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「人は、何のために生きるのか?」:哲学の意義を考える

各大学に存在する文学部哲学科と言えば、所謂"私文"という呼称で呼ばれている通り、哲学というのは、現代人にとっては、"役に立たない学問"であると見なされる事が多いです。

そして、実際、哲学の教科書を読んでみれば、「万物の根源は水である」とか、「土、水、火、空気の4つの元素がさまざまな割合で混合されて万物となっている」というような、発展した自然科学を当たり前のように学んでいる現代人にとっては、チンプンカンプンな主張も載っている訳です。

しかし、私は、"哲学とは何か?"という事を突き詰めれば、"人間は、何のために生きるのか?"という事にも答えが出せる程、貴重な学問であると思っております。




1.哲学の歴史

哲学が誕生する以前の人間社会においては、万物の理は、"神話"によって説明されていた訳です。

例えば、"人間は、神によって作られた"とか、"洪水は、リヴァイアサンによって引き起こされている"といったものです。

しかし、そんな中、神話に依らず、万物の理を考えようという試みが始まります。

そして、それこそが、哲学の起源である訳です。


2.宗教も科学も、結局は哲学である

既にご察しいただけてるかと思いますが、元々、自然科学というのは、哲学から派生して生まれた学問です。


更に、一般的には、"宗教は、哲学とは異なる"とされている訳ですが、私は、"万物は、如何にして成り立っているのか?"という事に対しての解釈の違いであって、結局は、宗教も、人類の思想そのものであると思っており、宗教も、哲学に含まれると思っています。


それに加え、個人的には、極論、漫画、アニメ、小説等、人類が発想した全ての物は、哲学に当たるのではないかとも考えております。


3.哲学は、人格形成のために存在する

著名な哲学者は、一概に、"理性があるからこそ、人間は、他の生き物とは異なるのだ"と考え、理性の重要性を訴えております。

そして、そこから考えるに、私は、哲学の本質というのは、"昨日より、今日の自分が、より良い人間であるためにはどうすれば良いのか?"という事を追求する点にあり、つまり、"より良い人格者である"という事を追求した結果こそが、哲学なのではないかと思っております。

更に、それを帰納的に考え、"全ての人間は、より良い人格者になる"という事を目的として生きているのではないかという考えに辿り着ける訳です。


4.人格者であるとはどういう事か?

ただ、"人格とは何か?"という事については、個々人によって異なるため、明確に定義する事は出来ないと思っております。

しかし、敢えて人格を定義するならば、人格というのは、自己や他者と関わる事によって形成される自己意識であると見做す事が出来ると思います。

例えば、我々は、自己の判断や行動によって失敗を経験したり他人の行動を見て、"ああ言う風には成りたくない"、あるいは、"ああ言う風に成りたい"と考える事によって、自身を律する事により、人格を洗練させる訳です。


次に、人格者の定義についても、同様の事が言えると思います。

ただ、道徳は、人格者である事の普遍的な基準になると思っております。

何故なら、法を破ったり、道徳や倫理観を欠いた行動を行う者を、"人格者である"と見なす人間は殆ど存在しないと言えるからです。

なので、人格者の定義というのは、法や道徳を基礎として、自身の中の法価値観、倫理観によって、各々の中で決まるものであると思っております。


5.人の上に立つ者は、人格者である事が求められる

昔から、芸能人等の各著名人が、不倫やその他不祥事によって、その場を追いやられてしまうという事が多々起こっております。

そして、そういった事は、どんなに成功した人であったとしても、"人格者で無い"という格印が押される事によって、大衆によって引き摺り下ろされてしまうという事を示していると言えるのではないでしょうか。

ですから、一般論として、人間社会において、成功者であり続けるためには、ある程度、大衆から尊敬され得るような人格者である必要があると言う事が言えると思います。


また、仮に、"人間が努力するのは、より良い人格者になるためである"という等式が成り立つならば、それに反する行為を行う事は、自分自身をも裏切る結果となります。

そうなれば、他人から悪く思われてしまうだけでなく、自分自身からも見放されてしまい、最終的に、良い結果をもたらせなくなってしまうと言えると思います。


結論.人は、何のために生きるのか?

以上から、"人は、人格を磨くために生きる"と言う事が言えると思っております。

つまり、人間は、"明日の自分が、今日の自分よりも良い自分であるために"、より経験を積み、より知識を積み、努力し続ける存在であると言える訳です。


勿論、各々にとっての生きる意味は存在する訳なので、読者の皆様の中には、"勝手に決めるな!"と反感を持たれている方もいらっしゃると思います。

しかし、それは飽く迄も、短期的な目標に過ぎないとも見做せる訳で、長期的には、人類は、普遍的に、より良い人格者である事を目指して生き続けると言えるのではないかと思っております。


あとがき.

時折、大人が子供から、"何のために、勉強するのか?"という質問を受ける事があると思います。

そして、それについても、"より良い人格者になるため"という返答が、正しいのではないかと個人的には思っております。


実際、教育基本法を見てみると、第一条には、下記のような条文が設けられている事が解ります。

(教育の目的)
第一条
 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)


幸せを追求するには、自己の人格を認識する必要がある

また、自己の人格に向き合い、認識する事が出来れば、"自分がどんな価値観で物事を判断し、生きているのか?"という事が明確に解るのではないかと思います。

そして、自己と向き合う事によって初めて、"幸福とは何か?"と、幸福の追求も出来る訳ですし、更には、自己に妥協を求める事も出来ると思っております。


ちなみに、私の話で言えば、"世界一の大金持ちになるより、世界一の人格者でありたい"という根本的な価値観が、私の中に存在するという事に気が付きました。

そして、そうある事を目指すために、日々様々な事を勉強し、探求し続けているのだと感じております。


なので、読者の皆様にも、本記事を切っ掛けに、自身の人格に向き合い、"自分はどんな人間であるのか?"という事を考えていただき、各々の幸福を掴み取る切っ掛けにしていただければと思います。


参考文献.

・一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書

・はじめての哲学史: 強く深く考えるために (有斐閣アルマ)

・図説・標準哲学史

・人格の哲学 (講談社学術文庫)


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