます)、
11階(眼鏡。月に2回ペースでここで洗浄してもらう。
近くに「アートスペース」があり、視野を拡げる意味で重宝です)、
14階(12階~14階がレストランフロア。14階にある、大食堂の位置付けの
「ベビーフェイススカイテラス」でのオムライスは、月1回の自分の勝負食です)、
地下1階(ケーキ[モロゾフ]、餃子[551蓬莱])です。
いずれにせよ、「あべのハルカス」は、恐らく多くの人間には「非日常」の場所。
東京でいえば「サンシャインシティ」(池袋)に相通じます。
でも、自分にとっては「あべのハルカス」は、いまや「日常」の場所。
「人生って、不思議だな」と、特に実感の場所です。
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中央にある赤い橋が「港大橋」。
方向的には、この延長線上が「舞洲」「夢洲」になるはず。
大阪の「Bプレミアへの参加」は「舞洲の改修」で決着したが、
そう、舞洲は、ファンの間でさえ「陸の孤島」と称されてる。
土休日はまだいい、試合終了時間が結構早いので。
より問題は平日。21時過ぎに終了ですけど、
西九条駅への到着が22時を過ぎるが、ざらと。これはさすがにきつい。
↓
自分は、1人の人間・1人のバスケファンのいずれでも、
「最終的には、夢洲が最適解では?」と正直強く感じてます。
(建設する場合は、ある程度は駅に近い場所になるでしょうし、
「専用練習場的なサブアリーナ」も、及び
「10000人程度の収容人数」も恐らく確保できる。
駅も、地下鉄[大阪メトロ]の中央線の「始終点駅」ですので、
「座って帰れる」を含めて、アクセス面が大幅に改善できますし、
万博公園案と異なり、「大阪市内・北摂・北河内のみならず、
中河内・南河内・泉州を含めて、各地域にバランスよく利便性がある」。
↓
大阪万博の終了が「2025年10月」、
で、IRの開業目標が「2029年秋~2030年春?」といわれてるので、
新アリーナ構想も、仮に夢洲案だと「2029年秋を目標?」
になるのではと。そうなると「4年半後」(京都の向日の
新アリーナの1年後、になります)。そこまでは持たせたいが本音。
(IRに対して、「違和感が全くないといえば、正直嘘になる」ですが、
「新アリーナを建設するならば、夢洲が最適解」と考えるならば、
IRに明確な反対は封印の現実を突き付けられるもどかしさでもあります。)
で、「自分自身にとって、年齢的に『無理が利くができる』のは、果たして『あと何年』であるだろうか…?」、そう実感するのは、そう問い掛けざるを得ない感覚であるのは、いくつかそう感じる場面があるからですけど、特に、考えさせられてる場面があります。
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人生で初めての「人間ドック」。理由は「40歳になったから」。
(より厳密には、「40歳の年の人間は、[大阪市国民健康保険の規定で]
1日人間ドックが無料で受診できる」とのことだから。)
受診する医療機関は、「MedCity21」。
大阪公立大学(もとの大阪市立大学)の医学部附属病院の、
「人間ドック部門」の専門病院です。
はい、「あべのハルカス21階」。いまや自分にとって、
ハルカスは「見慣れてる景色」だからと。
で、自分って、超がいくつも付くほどの「怖がり」「あがり症」ですので、
病院選びには、これも正直考慮してます。
「大阪公立大学の機関ならば、信頼性は見込めるだろう」と判断でと。
↓
自分、「この世で、この社会で、最も苦手なことは?」と聞かれたら、
こう即答し続けてきました、「注射」と。
子ども時代から、予防接種は受けるようにしてきた。
特にインフルエンザは、毎年受けてきました。
(尤も、大学受験の本番の年で、元日にインフルエンザになり、
これが「失意の大学受験」になった「永遠のトラウマ」ですが…。)
でも、予防接種は「必要だからしてる」けど、いつも恐怖でたまらなかった。
注射の時間自体は、恐らく5秒あるかないか。でもそれが、とても恐怖で。
「注射がなぜ怖いんだろう?」、ずっと問い続けてました。
この正体がやっと理解できたのは、コロナ危機、「2020年、36歳」のとき。
そう、自分は「針」が怖いんだ!と気付いたと。
↓
人生で、最も「針」「注射」に向き合うことになるだろう、人間ドック。
正直とても恐怖だけど、いつかは受けねばならないときが来ると、ずっと思ってた。
「40歳」、ついに訪れた、そのとき。これから恐らく「ほぼ毎年?」
受けることになるのだろう、と想像してる。
予防接種に相通ずる、そう、「生きるために必要なこと」と。
人生で最大の「未体験ゾーン」を、年明け早々に迎えるんだと。
いま、これが正直な感覚でいます。
「人間ドック」。いつかは受けねばならない、これは頭ではわかってた。
40歳になり、「基本無料+別途オプション有料」の案内が来た。
(病院側で用意されてるコースとは、また別です。ちなみに病院側での「人間ドック標準コース」だと「58300円」とのこと。
で、今回活用する「大阪市国民健康保険、1日人間ドックコース」だと、来年以降は「40歳~74歳の方」で「1万円+別途オプション有料」になります)。
正直、これは以前にも綴らせて頂いたことがあるかなですが、
「自分は、50歳まで生きている自分を、想像できない。」
と。そう、子ども時代の自分は、入院が必要なレベルではなかったけど、正直「病弱」でした。特に小学1年生・2年生のときは「不登校ラインの、ぎりぎりの欠席日数」でした。
「子ども時代」「1回目の大学時代」、あるいは「27歳~31歳のとき、東北に向き合い続けてる時期」にそれぞれ思い描いていた姿と、いまの自分の姿は、正直全然異なる。でも「変わらない自分」は、はっきりといる。
そう、「社会の役に立ちたい」「社会に貢献できる一助に」。
この想いは、はっきりしています。自分がこの社会に生きたことで、何か「人間として大切なこと」を遺すことができればと。
「人間は、1人1人それぞれ、何か『使命』を持って生まれてきた。」
現実論として、これを体現できることのスタートラインに立てる人間自体が、限られてます。でも、「何かやらなければいけないことが、自分にはあるはずだ」という思いは、漠然とですけどずっとあった訳です。
いま、紆余曲折・回り道を経て、自分は「書く」「伝える」ことで活きていく、に辿り着きました。これは、「自分自身が持っている資質能力を、恐らく最も活かせるから」もありますけど、
「自分が、この社会に生きた証(あかし)を遺したいから。」
「『人間として大切なこと』、その何かを伝えたいから。」
「『社会をよりよくできる、理想へと近付ける』一助でありたいから。」
「誰かを応援したいから。特に『志に向かう』『社会をよりよくしようと努力し続ける』子ども・若い世代を。」
恐らく、この想いが強いからかな、と自分は正直感じてます。
「なぜ、自分は『怖がり』なんだろう?」
自分自身を、ずっと苦しめ続けてることです。
はっきりとした答えは、いまもまだ出せてません。ですので「恐らくの漠然な」の域を出ません。そう断った上でですけど
「いま自分は、死ぬ訳にはいかないんだ。」
この想いが、「自分自身の心の声」としてあるんだと。
「社会問題(社会課題)を、何か1つでも、解決の一助になれる人間に。」
自分自身の理想でもあります。尤もそうできる領域にないからも、「書く」「伝える」「応援する」に活路を見出してる理由ですが。
いまの自分は、最大のメインフィールドは「スポーツ」です。
尤も、「する」ことは実は苦手で、「観る専」なのにねと。
ですけど、子ども時代からずっと、「趣味・好きなこと」の1つが「スポーツ観戦」であり続けてきたのです。
いずれにせよ、「自分が『無理が利く』時間は、恐らくあと数年しか残されていないだろう」、でも、「『叶えたい景色』が、自分にはあるんだ!、これを叶えるまでは、死ぬ訳にはいかないんだ!」と。
だから、正直怖いけど、「人間ドックを受ける」決断をすると。
「骨密度(X線)」「心臓超音波」「血圧脈波」
「アレルギー検査」「老化度チェック」
「別途の有料オプション」で、上述の5項目を組み込ませて頂きました。
理由はシンプルに「いまの自分に必要だから」。
で、「5万円」という予算に収められたと。
人間ドックを「年明け早々」の時期にしたのは、「カレンダー的なこと」が正直大きいですけど(本音は、シーズンオフになる「7月頃」とかがよりよかったけど、自分の誕生日が「8月12日」であったことも正直大きい)、「年明け早々」だと、いやなことをさっさと終わらせれば、1年が終わるときには、その間に「きっとプラスなこともいくつもあるはずだから」と。それも理由の1つです。
「『無理が利く』年齢面の意味で、恐らくあと3年~5年かなあ…」と。
で、カレンダー的な意味で、2年後(2026年秋)からの新B1を、心身共に万全で迎えたい。
だからこそ、「最大の勝負の1年」と位置付けてる、この5月まで(の今季)を、まずは後悔のないように、魂を燃やし抜きたい。
6月以降のことは、正直いまはまだ深くは考えられません。
ただ、「ある勉強」に、この6月以降は着手したい、突破したい、それにより、2026年秋からの新B1に心の照準を合わせたい、これははっきりといえます。
いつか確実にあるであろう、「Liellaの劇場版」(その応援上映)は、まずは「ある勉強」に取り組むが最優先、それ次第になるかなと。
尤も、来季も、「生観戦の試合数を減らす」は確定ですけど、例えば「決起会」「新体制発表会」とかがある球団があれば、それはできるだけ参加させて頂きたいと思っていますし、より現実的には、「日程をピンポイントで」という感じになっていくのかな、と想像です。
「先のことはわからない」ではありますけど。
いえることは、2025年、自分自身の「今年の目標」「今年をどのような年にしたいか」でいえば
「『後悔はない』と思える、『魂を燃やす』年にしたい。
『自分らしさ』を大切に、『全身全霊』を貫ける年にしたい。」
(「全身全霊」は、自分自身の「座右の銘」の1つです。)
「持てる全力を出し切れる」「炎のように、魂を燃やし切れる」。
これができる時間は、「あと数年」というラインが、漠然とだけど見えてきている。
だからなおさら、「後悔したくないんだ」と。そう強く感じるのです。
そう、いまのような時間の使い方ができる、特に体力面の意味で、それができるのは「恐らくあと数年」と感じてると述べました。
ですけど、こうも強く感じてます。
「いくつになっても、身体が衰えても、心を『子どものように、若く心掛け続ける』ことはできるはずである。」
そう、身体の年齢は「40歳」でも、心の年齢を「20歳代」の感じで心掛け続けることはできる、そう強く思うのです。
いわば、「いつまでもずっと、衰えない情熱」。そう心掛け続けられる人間でありたい、と。それで連想する人間がいます。
元首相の、中曽根康弘さん。「国鉄民営化」という難事業を成し遂げたことで、特に知られてます。これを成し遂げられたのは、1986年7月6日、「衆参ダブル選挙」(通称「死んだふり解散」)で、「304/512」という歴史的圧勝を収めたからです。
思想的には「真逆とまではいわないが、恐らくかなり離れている」。
「功罪が共に大きい」といえば、恐らくそうであると思う。
ですけど、この中曽根さん、実に「101歳」まで生きました。逝去時も老衰、つまり「寿命を全うした、大往生」です。
何が特にすごいって、少なくとも「97歳」のときまでは普通にメディアや公の場に姿を見せていたこと。さすがに90歳代になってからは「身体はよれよれの老人」を隠せてませんでしたけど、
「身体は衰えても、心と頭脳は最後まで全く衰えてなかった」
これが特に印象的で「とても尊敬できる」のです。純粋に「すごい」と。
身体が健康体である意味での「終わり」を意識し始めてる自分。
実際、昨夏からは、「傘という名の杖が手放せない」身体になってます。
(近距離でならば、杖がなくても普通に歩けたり、走れたりしますが。)
いまのような「ライフサイクル」ができなくなる、ある程度以上の睡眠時間や休養時間を意識せざるを得ないときがくる、これが正直怖い。
ですけど、いやだからこそ、
このことを、いままで以上に、とても大切にしたい。
なぜならば、
「人間は、『学ぶ』『感じる』ことを通してこそ、成長し続けることができる。これができる限り、年齢を重ねても、『内面の成長』には終わりはない。」
これが、自分が学んできたことであるからです。
ですので、2025年は「後悔のないように、魂を燃やす1年」にしたいことと共に、
このことも、とても強く感じてます。
【2024年(10月以降の今季)、生観戦試合リスト。】
(「オープン戦」は、「PSG、プレシーズンゲーム」のこと。
より平易に伝わる意図で、「オープン戦」と表記してます。)
9月8日日曜日 大阪vs横浜BC(オープン戦、舞洲)
9月14日土曜日 奈良vs徳島[B3](オープン戦、ロート)
9月15日日曜日 奈良vs原州[KBL](オープン戦、ロート)
10月5日土曜日 京都vs佐賀(開幕戦、島津)
10月6日日曜日 京都vs佐賀(島津)
10月12日土曜日 京都vs群馬(西京極)
10月13日日曜日 京都vs群馬(西京極)
10月23日水曜日 京都vs仙台(西京極)
10月26日土曜日 大阪vs北海道(舞洲)
11月9日土曜日 奈良vs福島(ロート)
11月10日日曜日 奈良vs福島(ロート)
11月16日土曜日 奈良vs鹿児島(ロート)
11月17日土曜日 奈良vs鹿児島(ロート)
12月7日土曜日 島根vs京都(松江総体)
12月8日日曜日 島根vs京都(松江総体)
12月11日水曜日 京都vs滋賀(西京極)
12月14日土曜日 神戸vs福井(神戸中央)
12月15日日曜日 神戸vs福井(神戸中央)
今季、PSGで「3試合」、RS(レギュラーシーズン)で、既に「15試合」を生観戦させて頂いてます。最終的に、どれほどの生観戦の試合数になるかはわからないですけど、恐らく「35試合程度になるかも?」と、正直感じてます。
2025年、「バスケ始め」(始動日)は、
「1月4日、京阪ダービー(京都vs大阪。西京極)」
これは、日程が発表された瞬間、早々に確定しました。
自分は、「関西圏に在住のバスケファン」ですので、「京阪ダービー」は、「最も優先順位が高い試合」と位置付けてます。
今季を「最大の勝負の1年」、これは「完全燃焼したい1年」と位置付けたい想いを込めてますけど、「京阪ダービー」での始動は、「心のスイッチを入れることにドンピシャといえる感じかな」と正直感じてます。
「予算」「時間」「体力」を総合しながら、日程の優先順位を決めていってる感じで、「特に観たい試合」は勿論いくつかは確定してますが、今季のこれからの試合日程(残り試合)で、「恐らく、ぎりぎりまで熟考することになるであろう日程」があります。
【4月5日土曜日、4月6日日曜日。】
(1)大阪vs京都(舞洲)
(いわゆる「京阪ダービー」。1人のバスケファンとして、「優先順位が最も高い試合」。本来ならば「この選択肢で即答」であり、当初はこれで進める構想であった。
その上、リアル事情もあり、このnote記事の執筆時点で、大阪の生観戦試合は、わずか「1試合」にとどまってる。水曜日・木曜日の試合を除けば、生観戦の構想を確定できてるのは、「大阪vs島根の2試合」(2月28日・3月1日)のみである。つまりこれでも、合計で「3試合どまり」。
この関係もあり、「京阪ダービー」の生観戦は、なおさらしたい。
しかし、ここにきて、心に揺らぎが…。)
(2)神戸vs山形(ジーライオンアリーナ神戸[Gアリ])
(この試合が、「神戸の新アリーナ[Gアリ]」の「こけら落としの試合」。記念すべき試合であることも勿論あるし、神戸は自分の歩んできた道において「永遠に特別な場所」でもある。
そして特に問題は、いまの自分の立場。1年前のいまに比してだと、「インフルエンサーもどき」的な立ち位置になってるので、「こけら落としの試合」を観ることで、「新アリーナの特徴」をいち早く発信・共有できることは、自分自身にとって大きなメリットの現況がある[ほかの人間にも「特徴をよりイメージできる」のメリットがあるし、その意味で「win-win」といえること。
↓
ましてや今年は、「阪神・淡路大震災から30年」でもある。このタイミングで「新アリーナの試合を観る」メリットは特大といえる。
当初は、4月20日・4月21日の「神戸vs鹿児島」2試合での、Gアリの生観戦を構想していた[この2試合のGアリでの生観戦は、「vs山形の生観戦」をする場合でも、動かす予定はない]。それで代用でもよいと思っていたが、「自分だからこそできること」の意味で、「Gアリの開幕試合を回避は、後悔・マイナスがより大きくなるリスクが」と。)
「神戸の新アリーナ」(ジーライオンアリーナ神戸)での4試合の、FC会員の発売開始日は「2月7日金曜日」。あと1か月しかないのです。
「大阪vs京都」の発売開始日は「3月5日水曜日」。
「とりあえず、両方の試合を購入しておいて、ぎりぎりまで熟考した上で最終判断する」、勿論これも1つの方法でしょう。
でもそうすると、「予算の問題」が生じる。これがネックになるんですよね。
最終的には、どちらが「より後悔しないと思えるのか」。
2025年、現時点での「最大の試練」(「人間ドック」も勿論大きな試練ですけど、受けること自体はどのみち決まってる訳ですので)、正直そう感じてます。
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神戸の球団社長、渋谷順さんのインタビュー記事。
説得力が伝わる記事で、「想いの強さ」が伝わります。
その一方で、「付け焼き刃で、半ばの力ずくでの『Bプレミア』到達」、
はい、そりゃあ全否定はできませんよね、と(苦笑)。
昨年12月、「神戸vs福井」の生観戦時(2試合)。
「運営的な課題」は、正直「ないといえば嘘になる」。
例えば「ロビー、FCブースに球団職員がいない」とか。
でも神戸は、自分にとって「心の故郷」の球団。
「地域密着を第一義にする姿勢」も素敵と感じてます。
ですので、「神戸の新アリーナ」、2025年、これは
「1人の人間」「1人のバスケファン」、いずれの立場でも、
「シンプルに、とても楽しみにしている」んですよね。
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朝に訪れた、「GLION ARENA KOBE」。
厳密には、敷地内には入れずで、この写真は
水族館「アトア」の海側の場所からの撮影です。
この時点で、既に外観は完成している(内装はこれから着手)、
の段階とのこと。で、写真を1枚、パシャリと撮り終えると
クルニッチHCと、ばったり遭遇。我ながら驚き。
(なお自分は、神戸の決起会は参加せず、夕方の奈良の決起会に参加。)
12月、「神戸vs福井」生観戦の際に、クルニッチHCの熱血漢ぶり。
「報われて欲しい」、そう強く抱く。
「走るバスケ」のスタイルは、「とても理に適ってる」と感じるから。
↓
(なお現況の成績。「11勝17敗、勝率.393」。
現況だと、「B2昇格POのワイルドカードの2枠目」、
これだと「PO1回戦敗退」がほぼ濃厚、いやそれどころか
「POにさえ出場できない」の「かっこ悪い非常事態」もあり得る。)
いえることは、「神戸の新アリーナ」、
どんな特徴を持つアリーナであるかも興味深いけど、
Gアリでの4試合、「より濃密な試合を!」と強く感じてます。
いずれにせよ、自分自身の「2025年」。
「『後悔はない』と思える、『魂を燃やす』年にしたい。
『自分らしさ』を大切に、『全身全霊』を貫ける年にしたい。」
「1つでも多くのことを『学ぶ』『感じる』を大切にし続ける。
『好奇心』『探究心』を心掛ける・意識付ける年にしたい。
そして『初心』『原点』を心掛け続ける年にしたい。」
そう、特にこの5月末までは、「自分自身にとって、最大の勝負の1年」。
だからこそ、「後悔はないと思えるように、魂を燃やす!」を、特に心掛けたい・意識付けたいです。
「悲しい出来事」「絶望・陰湿を感じる出来事」が多い印象であった2024年。だからこそ、2025年は「希望を1つでも多く感じられる1年」であって欲しい(社会的な意味で)。
昨年の、2024年。社会的な意味では、「悲しい出来事が多かった1年」であった感覚を、正直強く抱いてます。
「2024年を象徴する出来事」。自分の中では、能登の地震(一般的には「能登半島地震」と呼んでるが、自分は「能登大震災」と思っている。人的にも経済的にも、人口密度に照らせば、すさまじいダメージでしょう?と)、及び、豪雨との「二重災害」「複合災害」です。
能登の震災と豪雨(複合災害)。浮き彫りになったことは特に、「課題先進地」であることです。想像以上の「高齢化率」、いわゆる「孤立集落」が目立つこと、「医療・福祉のリソース(資源)の不足(これは人的・物的の両面で)」等々。
感じること、考えさせられることは、正直いろいろとあります。
その上で述べると、リンク添付の「3月22日のnote記事」で言及させて頂いてますが、とりわけ「門前高校の、当時の高校3年生」(大岩紅葉さん、寺門春香さん)のこと、及び、「助産師を志す、珠洲の当時の中学3年生」(山元浩花さん)のこと。3人は、いま、『志』に向けて歩みを進められていると、より嬉しいなあと思う感じです。
能登の震災・豪雨の複合災害、これ自体がとても心が痛みますし、能登を訪れる機会をなかなか持てていない(いまの感じだと、最短でも今年の6月以降。そしてアクセス面と資金面を総合すると、そもそも訪れる機会を持てそうかどうかも…が正直な現況です。「どこでもドア」があればと、いままで以上に強く感じてます)。
で、能登のことで、とりわけ心が痛むのが、豪雨災害で逝った、喜三翼音さん(当時は中学3年生、14歳。「きそ」「はのん」と、それぞれ読みます)。「翼」と「音」、その素敵な名前(想いがぎゅっと詰まって名付けたことが想像できること)と共に、苗字も名前も両方共に独特であることもあり、(ある種不本意な感じだろうと想像ですが)強烈な印象として刻まれ続けるだろうと。
状況から想像すると、「訳が分からないまま、気が付いたら『あれ?自分、死んでしまったってこと?』」という感じかなと想像ですが。
絵が大好きであったとのこと。絵を含めて、やりたいことがきっといろいろとあったはずと想像です。恥ずかしがり屋だけど、優しい一面も併せ持っていて、だからこそなおさら、特に翼音さん自身がとても悔しいだろうと。
「生きていることは、当たり前ではない」。このことを、いままで以上にとても強く考えさせられた、2024年でした。
で、とても悲しくて、心を痛めたことの1つが、年末に起きました。
12月14日に起きた、北九州の中学3年生の少年少女への殺傷事件。
亡くなった少女(中島咲彩さん)は、一突きで「ほぼ即死状態」であったと伺います。
「咲彩」と書いて「さあや」と読むとのこと。
「想い・願いがぎゅっと詰まった名前」が伝わり、親御さんの悲しみ、悔しさは想像を絶する感じでしょう…と想像です。
この事件。このnote記事の執筆の時点では、動機はまだわかってません。
「成績優秀な咲彩さんが邪魔だからが動機ではなさそう?」ですが。
(咲彩さんは高校受験を控えていた。で、高校受験の構造上、「◎◎ちゃんがいると、自分は志望校に受かる可能性が大きく下がる」のリスクを抱えていることは全否定はできない、それ故に映画やドラマではそういった構図を描いた作品も、観たことはあります。)
「賢い」。「優しい」。「悪口を絶対に言わない」。
それでいて「運動も得意で、小6では応援団長、中学校では陸上部」。
しかも「容姿も、なかなかのかわいらしさ」。
そう、「優しい」「賢い」「かわいい」「運動も得意」。
咲彩さんが「学級の中心人物」的な存在であったことが伝わります。
視点を変えれば、「咲彩さんの周りで『いじめ』『人間関係のトラブル』だなんて、ある訳ない」こと。
それと、恐らくですけど、「誰かの役に立つことが好き」な人物像も伝わります。
小学6年生の卒業文集では「薬剤師になりたい」と綴ってたとのこと。
「優しい」が最も強調されてる人間性をも強調すると、薬剤師かはともかく、「命に携わる職業を志し続けていた」ことは、充分に考えられます。
あの惨劇に遭わなければ。たくさんの人間が、そう感じてると想像です。
そして何よりも、「咲彩さん自身が、恐らくとても悔しい」と想像です。
一突きで、ほぼ即死状態。気が付いたら、「あれ、自分はいまどこにいるの?」の感じ。
この事件。被害者が子どもであったこともあり、被害者の実名・写真・人間性(人柄)の公表への違和感・疑問の声が少なからずありました。
それ自体を、全く理解できない訳ではないです。ですけど自分は、特にこの事件は、「実名・写真・人間性を公表した」ことにより、
「こんなに『優しい』『賢い』『かわいい』、そして『将来性が伝わる』子どもの命を奪った人間は、絶対に許せない!」
この世論・この雰囲気を醸成させる大きな一助になった、それ故に「公表の意義は、大きかった」と、正直強く感じてます。
「咲彩を返してよ!」、級友にとって「自慢の級友」であったと想像が伝わり、自分が咲彩さんの級友の立場ならば、恐らくそう感じるだろうと。勿論その一方で、「咲彩さんの生命が、蘇ることはあり得ない。もう会えることは、永遠に叶わない」ことも、頭では(理屈では)なんとなくわかっているだろう(そして「理解したくないだろう、受け容れたくないだろう」ことをも含めて)、とも想像ですけど。
ですけど、そう、自分が強く信じていることがあります。
「人間の『身体』は滅びても、人間の『魂』は滅びない。
少なくとも、大切な人の心の中では、その人の『魂』はずっと生き続ける。」
そう、「咲彩さんの願いでもあるのでは?」と想像ですけど、
「咲彩さんが遺そうとした『優しさ』『思いやり』を、級友の1人1人が受け継ぐことはできるはず。『優しさ』『思いやり』を育み続けることが、咲彩さんへの『感謝』『供養』にもなるし、その人の『生きる力』『生きる勇気』『生きる支え』にもなるし、結果として『魂を滅びさせない』(いのちは滅びてしまっても)ことにもなると思うよ。」
自分は、そう強く抱くのです。
それにシンプルに、「人間が生きることにおいて、最も大切なこと」はといえば、自分は「優しさ」であると思ってるんですよね。ですので、その意味でも、「優しさ」を育み続けることは、「その級友自身にとって、確実にプラスになると思うよ」と。そう、「自分は、ひとりではないんだ」を含めて。
そしてもう1つ。級友のそれぞれが、(これから恐らく、逆境や挫折に直面して、もがき苦しむときもあるかもと想像ですけど、)「自分らしさ」を、たとえ徐々にでも確立させていけること。そして、「こういう高校生活にしたい」の姿勢を持ち続けること。
このことも「とても大切なことだよ」、と伝えたいことです。
その心の悲しみは、癒えるには時間が掛かると想像です。現実を受け容れなければいけないと、頭ではわかっていても、心で受け容れられるかといえば、「理屈だけでは説明し切れないよね」と。
「悲しいときは悲しい」と、「泣きたいときは、思い切り泣いていいんだよ」と、1人の人間として、自分はそう伝えたい。
ですけど、「級友の心の中で、咲彩さんの魂が、生き続けますように」、そう強く感じます。
「絶望」「陰湿」を強く感じる出来事が多い印象であった、「2024年」。
ですけど、いやだからこそ、「希望」を感じる話題に、いままで以上に心を揺さぶられる年であったとも、正直強く感じてます。
「2024年を、代表する『ひと』」。
「人それぞれである」と前置きした上でになりますが、恐らくまず、ぱっと挙がるのは、「大谷翔平」(「50-50」)、「河村勇輝」(「パリ五輪で最も話題になった」「172cmとバスケ選手では小柄なのに、NBAに到達」。現地[米国]では、「自分たち一般人の代表」と嘱望されてるとか)、あるいは、「パリ五輪関係」の人間になるかなと想像です。
(パリ五輪関係でだと、「早田ひな」[卓球。実際、パリ五輪の話題は、「早田ひなで始まり、早田ひなで終わった」といってもよい]、「古賀紗理那」[バレーボール。1次リーグ敗退であったが、いままで積み上げた自分のすべてを出し切ろうとする、そして期待を一身に背負おうとする姿勢に、多くの人間が心を打たれた感じ]、「志田千陽」[バドミントン。五輪の試合で勝ち進む過程で、一気に大ブレイクした感じ。「ほぼ容姿補正」な感じも正直するけど、故郷〈秋田〉に強烈な誇りを持ってるが伝わることも好感度をより高めてる感が]、「森秋彩」[スポーツクライミング。筑波大学の在学中という「文武両道」ぶりもだが、「ボルダリング」の決勝の第1課題で「スタートラインにさえ届かない」、いわば「五輪史・スポーツ史に残る事件」の当事者になるが〈結果は4位〉、本人は「それも含めてのクライミングなので」と、「プロ意識」を示して好感度が爆上がり]。この4人が特に挙がるかなです。
尤も、これって、視点を変えれば「かわいいは正義」の社会、日本ならでは[いい意味でも、悪い意味でも]、と正直映りますが。)
あるいは、「能登半島の人々」もそうでしょう。特に自分は、「卒業式に臨んだ、門前高校の12人の高校3年生」に、とても心を惹かれましたが。
ですけど、自分が「2024年の『ひと』」を挙げるならば、
「『高校生平和大使』『高校生1万人署名活動』の子ども(広島・長崎の高校生を中心に)」
これで即答です。
12月5日のnote記事でも言及させて頂いたように、「高校生平和大使」が、いまのように全国規模(といっても、まだ活動拠点のない都道府県も少なからずあるが)になったのが、「2012年」からです。ですので、実は10年以上の実績がある。
ですので、より厳密に述べれば、「ついに社会に・世間に見つかった」「ついに本格的に認識されるようになった」、これが、より実際に即した表現といえるでしょう。
そう、「2024年の言葉」を挙げるならば、「日本被団協」「高校生平和大使」、勿論これも然りですけど、
「微力だけど、無力じゃない」
この言葉になる、自分の中ではこれで即答です。
(「微力だけど、無力じゃない」は、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」の「スローガン」「活動理念」である。いまでは「座右の銘の1つ」になり得る言葉と認識されてきたけど、この言葉の元ネタ、発祥の存在が「高校生平和大使」からである、と認識された感じかなです。)
尤も、「高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」の子どもにとっては、「ノーベル平和賞」「流行語大賞」の受賞が叶っても、「受賞が叶えば嬉しいけど、自分たちの活動の主目的、『叶えたい景色』は、もっとはるか先にある」の姿勢が伝わります。
そう、「『平和』とは何か」というのは、この自分たちの人間社会の「永遠の問い」ですけど、「叶えたい景色」=「平和な社会・世界」、これはとてもはっきりしてますし、自分もとても共感です。だからこそ、なおさら応援の想いであると。
…と思いきや、2025年、新年早々から早くも話題を提供でと。
というか、(長崎の高校2年生、)津田凜さん、髪をバッサリと切ってる!(12月の授賞式への参加のときは、背中の真ん中まで、長い髪を1つ結びでした。それがボブになってると。)
どちらも似合う感じですが、髪をバッサリと切ったことで、「より、凛々しくなってる」感じですが。
ちなみに、この「長崎の座り込み」は、実は「元日の恒例」です。
いわば、「ニューイヤー駅伝」(群馬県内を「7区間、100km」で一周する、男子の実業団駅伝です)と共に「ああ、今年も新年が来た」と。
ですけど、いやだからこそ、津田凜さん、大原悠佳さん、それと、広島の甲斐なつきさん、佃和佳奈さん。今年は「大学受験の年」になりますし、受験勉強にどうしてもウエイトを置かざるを得ないと想像ですけど、でも、卒業しても、そして最終的にどのような道を歩もうとも、
「何らかの形であれ、『平和の実現の一助になる』『社会をよりよくできる一助になる』にこだわって欲しいです!」
そう強く伝えたい想いです。
2024年、「希望」と感じた話題。いくつかを、取り上げさせて頂きます。
(1/4)自分用メモポスト。今朝のNHK「#おはよう日本」5時台。徳島(牟岐町)の、「命を救える仕事を志す」小学6年生、「#伊澤櫻子」さん(「櫻子」と書いて「さくら」と読む)。
— 愛球人 (@aikyujin) October 10, 2024
9月に参加の「こどもメディカルラリー」を通し手がメインだけど、とても感動でした。
(https://t.co/g37d7PbSif)
(2/4)今朝のNHK「#おはよう日本」5時台。徳島(牟岐町)の小6、「#伊澤櫻子」さん。
— 愛球人 (@aikyujin) October 10, 2024
救急救命士をしてる父の姿勢の影響で、「命を救う仕事に就きたい」と志したとのこと。現時点では、助産師を志してるとのこと。「牟岐町の人が安心できる人になりたい」からという。
(https://t.co/g37d7PbSif)
(3/4)今朝のNHK「#おはよう日本」5時台。「#伊澤櫻子」さんから伝わるのは、「命に携わりたい、救いたい」という強烈な「使命感」だ。櫻子さんのように、使命感を持てる人間こそ、「いのち」「医療」に向いているし、携わって欲しい!
— 愛球人 (@aikyujin) October 10, 2024
(https://t.co/g37d7PbSif)
(4/4)「#伊澤櫻子」さん、いま小6。でもたとえ、(偏差値などで)いつか逆境に直面でも、「命に携わりたい!」を絶対にあきらめずに貫いて!そしてできれば、牟岐町の子どもの命を1人でも多く救える「さくら先生」になるが叶うと、とても嬉しいです!#おはよう日本
— 愛球人 (@aikyujin) October 10, 2024
(https://t.co/g37d7PbSif)
第1の話題。「伊澤櫻子さん」、「徳島県牟岐町、小学6年生」。
「『いのち』を救う仕事に就きたい」を志していて、それを叶えるための一環として「こどもメディカルラリー」に挑戦したことの話題です。
ポストでも言及させて頂いてますけど、「自分には、『いのち』に携わる仕事に就きたい、どうしてもの理由があるんだ!」と、見た目はかわいらしいけど、その奥の内面からは「強烈なほどに、ほとばしる『使命感』がとても伝わる」と。
報道越しに、御存じの人間も多くいるかなと想像ですけど、いまの日本社会の「社会課題」の1つに「医師不足」があります。
理由は恐らく、1つではないと想像です。ですけど自分は、これは昨年の3月22日のnote記事でも言及させて頂きましたけど、
「大学受験での医学部への入学のハードルが、あまりにも高すぎる。
実際、『医師になりたくてたまらない』のに、『医学部への入学』を叶えられずに断念に追い込まれるケースが、毎年たくさん起きている。」
「医師の偏在」(これは「地域」や「診療科」の)、確かにこれも理由の1つでしょう。ですけど、そもそも論として、「医師になるための『入口のハードル』が、あまりにも狭すぎる・高すぎる(はっきり述べれば『程度問題』をとても超えている)」、これが「諸悪の根源」と強く感じてます。
これも、昨年の3月22日のnote記事で言及させて頂いてますけど、「石不足の問題」を、中長期的に解決できる1つの方法が、「ナース・プラクティショナー(診療看護師)の実現・普及」です。わかりやすく述べれば、「手術をしない医師(のような存在)」です。どういうことか。
「『ナース・プラクティショナー』制度の実現。
イメージ的は『大学院修士相当まで修了した看護師が、【まちの診療診療所】を開けるシステム』。『医師』と『(一般的な)看護師』の中間に位置付けられる存在、あるいは『手術行為以外ならできる医師』のイメージ。
薬剤師が6年制になって、薬剤師の地位が向上していることを参考にして、もあるけど、この『ナース・プラクティショナー』が制度化されれば、特に『地方部・過疎地域での医療不足・医師不足の改善』に大きく寄与し得るのでは?と想像だが(とりわけ『小児科・産婦人科・精神科などでは、ニーズがあるといえるのでは?』)。」
(「ナース・プラクティショナー」は、日本では「診療看護師」と称されており、現況では「民間資格としては存在するが、正式な制度化はされていない」。)
で、櫻子(さくら)さん。いま、小学6年生。今春から中学1年生。
いろいろと学んでいける、感じていける時間が、充分にあります。
櫻子さんが住む、牟岐町(徳島県)。ここには「徳島県立海部病院」がありますが、なんとそこには「小児科、産婦人科が、診療科としては存在するが、常勤医師はおらず、徳島大学病院からの応援医師である」とのこと。
これから、櫻子さんが、頭脳を育んでいって、「医師になる」、はっきり述べれば「徳島大学医学部の地域枠」のラインに届くことが叶えば、小児科(あるいは産婦人科)の常勤医師への道が拓けて、それこそ名実共に「牟岐町の英雄」あるいは「牟岐町の宝」になると。
「命を救う人間に、絶対になりたい」、これほど強烈な使命感の持ち主である訳ですし、櫻子さんの故郷の牟岐町は、「切実に『いのち、医療に携わる』人間を、いますぐにでもの感じで必要としている」。
勿論、現実には、中学校・高校へと進学していく過程で、挫折や逆境を経験するかもと想像です。特に、医療を志すならば、特に「理系数学の壁」を突破できるかのハードルが立ちふさがる。これを突破して、道を切り拓いて!が、いま正直に抱く想いです。
あるいはもう1つは、櫻子さんが大学受験を迎えるときに、「診療看護師が制度として普及・浸透すること」(記事の時点では、「助産師を志望」とある)。そうすれば、手術はできなくとも、「小児科あるいは産婦人科の医師にほぼ近い仕事内容」への道が拓けますのでと。
(いずれにせよ、最も最善の道は、「徳島大学医学部の地域枠のラインをクリアできること」になる訳ですけど。)
純粋に、「志」へと向かう姿勢が伝わる、しかもまだ「小学6年生」。
そう、「将来性がとても楽しみ」と強く抱くのです。
そして、願わくは数年後(できれば高校生年代になったときとか)に、「櫻子さんのいま」という感じで、そのとき、(「医療分野の道」というのは、はっきりしているといえますが、)どのような道を「志」として目指してるのか、その姿を是非とも見たいです!と。
いずれにせよ、「櫻子さんらしさ」を育んで欲しい!
挫折や逆境を経験するかもと想像だけど、「牟岐町の人々の『いのち』を救う人間になる」の「志」を、絶対に貫いて!そして叶えて!
1人の人間として、特に「応援したいです!」の想いです。
自分用メモポスト。今朝のNHK『#おはよう日本』5時台、取手松陽高校(茨城)、福島への震災研修の話題(2021年から毎年。取り組みにとても共感!)。
— 愛球人 (@aikyujin) March 7, 2024
今回の主人公、「#倉持郁香」さん。東北研修がきっかけで「災害支援看護師」を志したとのこと。
「志」、絶対に叶えて!
(https://t.co/6HTBwlCwQy)
今朝のNHK『#おはよう日本』、「#倉持郁香」さん。
— 愛球人 (@aikyujin) March 7, 2024
「自ら駆け付けられる看護師になりたいと思った」
これからより必要な道、なおさら応援だよ!
別の少女の
「過去を変えることはできなくても、過去から未来を変えることをしないといけない」
とても心に響く言葉です。
(https://t.co/6HTBwlCwQy)
第2の話題。「倉持郁香さん」(高校3年生[取材時。現在は、大学1年生]。茨城県取手市、取手松陽高校)。
(「郁香」と書いて「ふみか」、「取手松陽」と書いて「とりでしょうよう」と、それぞれ読みます。…って、「私立高校のような名前」ですけど、実は公立[県立]の高校です。)
内容としては、取手[茨城]で学ぶ高校生が、高校1年生のときから3年間、年末年始を活用して、福島(東日本大震災の被災地)を訪問する過程で、「災害医療の看護師」及び「自ら駆け付けられる看護師」という「志」を抱くようになり、昨春(2024年4月)から、災害医療の看護師を叶えるための新たな一歩へと踏み出す、という内容です。
「記憶ない震災 学び向き合う高校生」。「震災を学ぶ意味を考える」。
正直、とても深く考えさせられるのです。
自分自身、「阪神・淡路大震災」(小学4年生のとき、実際に被災した)、「東日本大震災」(社会人を経て、2回目の大学生活のタイミングで起きた。で、27歳~31歳のとき、延べ10回東北を訪れて、向き合い続けてきたこと)、この「2つの震災」が、「生き方」「価値観」に、とても大きく影響しています。
かわいらしく、それでいて整ってるボブヘアが似合う一方で、郁香さんの「とても真摯な眼差しの姿勢」が伝わり、「とても心を揺さぶられた」んですよね。そう、1人の人間として、「見習いたいです」と。
郁香さん、「志」を育み続けることは勿論、「初心」「原点」をずっと持ち続けて、そして、同じ看護師という志を持つ仲間と、御互いを高め合い続けて、「郁香さんだからこその、理想の看護師像」を明確にイメージして!と。1人の人間として、「応援の想いです!」。
(1/4)自分用メモポスト。今朝のNHK「#おはよう日本」5時台。富山(南砺市)の、井波彫刻のこと。
— 愛球人 (@aikyujin) September 30, 2024
技術伝承が課題とのことで、昨春から彫刻塾を開設したら、35人の参加者がの話題。
(NHKに深堀記事がなかったので、地元局のknbでリンク添付代用。)#野原陽万里
(https://t.co/u7jmAYDqxF)
(2/4)今朝のNHK「#おはよう日本」5時台、「井波彫刻」のこと。
— 愛球人 (@aikyujin) September 30, 2024
特に自分が心を惹かれたのが、26歳の「#野原陽万里」さん。彫刻塾の参加がきっかけで、昨年12月から正式に修行・弟子入りしたとのこと。
独特のなまりの話し方、さっぱりしたボブが似合ってる。
(https://t.co/u7jmAYCSI7)
(3/4)今朝のNHK「#おはよう日本」5時台、「井波彫刻」の「#野原陽万里」さん。
— 愛球人 (@aikyujin) September 30, 2024
彫刻塾の開設で、挑戦の敷居が下がったことで、野原さんに「道が拓かれた」。
「時間を忘れられるのが(自分にとって)楽しく夢中になれてると感じて、挑戦を決めた」、説得力が伝わる。
(https://t.co/u7jmAYDqxF)
(4/4)ものづくりは生活に彩りをもたらす、その意味でいつの時代でも必要な道。
— 愛球人 (@aikyujin) September 30, 2024
スタートラインに立ち、恐らく逆境もあると想像だが、野原さんだからこそ描ける人物彫刻、叶えよう!です(一本道でなかったから描けるのがきっとあるはず!)。#おはよう日本 #野原陽万里
(https://t.co/u7jmAYDqxF)
第3・第4の話題。「野原陽万里さん(26歳。富山県南砺市。2023年12月から井波彫刻の彫刻師になるための修業を始めている。「陽万里」と書いて「ひまり」と読みます)」、「田中ももさん(24歳。佐賀県大和町名尾地区。2023年2月から、名尾和紙の職人になるための修業を始めている)」。
(「井波彫刻」「名尾和紙」のいずれも、地域の伝統産業であるが、慢性的な担い手不足に苦しみ続けているとのこと。特に名尾和紙は、かつては100軒以上の工房が存在してたのが、現在は「1軒のみ」の「絶滅危惧種」の現況とのこと。)
手先が不器用(しかも「超がいくつも付くレベルで」です)な自分は、伝統産業に携わる云々とは真逆の人間ですので(泣)、伝統産業・伝統工芸の職人を志す人間は、ただシンプルに尊敬の思いに尽きるのです。
ももさんは、高校生のときから、名尾和紙の職人を志していたとのことですけど、陽万里さんは、井波彫刻の職人になることに憧れはあったとのことですけど、でも一方で「親族を含めて縁があった訳ではないので、自分が現実に職人になることは、想像ができなかった」とのこと。それが、彫刻塾を創設することが決まったことで、それまでは漠然と抱いていた「職人になりたい」が、一気に現実の景色として「道が拓けた」とのことです。
ももさん、陽万里さんの共に、職人という「志」に向かって励む姿、そう、「一心不乱」って感じが伝わり、自分も「とても刺激になる」です。
それに、こういう職人さんがいることで、自分たちの生活に「彩」が生み出される。ですので、「いつの時代でも、必要とされる存在」といえるんですよね。
で、ももさん。なんと昨年の10月に、愛子さまの訪問を受けたとのこと。
「私、ここで働くのがすごく楽しいんです。だから、愛子さまに、水の冷たさとか、流れる音とか、紙の感触とか、そういうのが新鮮で心地いいですね、みたいなことを言われて、そうなんです!そうなんです!って、嬉しくなってしまいました。大変さを上回る楽しさとかやりがいを持ってやってるので、大変ですねって言われるよりは、そういう風に言ってもらった方が、そうなんですよっていうふうになってしまいます。」
(2024年10月11日、「名尾手すき和紙」の工房を訪問された愛子さまに実際にお会いしたことを受けての、田中ももさんの言葉。)
そう、ももさんの「人間性」「感受性」「姿勢」が、とても素敵だからこその賜物といえる。そして願わくは、数年後、ももさんが一職人としてどう成長してるかの姿も耳にできると、1人の人間としてとても嬉しいです、の想いです。
実は、ここまでの「第1~第4の話題」。いずれも、NHK総合『おはよう日本』平日5時台の特集で取り上げられて、そこでとても心を揺さぶられたことです。
『おはよう日本』の特集って、7時台が最大のメインですけど、5時台の特集って、「NHKの全国のすさまじい取材網を結集したもの」って感じで、特に「『ひと』に光を当てた、ミニドキュメンタリー」的な特集、1人の人間として、学び感じることがとても多いのです。
そう、「早起きは三文の徳」を実感する感じでもあるんですよね。
(1/4)メモポスト。滋賀の地域交通のワークショップの話題。とても素敵な取り組みで、興味深い(鉄道ファンでもあるから)。
— 愛球人 (@aikyujin) July 13, 2024
調べると、滋賀県の主催の「未来アイデア会議」とのことで、今後、県内6か所で開催予定とのこと(@SHIGASMART2040s)。
(https://t.co/qu7kJC1M19)
(2/4)この、滋賀県の「未来アイデア会議」、リンク添付がこれ。→
— 愛球人 (@aikyujin) July 13, 2024
(https://t.co/kUWl90dtfW)
あとの5地域では、8月7日まで参加者募集中とのこと。知恵を出し合える場になると嬉しいし、この場に10代(高校生)がいることが「希望の芽」と映ります。
(https://t.co/qu7kJC1M19)
(3/4)滋賀の交通。今回の「未来アイデア会議」、滋賀県が策定した「滋賀地域交通ビジョン」が基になってる、これです。→
— 愛球人 (@aikyujin) July 13, 2024
(https://t.co/Ccy1GUqjF8)
近江鉄道が慢性的な経営問題と伺ってるけど、「より持続可能な交通」とは、この知恵が生まれる場になって欲しい。
(https://t.co/qu7kJC1M19)
(4/4)滋賀の交通を考える「未来アイデア会議」。
— 愛球人 (@aikyujin) July 13, 2024
「みんなが使いやすい交通手段が増えていったらいいなと思います」
と仰ってた女子高校生。「自分ごととして考えよう」の姿勢の証だし、この少女、どんな道であれ、「志」を叶えて、社会に貢献の一助に絶対になってね!
(https://t.co/qu7kJC1M19)
第5の話題。滋賀県の「未来アイデア会議」に参加した、ある女子高校生(名前が出ていなかったので、この表記にしています)。
正式にはどうやら、「滋賀の公共交通 未来アイデア会議」とのことで、滋賀の公共交通の課題(「持続可能な交通」の実現のために)を、6つの地域に分かれてワークショップを積み重ねて、県民の参加型であり方をつくりあげていこう、の趣旨とのことです。
自分は、「鉄道ファン」でもあることは、いままでのnote記事でも言及してきましたけど、「乗り物自体が好き」でもあります(尤も、船は苦手ですが…)。
それに、特に東北に向き合ってきた過程で、「鉄道がある景色は、当たり前ではない」こと、「地域それぞれの事情に応じた、より望ましい交通の在り方を描く・構築する」ことがとても大切になってくることを学び感じた、でもあります。
ですので、1人の人間として、この滋賀県の「未来アイデア会議」は、とても興味深い感じでいるのです。
で、滋賀県の交通といえば、「近江鉄道」「信楽高原鉄道」(後者は正式には「鐵道」表記ですが)と、2つの「ローカル線鉄道」がありますが、経営状況が悪い意味でネタにされる現況で、でも地域には絶対に必要であるといえる存在でと。
滋賀県の西部側(大津・草津・野洲とか)は、「京都に電車一本で行ける」「沿線に有力大学がある(立命館・龍谷)」とかで、交通については明るい見通しが恐らくある訳です。でも現実論は、それ以外の地域の方が多い訳で、そう、地方部に共通の課題の「The・車社会」。
「子どもにも、高齢者にも、妊婦さんにもを含めて、老若男女を問わず、誰に対しても優しい交通の在り方」。言葉にするのは簡単でも、では具体的には?というと、「とても重い問い」であると映ります。
で、「交通の在り方」を考えるのは、「自分たちの地域の在り方」を考える・問い直すことであるともいえると。「重い問い」であることの意味合いが、より増して映る感じです。
「みんなが使いやすいような交通機関が、どんどん増えていったらいいなと思います。」
(動画の「1:17~1:22」、参加した「ある女子高校生」の言葉。全体サイズは「1分40秒」。
会場は米原。滋賀の「湖北地域」[米原・長浜・木ノ本など])
かわいらしい、やや高音の声と、「結べるロブヘア」が映える少女(実際、会議の参加中は「1つ結び」にしていた)。言葉はシンプルだけど、そう、
「自分が住む地域のことを、『自分ごと』として向き合おうとする姿勢が伝わる。そう、物事(ましてやこの場合、自分自身の生活に直結すること)を『自分ごと』として考える・向き合うこと自体に、とても意義がある。」
そう、「自分ごととして向き合いたい、だから参加しよう」、この姿勢事態に「希望」を感じると。それで、取り上げさせて頂いたのです。それに、「眼差しから、本気さが伝わる」感じでを含めて。
これ、偶然にも、「日曜日の19時前の、NHKのローカルニュース」で取り上げられていて。自宅にいたときにということを含めて、これも「タイミング」「ご縁」だなといえる感じでと。
将来、この少女が、どのような道を志望するのかはわからないですけど、それが、何らかの形であれ、「滋賀の成長・発展に貢献できる一助になり得る道」であって欲しい。それだとより素敵だなあと強く感じます。
そして、この少女が、「自分らしく」生きる感じでありますように。
そう、昨年の「2024年」は、「絶望」「陰湿」「悲しみ」を感じる出来事が多い印象であった1年と感じてます。
だからこそ、社会的な意味での「2025年」は、「希望」を感じる出来事を、1つでも多く耳にできる1年であって欲しい、そう強く感じてます。
「科学化された野球・バスケ」は「むしろ大歓迎」と自分は正直感じてる。「運動はできないけど、スポーツ自体は好き」という人間が、スポーツに携わる道を拓けさせてる意味でも。
でも一方で、野球・バスケにだって「感性の要素」も、とても重要であると感じてる。そう、「科学と感性の融合」を、より追い求める感じであって欲しい!と。
そして、時間が押してきてますけど、「2025年の1回目のnote記事」ということで、
自分も、見逃し配信でですけど、イチローさんの『情熱大陸』、観させて頂きました。
「いまのメジャーリーグ(MLB)の野球スタイル、(見ていてストレスが)たまる、たまる。めちゃめちゃたまるよ。退屈な野球よ。」
「勉強が出来る人たちに支配されちゃっている。選手のメンタルとかはデータに反映されない。見えないことで大事なこと、いっぱいあるのにな~って。」
「アメリカは個人(個性)を尊重する文化かなと思っていたら、みんな巻かれていく。みんな同じ野球。怖いよね、この流れは。日本は何年か遅れで、それを追っていくので、それまた怖い。」
「『科学化』の流れが加速度的に進んでる野球、バスケットボール」。
野球だと「セイバーメトリクス」、バスケットボールだと「アドバンスドスタッツ」。
実際、いまの自分がいる大きな1つに、「野球、バスケットボールの『科学化』の恩恵」があります。統計技術の浸透・活用自体は、自分は「プラスなことがより大きい」と正直感じてます。
ですけど、「野球、バスケットボールの『科学化の流れ』は、『光の要素』も多いけど、それと同等程度には『影の要素』も正直大きいのでは?」とも、正直感じてます。
より深く述べれば、「何でもかんでもを、『科学』で単純に説明し切れることではない」とも、正直感じているのです。
「大谷翔平」「河村勇輝」。この2人が、なぜ多くの人間に愛されるのか、これほどに話題になるのか。
勿論、「数字的なすごさ」も、理由の1つでしょう。ですけど、大谷、河村の「すごさの本質」は、「『科学的な要素』以外の部分」、つまり「感性の要素」にこそあると、正直感じてるのです。
これをうまく言語化し切れないことが、正直とてももどかしいですが。
「『科学化されつつある』、野球・バスケットボール」。
これは、1人の人間、1人の野球・バスケのファンとして、正直「とても興味深いテーマ」です。
いままでの自分のnote記事でも、データを駆使して綴ってきた。「科学」と「感性」の要素でいえば、恐らく「50:50」よりは、幾分かは「科学」の要素が強いかなと、自分は正直感じてます。
「科学化されつつある」からこそ、「運動は苦手だけど、野球・バスケが大好き」という人間が、野球・バスケのチームに携わる道が拓けてきている、この面は正直強くあるのでは、と感じているのです。
ですけど、いま、MLBやNBAは、「観客数の減少傾向」が指摘されてます。その大きな理由が、「科学化が高度に進行して、野球・バスケがあまりに効率的になってきているから」。
野球でいう「フライボール革命」、バスケットボールでいう「3ポイント革命」。これは正直、それぞれのスポーツに、よくも悪くも「とても大きな影響を与えた」と映ってます。
特に、バスケの「3ポイント革命」。自分がBリーグを生観戦し出した当初は、「ストレッチ5」という概念は、まだありませんでした(「3ポイントシュートを打てるセンター」のこと)。それが、特に「2021-2022の頃」からは、「3Pシュートができないビッグマンは、最大で1人まで」と科学的に証明されたので、「この流れには抗えない」に、明確になっています。
実際、いままでも事例的にはそうで、
「ジャクソン、エチェニケ」(広島、2021-2022)
「ジャクソン、ディアロ」(京都、2023-2024)
「コッツァー、イングリス」(横浜BC、今季)
3つのいずれのケースでも、チーム成績の低迷・失速の大きな要因に、正直なっています(イングリスは3Pが全くできない訳ではないが、欧州時代のプレー傾向から、コッツァーと「両雄並び立たずのリスクがある」の指摘は、正直既にありました。しかも、コッツァーが「唯一無二の『ポイントセンター』として、スタイル的な生命線になっている」ことに照らすと、イングリスは、現況のままだと「今オフで放出は、ほぼやむなし」のフラグに既になりつつあります。それでいてコッツァー、イングリス、共に「30分換算EFF」自体はよいことが、「たちが悪い」にもなってると)。
「この流れは、もう止まらない」ということかなを、突き付けられてるのがあります。
今季(2024年8月)から、フィリピンリーグのPBAで導入されている「4ポイントシュート」。自分は、いままでは「どうなるか、見てみよう」の考えでした。
ですけど、この年末年始で、あくまでも現時点でではありますが、自分の考えは決まりつつあります。
「4ポイントシュートの導入は、2026-2027での『B.PREMIER(新B1)』の導入と同時に、日本でも導入することが、より望ましい。
そうすれば、いままでのように『4Qのクラッチタイム(90秒タイムアウト突入時)の時点で、7点差以上がついていれば、ほぼ決まり』とか、『4Qのラスト2分で、点差によっては、負けている方は『ファウルゲームしか、打開できる方法がほとんどない』という状況が、恐らく結構変化するからと。
そう、『最後の1秒、最後の1本まで、より面白くできる』意味で、『4ポイントシュートの導入』は、恐らく必要ではないか?と。これは『柔よく剛を制する』の観点からも。」
萎える(なえる)んですよね、終盤のファウルゲームは。それでいて、ファウルゲームで逆転できる確率って、恐らくさほど高くはない(30%もないのでは?と)。
それであれば、一発大逆転の「4ポイントシュート」にかける、その方が、「よりスリリング」で「面白いじゃない」と、自分は思うのです。
特に日本(Bリーグ)の場合、「3Pの名手」的な選手が、多くのチームに1人はいます。例えば、
「富樫」(千葉J)、「齋藤」(名古屋D)、「比江島」「遠藤」(宇都宮)、「辻」「細川」(群馬)、「安藤誓」「津山」(島根)、「安藤周」(A東京)、「前田」「古川」(京都)、「橋本」(大阪)、「山崎」(広島)、「佐々木」「大浦」「津屋」(三遠)、「金丸」「狩野」(佐賀)、「岸本」「松脇」(琉球)、等々。
いま、日本人選手だけで「20人」を挙げましたけど、恐らく他にもいるかなと想像です。
ラストプレー、60秒タイムアウトを取って、デザインプレー。
4点差、ここで「4ポイント」(または「3ポイント+バスカン」)を決めてくれ!の場面。
例えば、「島根」、「松江市総合体育館」。
「安藤誓-津山-晴山-クラーク-ニック・ケイ」。
安藤誓、津山、晴山ならば、「4ポイント」も現実的に可能です。
そう、選択肢が3つあるので、「デザインプレー」がより決まりやすい。プランAができなくても、プランBも用意できる意味でもと。
「科学化されてるバスケ」の恩恵を特に受けてるのが、「中山拓哉(秋田)」です。
実は、この中山。「バスケIQ」の塊であると、いままでも自分のnoteで何回か言及させて頂いたことがあるかなですけど、でも実は、「得点能力自体は、あまり高くない」のです。
「TS%」自体は「52.8→54.0→46.3→51.3」。例年、「50%を少し上回る程度」です。「FG試投数」も、30分換算で「多くて8本程度」です。
「USG%」は「13.4→13.2→14.6→16.1」。いわゆる「コンボガード」では、とても低い数値です(あまり高いと「ボールホグ[ボール独占傾向]」として問題ですけど、あまり低いのも「望ましくない」といわれてる)。
特に「3P能力」は「永遠の課題」といってよく、2021-2022までは、3Pは「試投率、成功率が共に高くない」の選手でした(いまは、3Pの試投率は平均的ですが、成功率は昨季から2年連続で「30%未満」です)。
これだけをみると、「アンチアドバンスドスタッツ」に見えます。ですけど実は、中山は、「従来的な指標」よりも「現代的な指標」でこそ、「そのすごさをより説明できる選手」という独特の特徴があります。
【中山拓哉(秋田)、「30分換算EFF」。】
(21-22~今季[24-25]の4年間で。)
(21-22[12.15]→22-23[13.31]→23-24[11.52]→今季[12.78])
Bリーグのレベル上昇が始まったのが、「21-22」からだといわれてますが、そこから4年連続で、「30分換算EFFで『10点超え』」。
特に昨季は、10月の「最初の7試合」(欠場が2試合ある)は、「キャリアワーストといえる、絶不調のパフォーマンス」でした(しかもこの間「2勝7敗」)。それなのに、終わってみれば「例年通りの数値」を叩き出してる(チーム自体も、ある程度は巻き返してた)。
「得点能力が高くない」「FG試投数自体が多くない」のに、なぜ、「EFFで安定して10点超え」を叩き出せるのか。
そう、「得点面以外での、あらゆる要素の『質がとても高い』から」。
「パス」「守備」「リバウンド(ORを含めて)」、いずれの質も高い。
「BIG3」を支える「4~5番目の選手」としてだと最もベストというのは、そういう意味でです。
はっきり述べれば、中山(秋田)は「とても過小評価されている」。
特に、日本代表のトム・ホーバスHCの「絶対に中山を呼ばないマン」ぶりは、「正直、1ミリも理解できない」感じです。
特に「守備意識」「オフザボールの動き」は、自分は「日本人選手で1,2位を争う」と強く感じてます。惜しむらくは、「中山を日本人でno.1の位置付けにせざるを得ない、慢性的なチーム事情」でしょうか。
(本来は、中山がno.2で、別に「日本人選手の得点源」を擁してることが理想。昨季までの古川も、勿論良質の選手ではあったのだが、例えば「安藤誓、ベンドラメのレベルの選手を、日本人のno.1の位置付けにできる」であれば、より望ましかったと。
2022年オフに、ベンドラメと交渉のテーブルに就いたといわれてるが[なお、資金面で開きがあったなどで破談になったといわれてる]、自分は、1人のバスケファンとして、ベンドラメと中山が同じチームでプレーする姿を観たかったが正直な本音です。
尤も、ベンドラメも中山も、「生涯SR渋谷」「生涯秋田」だから、とても素敵なんだよ!の感じでもあるんですけどね。)
…って、「2025年の1回目のnote記事」、なんだか「堅い内容の記事」になった感じですけど、ある種、「自分らしくもあるかな」の感じで。
「科学化された野球・バスケ」、自分は「むしろ大歓迎である」が正直な想いです。でも一方で、「科学だけでは、全てを説明し切れない。感性の要素も、少なからずとても重要である」とも、とても伝えたいことです。
では、2025年、今年も何卒よろしく御願い申し上げます。
【社会貢献#13A】【エッセイ#52A】【バスケットボール#56A】【野球#14A】
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