見出し画像

【ミャンマーNGO記③ 自己犠牲という『世界の損失』から、在りたい自分の姿へ】

(これまでの記事)

今日は、NGO職員として1年滞在する中での、
私の個人的な、内的な心象風景を、綴っています。

働くことに疲弊してしまったり、職場の人間関係で消耗している人、
自己否定を強めて、辛い思いをしている方へ。

少しでも、こころが軽くなればいいなと願いながら、書いています。


ずっとNGOで働くのが夢だった。

ちゃんと、現地の子どもたちのために仕事を完遂できる自分でありたかった。

夢は大きかった。

結局、その大きな夢を胸に抱きながら、現実に突き付けられたのは、

組織の中で、仕事ができない、自分だった。

でも、一番しんどかったのは、

現地での生活や、仕事の内容ではない。

所属する組織内の、日本人との人間関係だった。

仕事を始めたその月から、生理が止まった。

(そこから、私の身体は、生理を戻すまで、ほぼ8年をかけた)

体がその人との関係に、多大な緊張とストレスを感じていたことは明らかだった。

体は、嘘をつかない。


でも、本当に一番のストレス要因だったのは、自分自身だった。

現地の人のためになることよりも、

上司や組織内の人間関係を優先して、エネルギーの80%をそこに消耗させ、

その人たちの目を気にして、体裁を取り繕うとする『自分』が、

誰よりも一番、嫌いだった。

意地汚くて、醜悪で、あさましかった。

そんな自分は、誰にも知られたくなかった。

そんな自分は、誰にも見られたくなかった。


異国の地で、周りに日本人もいなければ、

深く自分をさらさずとも、ある程度表面的に、生きていこうと思えば、生きていける。

そうした状況に逃げてもいたし、

そうした状況が、余計に、孤独を加速させた。

けれど、いつだってどこに行ったって、自分の眼だけは、ごまかせない。


求められている仕事ができない、自分への無価値観。

世界から、ずるい自分の身を隠していると思う、自分への罪悪感。


とてもじゃないが、自分を好きになんてなれるわけがない、

日常の、膨大な調整業務や事務処理の裏で、心理的には、究極的な泥沼の中に、落ちていった。


現地の人たちは、素朴で、言いようもないくらい、ピュアで、やさしかった。

子どもたちは、笑顔を向けてくれて、

ご近所の大人たちは、かいがいしく私の世話をしてくれた。

職場のお隣に住むご夫婦は、

「愛子は、子どもたちのためのNGOで働いてる。

 そんなら、わしらは、愛子のためのNGOだ!」

とまで言ってくれた。

そこまで、ありがたく、現地の人に大切にされていた自分だった。

私が家をひょっこり覗いて挨拶をすれば、いつの間にか座らされて、いくらでもご飯を出してくれたり、

仕事で遅くなり、自転車でアパートに帰る気力のない私を泊まらせてくれさえもした。

純朴な村の人たちに愛されるには、事欠かなかった。


食事が荒れた。

ただでさえ、油の質が悪い国で、一人になったときに暴飲暴食をして

体の中もボロボロになった。

わざわざ、日本の母親から、ミャンマーの片田舎まで、薬やサプリを送ってもらわないといけないくらい、

体調はどん底になる。


胸の内を吐露できる相手もなく、

複雑な色模様を織りなす、自分のこころは、いつも、混沌としていて、果てしなく、孤独だった。

望んで、一人海外にやってきては、

何とも言えない寂しさや苦しさが入り混じった微妙な感情を、自分自身も把握することもできず、

もちろん表現もできず、

戸惑いと、不安と、抗えない寂しさが、いつも渦巻いていた。

自分でも、どんな感情が起こっているのか、混乱していて、とても分からなかった。

自分にすら、分かってもらえない、感情が

寂しい、悲しい と言って、泣き続けていた。

どれだけ、表面的に海外で現地の人と、通じ合えることがあっても、

その「通じ合える」領域というは、人間にとって普遍の領域として、大まかなものであったりする。

いまだに、日本人として生まれた以上、母語を通して、

微細で繊細な、感情の機微までは、異国文化の人と共有することは、ある程度難しいと、思うのだ。

自分の母語で語りながら、自国の文化を共有する人にでないと、

理解し合えない、大まかな感情の輪郭にある、あわいのようなものがある。


「愛子は、家族だから」

現地の人を理解しようと、言葉を覚えようとした私を、

現地の人達は、やさしく全面的に受け容れてくれていたけれど、

おそらく、私はずっと、異国の文化の中に浸かることを求めながらも、

日本人として日本の感受性を持つ自分が、ほっとできる、

「(わたしにとって、) "家族" (と感じられるもの)」を、切望していたのも、また事実だった。


今振り返ると、分かる。

この頃、最低ラインまで、自分をないがしろにし、

自分を過酷な状況に追いやり、

心身のダメージを最大限にして、

必死に立とうとし、

孤独でつらくて叫びたかった時間が、極点に達したから。


この経験が、私の視点を、その後の人生、

外側ではなく、

わたし自身(からだ)の中へ向けることへ、方向転換させるきっかけになる。


組織の活動の物語ではなく、

『私個人』の物語としては、


「子どもたちのために」

「関わる人のために」 

なんて

どんな大義名分を掲げても、

どんな美しいビジョンを掲げても、

結局

"自分をないがしろにした先に、

世界の誰も、大切にすることなんて、できない"


このシンプルな事実を、身を持って理解したかった経験だったのだろうと、思う。


崇高な理想を胸に異国まで一人旅立っても、

結局、一番悩んで苦しむのは、身近な人間関係だった。

そうしたものなのだなぁ、とつくづく理解した。


ずっと日本社会に馴染めず、

途上国の人達の、貧しくともパワフルで、底知れない笑顔と、楽天性に惹かれて、

そうした人たちと共に生きていきたい、と思ったのが、

NGOの仕事を選んだ大きな理由のひとつだったが、

小さなNGOは、日本社会をぎゅっと凝縮した縮図であり、

日本を離れた陸の孤島で、

日本人との濃いコミュニケーションという、私が一番逃げたかったものから、

一番、向き合わざるを得ない状況があった。


多かれ少なかれ、そうした場に行こうと指向する日本人は、

ある種、「日本社会の通常枠」と言える場所の中にいることよりも

一匹狼で、自分がある程度裁量が自由な中で生きられる方が 楽だ、と感じる、

個性的なマイノリティが多いのかもしれない。


結局、辛かったのは、

求められる仕事ができない自分の「無能感」を突き付けられ続けていたこと、そして

組織内の、人間関係。


でも、自分のその「無能感」も、罪悪感も、

より味わい切って、より、わたしは自由になっていい、と許可を出していくために、

こうした現実が私個人の目の前に現れていたように思う。


「ここではないんだよ、あなたがいる場所は」

「あなたが、あなたのままで、幸せになれる場所が、絶対に、ある」

「あなたが、あなたのままで、あなたの力を存分に活かせる場所が、あるし」

「あなたが、あなたのままで、あなたを必要として、大切にしてくれる人達が、いるから」

「だから、あなたは、自分を、否定しなくても、だいじょうぶ」


それを心底理解するために、

自分を追いつめる状況を、自分で用意したらしい。


自分に起こる、望ましくないすべての出来事は、

「もっと、自分を大切にして、いいんだよ」 という、神様からのメッセージ。


「あなたは、大切にされなければならない、存在だから。

 あなたのこころと体が痛い状態は、わたしという、生命全体にとっても、悲しいことなのよ。

 だから、決して、自分を、犠牲には、しないで。

 それは、世界全体にとっての、損失なのよ。

 あなたは、あなたのそのままで、心地よく、楽に、いて、いいんだよ。

 あなたのままで、

 世界に愛を循環させることが、可能だから。

 それが可能なのだと、自分を、ゆるしてあげて」

そうした、声だったと思う。

この頃の私は、まだ、このことのかけらも、理解していなかったと思うけれど、

10年経って、今なら、分かる。


自分自身が、自分を、どんな情けない(ように見える)自分も、

どんなあさましい(ように見える)自分も、

封じることなく、「それも、あなただから。でも、本当のあなたは、何も、悪くないから。」

と、自己批判なく、受け容れてあげられていったら。

そして、

ちゃんと、無意識を代弁する、身体の声に、耳を澄ませてあげ、尊重してあげられたら。

やっと、そこから、自分を取りまく世界も、また、やさしいものに、変わっていくのだ。


自分自身を幸せにしてあげられない人に、他者を幸せにしてあげることは、難しい。


ミャンマーのNGOの仕事は、何年も望んでいて、やっと勝ち取った、

心からやりがいのある仕事だった。


自分の手で関われる事業レベルで、

人間として、尊敬していた、大切なミャンマー人の僧侶、尼僧の先生たち、子どもたちの実際の役に、
直接立てるということは大きな喜びだったし、与えられた役割を任命してもらえたのは光栄だったし、

幸せでしかなかった。


だから、求められる仕事がうまくできなくても、上司との関係がうまくいかなくても、

なんとか必死に、しがみついて、自分を叩き上げていくのが当然だと思い、

そこに自分の身を捧げていこうとしていた。


犠牲にするものがあっても、絶対に自分がやりたいことなのだから、仕方がない。

全てが満足いく仕事なんて、ない。

そう、自分を納得させようとしていたし、

それくらい、熱量と愛を注いでいたから、

身体が発するSOSを、なかなか、自分でも、認められなかったのだ。


「わたしは、苦しい」 「わたしは、もう、やめたい」

それは、私の無意識が発している声だった。


「ここにいたい」 「でも、苦しい」


そうして、その相反する葛藤の限界が来たときに、

無意識は、「もう、我慢しなくても、いいよ」 

と言いながら、強制終了の現実を目の前に届けてくれる。


それは、わたしにとっては、突然の、仕事の契約不更新の通達(つまりクビになった)であり、

そして、業務の最後に起こった、皮膚感染症の入院だった。


それくらいの事態が起こって、初めて、

やっと、わたし自身が、手放せるようになるからだ。


「楽になって、いいんだよ」 と、自分が、自分に、許可してあげられるように、なるからだ。


組織を、批判したいわけではない。

どんな組織も、多かれ少なかれ、

そこにいるのが不完全な「人」の集まりだからこそ、

また不完全性が生じるのは、当然だと思う。

特に、昭和の時代にできた古い風習の組織では、

長年そこで、一生懸命働いてきた職員たちが強固になり、

若い人材とうまく嚙み合わなかったり、彼らの芽を潰しやすかったのも、
無理からぬことだったかもしれない。

(その古い世代は、そうして若い世代から無理解からくる批判を受ける、辛い立場でもあったかもしれない)

国際協力の現場は割と女性の比率が高いため、女性が管理職になることも多く、

未婚のままキャリアを積んでいく40ー50代の女性たちを、蔑み嘲笑する、

ドナーや組織上部の男性達の声も、直に耳にすることもあった。

それを直接的にか、無意識的にか彼女たちは察して、

より、管理職の女性たちは、心の壁を強固にして自分を守るために、

かたくなになっていくのかもしれない。

(あるいは、いつしかそこを越えて、自分の生き方に、より清々しさと覚悟を持って生きるようになっていくのかもしれない)

ある程度、裁量と権力、仕事へのプライドを手に入れてしまったら、なおさら、

その強い立場にいる人は、自分のこころの弱さやもろさを、認めづらくなり、

パワーで自分の思う通りに人を動かそうとしてしまうのかもしれない。

自らの微細な感情の動きを自己観察したり、

フラットなコミュニケーションをすることなど、おそらく私たち全員が、これまで学んでこれる環境にいなかったし、

だからこそ、集合体としての組織の風土も、凸凹しているのも当然で、

個性的な人たちの集合で、入り組んでできていたから、組織全体の、弱さもあって当然だった。

みんな、必死なだけだったと思う。


結局、この時のミャンマーでの仕事の経験は、

私にとっては、自分の資質についても、振り返り、

より自分を知る、経験になった。


組織で仕事として求められていた力と、

自分が自然と持つ、力(資質)の違い。


「使命」と思い込んでいたことをゆるめて、

無理をせず、ナチュラルな自分のままに、自分を活かしていく場所を探し始める、

きっかけになった。


「自分への尊敬」を、思い出したい、という、私の魂のひとつの呼びかけ。


私が、私の心身に負荷をかけ、思い切り痛めつけたから。

物質的に、この時受けた、予防接種と感染症の後遺症は、

その後10年、私の身体に制限をかけるようになり、

そのおかげで、

私は、現代医療界に対する疑問を抱かざるを得なくなり、

自分で、自然の力で治癒していく方法を、見出すようにも、なった。


数年後にパンデミックが起こった際には、当時私が打った予防接種よりも、

数段毒素と薬害の大きい予防接種の危険を、自分から理解しようと努め、その危険をかわす自分になっていた。

そして、後遺症で苦しむ人や、家族が亡くなられた方のヒーリングに携わるようになった。


このミャンマーでの経験がなかったら、

私は、ヒーリングの道に進むこともせず、

パンデミックの際に、世界のあらゆる構造が虚構の仕組みでできていたことにも、

気づくのが大分遅かったかもしれない。


すべて、丸ごと、私の魂が、経験し、刻み込みたかった学びで、最善のタイミングで執り行われていた。


もちろん、当時は、身体的・感情的には、ミャンマーを去ることにも、多大なものがうずまいて、

なかなか気持ちの整理が付けられなかった。

それくらい、『ミャンマーでのあらゆる経験』 は、

私にとって、深く愛しているものだったが、

その「愛する体験」の中に、ある種の(自分への)大きな暴力が含まれており、

自分が傷つき、被害を受けていたことを、認めるのが、辛くてできなかったのかもしれない。

「愛」は、単純なものではない。

深く、尊敬し、愛を捧げているが、

圧倒的に、「もう、嫌だ」 も、同時に、かなりあった。

さらに、深奧で、その「もう、嫌だ」 という気持ちを抱える自分自身を、

「そんな風に思ってはいけない」と封じ込め、責める意識も

存在していたのだ。


傷が深いからこそ、

何度も何度も、癒えるために、この経験に戻っていく必要がある。

それくらい、自分にとっては、大切な経験だった。


今年の夏、数年ぶりにこの経験を思い出し、綴りながら、

子どもたちの顔や、

関係した人たちの顔、

もう何年も会っておらず、距離を取った人たちの顔が思い浮かんできた。

傷つけあった人に対しては、ずっと、思い出すこともなかった。

けれど、無意識の深いところでは、ずっと彼らの存在は、私の中で、影としてさまよっていた。

改めて、一人ひとりに、念で、感謝と愛を送る。

ありがとう。

あなたの存在と、あなたとの経験のおかげで、こころから、たくさん学べました。

本当に、貴重な宝のような経験でした、わたしにとって。

● ● ●

だれよりも大切な、自分自身へ。

わたしは、今、あの時の弱かった自分自身に、今、語りかける。

「よくやったね。」

「自分を心底否定して、辛かったね。」

「でも、本当に、なくてはならない、大切な経験だったね。」

そう言いながら、そっと抱きしめる。

わたしよ、一生懸命、精一杯、頑張ってくれて、本当に、ありがとう。

● ● ●

わたしは、あの時のあなたに、語りかける。

「あなたも、心底、苦しかったね。」

「孤独で、辛かったよね。」

「たくさん、たくさん、迷惑をかけて、ごめんね。」

「でも、一緒に、人生のひと時を共にして、学び合ってくれて、本当にありがとう。」

「あなたの存在は、わたしの人生の中で、なくてはならない、存在だった。」

「あなたも、あなたの光を、どうぞ、そのまま、さらにさらに、輝かせてくださいね。」

「あなたが、あなたの思う何万倍も、素晴らしいことを、私は知っているから」

「あなたの、素晴らしい笑顔と輝きを、こころの眼で、見つめています」

そして、特大の花束を、渡していく。

● ● ●

そうして、目を閉じて、

こころの中で、一人ひとりの登場人物と、互いに、深く礼をすることを、続けていく。

「ありがとう」 と、抱きしめていくことを、続けていく。

過去の中に埋もれた傷を、もう一度見つめ直すことをいとわず、

癒していく。

こうして、何度でも何度でも、いくらでも、時間とエネルギーをかけて、

ほんの小さな、けれど、実際には、水面下に隠れた氷山のように大きな、

骨身と細胞のどこかに記憶された、あらゆるトラウマを呼び起こし、抱きしめなおし、解消していく。

今、またこの記憶が浮上できるようになったのは、私にとって、また大きな、祝福だ。

もう、これからの私に、そして、私が未来で関わる全ての人に、
次の世代に、残していく必要が、ないからだ。


ミャンマー滞在以後、10年間、毎年起こっていた、足の皮膚の炎症は、

今年、起こらなくなった。

癒しが、無意識下の深いところで、進んだのだと思う。


大切なのは、どこまでも、自分を知っていく、ということ。

知る というのは、大切にする ということと、同じ意味だと、思う。

自分は、何が、幸せで、

どんな、性質を持っていて、

何を、心地よいと思うのか、

何が好きで、

何に、夢中に、なってしまうのか。

だれと、一緒に、いたいのか。

自分の授かった力を、どんな風に、世界に捧げていきたいのか。


その要素は、

自分の中で、ずっと変わらないものもあるし、

流動的に、微妙に変わり続けることも、ある。

だから、大切なことは、

いつも、たゆまず、そっと、一番こころとからだの奥の繊細な場所に、

触れ続けて、「それを、知りたい」 と、やわらかな関心を持ち続けること。

素の自分を曲げることもなく、

自分の信条にも直感にも、嘘を強いることなく、

自分を、かたくなに、硬直させることなく。

ただ、やわらかく、

ありのままの自分で、

全自然界と調和し、

愛を発し、愛を受け取る、その状態は、

おのずと、全世界へ、貢献していることになる。


わたしは、それを、より、信頼していく。

そうして、より、今ここに存在することに、感謝と平安を深めて、

幸せに、存在し続けていたい。

それを、(わたしがその一部でもある)「生命の全体性」も、喜んでくれるから。

「生命の全体性」―― 時間と空間の多次元性を、すべて包括する、

その世界。


今、わたしが、最上級に、「今ここ」の瞬間を、歓んで生きることに、

その全体性は、深く、歓んでくれることを、わたしは、知っている。

人生の岐路は、いくつかあるけれど、

私の、心身魂の10年間の学びのスタートは、この頃から始まった。

ミャンマーでの、深く濃い経験の一年に、

これまでとは一層違う深度で、角度で、透明度の高い色で、

改めて、何度も、「ありがとう」と、言える。 

そのことが、私にとって、とっても、嬉しい。


ありがとう。

大好きだよ。

本当に、ありがとう。

私の暮らした、ミャンマー。

ミャンマーの人。日本の人。

イラワジ川の夕陽。 

あの時、がんばっていた、私。

きっと、私の過去の人生のどこかで、縁が深かった場所。

夕暮れ時のイラワジ川に集まってくる人々。みんな、言葉なく、でも、ここに、一つになって。
スタッフみんなのお父さん的存在だったトータさんと、訪れたある村で「アリガトウ」と片言の日本語を話してくださったおばあさん。昔ここにいた日本軍に、教えられたそうだ。老婆に深く頭を下げた。
夜間小学校の事業地で。小学校に通えるのが嬉しくて、4時間前からリュックを背負って、嬉しそうに飛び跳ねていた子。知的障がいがあった。ある日突然、肺を悪くして亡くなった。亡くなる直前に、2歳の時に蒸発した父親のことを口にしていたそうだ。お父さんのこと覚えてるよ、お父さんに会いたい、と最後に言葉にしていたとのこと。一等、美しい魂だった。
夜間小学校の事業地の村の子どもたちと

私が、国際貢献事業の一枝にしがみつきながら、仕事に悪戦苦闘していたころの話を、

読んでくださって、ありがとうございました。

自分のありたい姿で生きられる場所は、100人いれば100通り分だけあって。

私たちは、一人ひとり、それぞれ、より、自分のありたい姿、今回の魂のあるべき姿で生きられる空間を、

探し続けているように思います。


これを読んでくださっているあなたは、

今、どんなことを、感じていますか?

今、どんな環境で暮らしていて、

どんな 人間関係に 囲まれていて、

どんな 仕事をして、

何を 感じていますか?


あなたが、自分の 「感じること」 を大切に、していることを、願っています。

あなたが、自分へのやさしさを、深めていて

その結果、あなたの周りに、やさしい人が集まってきてくれていることを、願っています。

あなたが、こころから、喜べることを、思う存分、楽しんで、

世界もそれを見て、喜んでいることを、願っています。

それが、全世界にとっての、最大の貢献だから、です。

あなたが、自分を、だれよりも、大切にしながら

自分自身を、最高に、活かして、喜びのままに

存在し続けて

最高の笑顔で、笑ってくれていることを、願っています。


もしかしたら、10年前の私のように、

今あなたのいる地点からは、それは、何年もかかる道のりかもしれない。

それでも、今 この瞬間、自分の一番純粋な内側の声を無視せず、

その声に導かれて、歩んでいけば、

必ず、たどり着く場所です。


もし、何か、自分が我慢していることが、あるなら。

自分で、自分を傷つけていることが、あるなら。

辛さ、痛み、恥、恐れ、何かのネガティブな気持ちが、あるとしたら。

「あなたの向かっている方向は、そちらじゃないよ」 と、

神様が、あなたの感情や、からだを通して、やさしく、教えてくれているのだと、思います。

その大切なサインに、耳を澄ませてあげてください。

そのサインは、恐らく、最初は、見るのも、聴くのも、嫌かもしれませんが、

その、「嫌だな」と、抵抗を感じるものの中にこそ、

真に自分が求めるものが、あったりします。


何を、自分に、ゆるしていないのか。

何を、聴いてほしいと、願っているのか。


いつでも、時間をとって

その、一番 大切な 自分の中の空間に

降りていって、あげてくださいね。

きっと、答が 見つかると、思います。



そして、もし、深く、自分の中を知っていきたかったら、

一人で、その道を進むことに、不安があったら、

ご一緒に、あなたの中の、本当の声を聴いて、

ありたい姿を、見つめていきましょう。

ヒーリングは、自分一人でしか行けない道のりですが、

深い場所に至るまでに、必ず、他者を、必要とする作業です。

私で良かったら、いつでも、全力で、サポートしていきます。

ご一緒に、あなたのたましいが、呼びかける方向性を、見つめていきましょう。


★今回、この記事を読んでくださったあなたに


【特別無料】 ありたい自分の姿を見つめる ヒーリングセッション


こちらを、抽選で、若干名、受け付けます。 

● 自分が、どんな傷を、癒したいと願っているのか。

  何に、悩んでいるのか。

  どんなことを、クリアにしたいと願っているのか。

  心身に、どのようなサインが現れているのか。

など。

セッションを受けたいと思ったときに、心に浮かんだことを、

こちらのフォームで教えてください。

【申し込みフォーム】
https://tinyurl.com/4ant2fny

どなたでも、お申込みください。

【セッション方法】
ZOOMオンライン (もしZOOMが難しい場合はその旨フォーム内にご記入ください)
カウンセリング、遠隔ヒーリング、セルフヒーリングなどを組み合わせたセッションです。

【セッション時間】
約60分

皆さんお一人おひとりと出逢えるのは、いつもとても幸せです。

お話をお聞かせいただけるのを、楽しみにしています。




わたしも、この10年間、たくさんの心理・身体セッションを受けてきました。

「自分のしあわせ」 というものを、捉え直しながら、

かなりの葛藤を経ながら、少しずつ、自分自身のことを知っていき、

今では、10年前とは別人になったと思うくらい、

力が抜けた、自分のそのままを、好きになり、

生きることが、楽で、より、幸せを感じられるように、なってきました。

あなたにも、より、あなた自身を好きになって、ありのままのあなたになっていただける、そのきっかけのひとつに、していただけたら、嬉しいです。

私のセッションが、可能な限り、あなたが、あなたに戻れる場所の一つになれるように、

そんな思いで、お待ちしています。

●通常 オンラインの個人セッションについて

●SNSでも、いろいろ、発信しています。

ぜひ、それぞれのSNSでフォローしてくださいね♡

SNSによって、違った顔で、ヒーリングをお届けしています(^^)

そして、記事にコメントや、メール/メッセージでご感想をいただけるのも、いつも、嬉しいです。

いつも、とっても、励みになっています。

そして、記事に興味を持ってくださる方が、

どんな風に人生を歩まれているか、何を感じていらっしゃるか、

それを教えていただくことが、私にとっても、とても幸せです。

なぜなら、あなたの生きる姿というのは、そのまま、

人間存在の、尊い 生きる姿 そのものを、見せていただくことだからです。


ぜひ、お待ちしています。


たくさんの感謝と、読んでくださる方の、幸せを願って

愛子

読んでくださってありがとうございます。もしお気持ちが動いたら、サポートいただけると嬉しいです😊 いただいたサポートは、よりよい活動をしていくための学びに使わせていただきます。