ジンジャーな感情
ジンジャーブレッドマンとの対峙
10/31から日付が変わって11/1になると、世間は一瞬にしてクリスマスモードになる。そして、彼を見かけると、すぐそこにクリスマスが迫ってきているんだという現実を突き付けられる。そう、ジンジャーブレッドマンである。
毎年、この時期になると彼が色々な感情を教えてくれる。もはや、クリスマスをどうして過ごそうかというような不安要素を与えてくるのは致し方ない。
スターバックスのメニューで彼とジンジャーブレッドラテを見かけると、「あっ」と心の声が出そうになる。その感嘆が感激なのか、嘆きなのかは自分でもよく分からなくなることもある。心躍る気持ちになることもあれば、やっぱり不安な気持ちに打ちひしがれることもあるからだ。でも、なんだかんだジンジャーブレッドラテを注文してしまう。店内でクリスマスソングと共にラテを楽しみながらも、様々な感情が交錯する。無論、ジンジャーブレッドマンクッキーが美味しいのは言うまでもない。
これから幾度となく訪れるクリスマスへ想いを馳せることもあれば、過去の自分史上最高だったクリスマスを想い出したりもする。そして、想い出したくもなかった恋愛を想い出しざるを得ないフェーズでもある。それらは間違いなく、この時期だけにしか味わえない感情だ。これが何かほろ苦いような、甘くてビターなジンジャーな感情なのかもしれない。ポップなジャズ調のクリスマスソングが良い具合にその感情を調和してくれる。
去年のクリスマスイヴはマッチングアプリで初めましての人に会ってみた。同じ歳で、見た目も収入もキャリアも申し分ない男性であった。お互いに好印象を抱き、その3日後にも会うに至ったが、結果その日で関係性が終わってしまった。結婚を前提としたお付き合いを始めるにあたり、結婚観や人生観を深く話してみると全く合わないことが分かったのだ。私自身は結婚しても子供は欲しくないと思っているが、彼はその逆だった。そして、結婚&子供が真のハッピーセットであり、正しい家庭の在り方だというような価値観を押し付けられた場面が多かった。子供を必要としない理由なんて各々違うのに、なんだかやるせない気持ちになった。
価値観や生き方が違うということだけで相手を傷付けることもあれば、自分が傷付くこともあるのだと、改めて痛感した日だった。そのうえで、自分がそちら側の価値観を持ち合わせていなかったことに対しての自責の念が拭えなかった。価値観の相違とマジョリティ⇔マイノリティは密接な関係ではないと思っているが、根底では自分が常にマイノリティな立場にいるような気がしてならないのだ。どこか、落ち着かないようなソワソワした気持ちになることが多い。これも何か違ったタイプのジンジャーな感情なのかもしれない。多少、ほろ苦さが勝ってしまう部分もあるが。
こんな感じで、この時期になると様々な思い出や感情が多線の迷路を描くように蘇ってくる。でも、正しくこの時期にしか感じ得ない感情でもあるのだ。ちょっと悲しい気持ちになることもあるけど、そんな感情に思う存分浸って過去の自分を慰めてあげたい。そして、この時期にしか味わえないジンジャーブレッドラテとジンジャーブレッドマンクッキーを思う存分楽しみたい。幾度となく変わりゆく、ジンジャーな感情に思いを馳せながら。