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祖母のような日系二世が受けた教育(1920年代)

祖母のようにアメリカで生まれ育った日本人移民の子供(日系アメリカ人)は、どんな教育を受けたのでしょうか。

以前読んだ本には、日本に住む親族の元に子供だけ送り、日本の学校で教育を受けさせたという話が載っていました。そしてアメリカへ帰国した日系二世のことを「帰米」というそうです。

祖母の場合、一家で帰国するまで日本へ行ったことはないため、この「帰米」には当てはまりません。現地の公立小学校らしき学校へ通っていたことからも、日本人学校などない時代だっただろうし、日本語は家庭で両親が教えたのだろうと思っていました。

しかし今回改めて調べてみたら、当時の日系二世の教育に関する論文をいくつか見つけました。それによると、1910年代〜1920年代はカリフォルニア州で日本語学校の設立がかなり熱心に取り組まれたようです。

日系一世は1920年前後からその子女に日米両国の教育を併行して受けさせていた。彼らの子女は一方では米国市民であるため米国政府の指定する教育を受ける義務があった。また日本語教育については、日本政府からも米国からも援助がなく、有志により日本語学園を経営するか、個人の半営利事業として経営されている日本語学園にその子女を学ばせなければならなかった。日本語学園は米国の公立学校の余暇に通学する規定に拘束され、二世児童は毎日異なった二つの学校に通学することを余儀なくされた。
(「アメリカ日系移民二世のための日本語教育 : 『米國日系人百年史』から」より)

もしかしたら、祖母たち姉妹も公立学校とは別の私学で日本語を学んでいたのかもしれません。

というのも、保次郎一家が日本に帰って1年後の大正15年(1926年)の日付で、祖母が小学校でもらった成績優良者を表彰する賞状が残っているのですが、これを見たときに「帰国して1年くらいで学校から表彰されるほど日本語が上達するものだろうか?」と疑問に思ったからです。もし家庭ではなくどこかで日本の教育を受けていたとしたら、その答えがちょっと見えた気がします。

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以下はまた別の論文からの抜粋ですが、このような日本語学校向けの教科書はこんな方針で編纂されていたそうです。

1920年、日本語学園協会は第九回総会において、日本語学園教科書編纂委員会を設け、以下のような編纂方針を決定した。
(中略)
4. 本教科書の形式的方面
1)本教科書は在米児童の実情に鑑み言語教授に重きを置き単に文学的方面のみならず成るべく多くの方面より必要なる言語を選択す。
(中略)
5)漢字選択法
①新聞雑誌に多く顕わるる字即ち利字参考。
②文部省編纂讀本参考。
③タイプライターの文字参考。
(中略)
8)文体は六学年までは口語体とし七学年には一割八学年には一割五分の割合にて文語体を挿入し候文は文語体の一部として一二の文図を挿入す。
(「アメリカ日系移民二世の教育 : 『米國加州教育局檢定 日本語讀本』から見えてくること」より)

祖母もこのような日本語教育を受けたのかもしれません。が、しかし。日本語学校が設立されたといっても、それはサンフランシスコ市やサクラメント市のような都会が中心で、保次郎一家が住んでいた地域から通える範囲にそのような学校があっただろうか? という新たな疑問もわきます。

ところで、アメリカの公立学校では他の人種と比べて日系人児童・生徒の成績が良かったという研究調査があるようで、こんな論文も見つけました。

「教室において、二世の児童はおとなしく、注意深く、名前を呼ばれて復唱すると、うまくできるのに自分からは復唱することはあまりなかった。質問したり、物事に挑戦するという姿勢よりは、本を読んだり、教えてもらった内容を吸収するという姿勢の方が強く、従順で、躾の点で問題を起こすことはほとんどなかった。家庭では教師を尊敬するように教えられてきたし、二世の方も実際そうした。」
(中略)
「私の両親がわれわれの教育的進歩に対してまるで物に取りつかれたような関心をもっているため、通知簿が出される日は不安でいっぱいだった。良い評点だとやさしい言葉でほめてもらい、時には物を買ってもらえたが、悪い通知簿だと恐ろしかった。躾にきびしい父は、われわれが学校でずっと優秀な成績をとらないと、時にはわれわれをなぐることもあった。」
(「アメリカにおける日系人子弟の教育」より)

こういう日本人気質が祖母やその親(保次郎)にもあったとしたら、日本に帰国してからも凄く努力して追いついて成績上位者になっただけ、という可能性もあります。日本で祖母が通ったのはド田舎の小学校だったから児童も少ないし、祖母は地頭の良い子供だったようなので。

……今となってはあれこれ想像するしかありません。曽祖父(保次郎)も、そんなに厳しい父親という印象はないし、祖母ものほほんとしている人だったので、何か無理がある気もします。生前の祖母に、もっとちゃんと話を聞いておくんだった。

参考文献
アメリカ日系移民二世の教育 : 『米國加州教育局檢定 日本語讀本』から見えてくること(村上和賀子、人文研紀要86、中央大学人文科学研究所)
アメリカ日系移民二世のための日本語教育 : 『米國日系人百年史』から(村上和賀子、人文研紀要78、中央大学人文科学研究所)
アメリカにおける日系人子弟の教育(田中圭治郎、大谷學報 第61巻第4号)

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