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保次郎一家の移民生活

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曽祖父・保次郎(やすじろう)一家の米国移民時代を辿る旅。明治〜大正時代のお話。
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#アメリカ

曽祖父保次郎、カリフォルニアに移住する(明治39年)

1906年(明治39年)にハワイからアメリカ本土へ渡った保次郎は、カリフォルニア州のStocktonと…

abetomo
5年前
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曽祖父、日本から妻を迎える(明治45年)

1912年(明治45年)に、保次郎は23歳のヨキ(曽祖母)と結婚しました。 曽祖母は単身渡米でお…

abetomo
5年前
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曽祖父保次郎、父になる(大正3年)

1914年(大正3年)、カリフォルニア州のStocktonで、保次郎とヨキの長女として祖母が生まれま…

abetomo
5年前
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100年前の英文契約書をテキストデータにしてみた

このマガジンではアメリカに移民していた曽祖父・保次郎のことを紹介していますが、ハワイへ渡…

abetomo
5年前
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曽祖父、カリフォルニアで農業を営む

明治時代にアメリカへ渡った日本人移民の多くは、農業労働者として働いていました。彼らは渡米…

abetomo
5年前
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いだてんと同時期に海を渡った曽祖母、そしてBuddhist Church(明治45年)

曽祖母のヨキが、カリフォルニアの保次郎に嫁ぐため、1人で船に乗って横浜港を出発したのは191…

abetomo
5年前
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曽祖父が農業を営んでいた場所(大正9年)

曽祖父・保次郎は米国カリフォルニア州のストックトン(Stockton)やオーウッド(Orwood)に住み農業を営んでいましたが、それは具体的にどこで、何を栽培していたのか。以前紹介した英文契約書から読み解いてみます。 まず1920年(大正9年)10月12日に、保次郎(the party of the first part)とHeritaさん、Sakiさん、Yoshidaさん、Kamibayashiさん(the parties of the second part)との間で締

家族や友人たちと(明治38年〜大正13年)

曽祖父の保次郎は写真が好きで、家族写真以外にも、友人と思われる方や親族と思われる子どもた…

abetomo
5年前
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祖母が通ったアメリカの小学校(1920年〜1921年)

曽祖父保次郎一家がカリフォルニア州に住んでいた頃、娘である祖母とその妹ヒメコ(大叔母)は…

abetomo
5年前
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祖母のような日系二世が受けた教育(1920年代)

祖母のようにアメリカで生まれ育った日本人移民の子供(日系アメリカ人)は、どんな教育を受け…

abetomo
5年前
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曽祖父保次郎、42歳で日本に帰る(大正14年)

曽祖父保次郎のアメリカ生活はそれなりに豊かだったように思えますが、42歳の年に妻子を連れて…

abetomo
5年前
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帰国後の曽祖父一家:米国の甥からの手紙(大正14年)

曽祖父保次郎一家の帰国後、大正14年(1925年)11月に、アメリカにいる甥(保次郎の兄の次男)…

abetomo
5年前
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祖母とアメリカの友達との文通(大正14年)

曽祖父保次郎だけでなく、祖母も帰国後にアメリカの友達と手紙をやり取りしていたようです。1…

abetomo
5年前
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