冬眠暁を覚えよ
冬×失恋=感情で沼る恋
冬の失恋程、長引く物はない。それは、全て「感情で沼る恋」がそうさせているのである。アラサー独身女子の恋愛は幾分、厄介なのだ。それまでのエキサイトメント主体な恋愛に終止符を打ち、大人の恋愛をしなければいけないという重責に追われている。まだ遊びたいという気持ちに惹かれつつも、大人の恋愛をするためにプラトニックな関係性から始まる恋愛を優先してしまうのだ。しかし、純真無垢なプラトニックな関係であるが故に生じる弊害もある。
体感では11月の後半〜3月の半ば辺りまでが冬であろうか。その時期の恋はイルミネーションと共に耀かしくポップアップされ、いつも以上に心が踊ってしまう。その分、失恋した時の感情の落差は激しい。人間ってこんなに泣けるのかと思う程に、涙が溢れてくるのだ。それは、まるで体中の水分が感情と共にろ過されていくような工程なのである。そして、冬眠している動物のように体内における全ての機能、思考が停止し、内に閉じこもってしまうのだ。
身体で感じた愛なら代わりはいくらでもいるが、愛で感じた愛には代わりなんぞ世の中のどこを探してもいない。プラトニックな失恋をしたばかりの時は、その人から受けた愛のみが正義とでも言わんばかりの精神状態になってしまう。やはり、感情から相手を好きになると物理的にそれなりの時間を掛けているからでもあろう。teenagerぶりの純真無垢な恋愛をすると、新鮮さも相まって1日の思考の半分以上が意中の相手になってしまうのだ。しかし、それが感情で沼っていた恋だと気付くのは、相手が既に目の前にいない時なのである。すなわち、失恋しないと気付かないということだ。それくらい、冬の失恋のパワーは凄まじい。
しかし、過去の失恋を引きずっていることが悪いというわけではない。自分の心と脳をしっかりリンクさせ、如何に上手く清算できるかが肝なのである。どれだけ時間がかかってもいい。その経験を活かすも良し、泣き喚くも良し。過去は変えられないが、未来は思うように変えられるのだ。私の場合は泣ける分だけ泣いて、負の感情を全て放出させる。そして、次の恋愛に活かそうと己を奮い立たせるのだ。
感情で沼った恋のシーズンに入った時はいつも、友人と好きなドラマの主人公が助けてくれる。その中で最も助けてくれるのが、2つ前の記事でも紹介した「その人が自分の人生で役目を果たしてくれたから、去って行ったんだよ。」という女友達からの言葉である。その次に私を助けてくれるのは、キャリー・ブラッドショーだ。そう、世界一有名な恋愛ドラマ「SEX AND THE CITY」の主人公である。大失恋をした時、決まってキャリーならどんな選択をするだろうと頭の中で情景を廻らすのだ。そうすると、幾分気持ちが楽になるのである。私は彼女たちのおかげて過去の失恋を上手く清算させる術を得たのだ。アラサーにもなって、まさかそんな術を得るなんて思ってもみなかった。これもまた、冬の失恋のパワーとでも言えようか。
冬にする恋。冬にする失恋。思い出すと切なくなるのだが、どこか暖かくもある。ダウンのポケットの中で繋がった手と手の温もりが感情と共に今も思い起こされるのだ。それは、感じたことのない類の暖かさである。しかし、それは悲しくて寂しい懐古ではなく、春を迎えた暖かさからの懐古なのだ。「冬眠暁を覚えよ。」冬の長い長い失恋の峠を超え、成長した私がそう切に願って訴えかけている。きっと、大丈夫。乗り越えられるから。