華僑と印僑があるのに、なぜ、和僑はないのか? (3)
新渡戸稲造の『武士道』、 #内村鑑三 の『代表的日本人』、 #岡倉天心 の『茶の本』の三冊は、明治時代に日本人が英語で書いた著書として有名であり、日本文化に学術的な興味を持つ海外の研究者や教授などの三大必読書です。これらは日本人によって書かれているため、第三者的な視点から参照されることが多いのが、 #ルース・ベネディクト の『 #菊と刀 』です。
#新渡戸稲造 が『 #武士道 』を書いた背景には、『キリスト教的背景を持つ欧米諸国から日本人の道徳観はどこから来ているのか理解できないと指摘されることが多かったので、新渡戸稲造が日本人の道徳観を示すために書いた』と、私は中学校の国語の授業で習った記憶があります。しかし、私は教師の説明を鵜呑みにするほど単純ではないので、彼の主張が正しいかどうかは検証する余地があると思います。
ちなみに、日本に #士農工商 の身分制度があったことは、小学校の社会科で習った記憶がありますが、私は小学校の教師の説明も完全には信用していません。武士の人口比率は時代によって変わりますが、小学校では覚え易いように、武士人口7%、農民85%、町人5%、その他3%と習いました。当時は、士農工商に加えて、穢多(えた)、非人(ひにん)という身分とは異なる差別用語や概念もあったことを教えていました。近年では穢多、非人と漢字表記するだけでも、大問題になることが多い用語ですが、実在していた概念を無かったことのように捉えるのは、それはそれで問題があるので、小学校で教えていたという事実についてのみ言及します。
この比率から考えると、たった7%の支配階級である武士の規範が、日本国の道徳観を代表するという説明には納得がいかないと感じた方も多いでしょう。一方で、日本人が中世ヨーロッパの王政や、現代のサウジアラビアやブルネイのような君主主義国の統治方法や臣民の反応などから、それぞれの時代や国の道徳観を捉えることは、正しいという見方もできます。
天皇へのキリスト教徒の不敬を弾劾した明治の哲学者で詩人の #井上哲次郎 や、俳句を英訳した最初の人物の一人であり、『Things Japanese:日本事物誌』や、『口語日本語ハンドブック』などの著作、『君が代』や『古事記』などの英訳、アイヌや琉球の研究で知られる #バジル・ホール・チェンバレン 、歴史学者で思想史学者、皇室学者の #津田左右吉 などからは、新渡戸稲造の『武士道』が誤った日本像を海外に広めているという批判も存在します。
Ryéさんからのコメント『俗に言う大和魂は、おそらく日本人のアイデンティティではなく、一種のプロパガンダであり、アイデンティティ希薄さ故に日本人は異文化に馴染みやすいのかなと思います』は、私の認識と非常に近いです。私も大和魂や武士道、茶道などを引き合いに出して日本人の道徳観や気質を語ることは、単なるプロパガンダに過ぎないと考えています。
私は飲み物としての抹茶を好み、抹茶椀や茶筅などの茶道具を持っていて、日常的に抹茶を楽しんでいます。但し、自宅で抹茶を点てるのは、単純に美味しいお茶を飲みたいからであり、礼儀作法や精神修養とは関係ありません。これは、抹茶アイスクリームを楽しむのと変わりません。然しながら、日本の多くの家庭には茶筅すらないでしょう。
つまり、 #茶道 や #詫び寂 の精神を通じて日本文化の一面を説明することは可能ですが、それを日本人の精神の根底にあると断定するのは、大きな偏見を持った考えであり、日本を海外に正確に伝えているとは言えません。『 #忍者 』、『 #腹切り #ハラキリ 』、『 #芸者ガール 』、『 #カミカゼ (特攻隊)』、『ヤクザ』、『空手』、『アニメ』、『トヨタ』、『富士山 #マウント・フジ 』を日本人の精神の基礎として説明するのと同じくらい不適切な説明です。これらの誤解が生じた根本的な原因には、新渡戸稲造の『武士道』が、日本人像を適切に伝えていないことに一因があると考えています。
Ryé:『海外に移住し、馴染んでいる日本人の方々は、むしろ日本人の気質に違和感を感じている方が多いのではないでしょうか?』
これに続くコメント内容も、ほぼ私の感じていることと同じです。Ryéさんも私も海外生活が長いので、日本に住む日本人に対して同様の違和感を抱いています。
つづく…
華僑と印僑があるのに、なぜ、和僑はないのか? (4)
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