曽祖父保次郎、父になる(大正3年)
1914年(大正3年)、カリフォルニア州のStocktonで、保次郎とヨキの長女として祖母が生まれました。
祖母、2歳
これも2歳ごろ
同じく2歳ごろ。ヨキも一緒の家族写真
3年後の1917年(大正6年)には次女のヒメコが生まれました。
祖母の出生証明書は見当たりませんが、ヒメコの出生証明書は残っていました。
例によって「Himeko」のはずが「Hineko」というスペルになっていますが……。この頃は同じカリフォルニア州のContra Costa郡Orwoodに移り住んでいたようです。
さらに1920年(大正9年)に三女のアイコが生まれますが、この子は幼くして亡くなったと聞いています。
このように写真館で撮った写真は何枚も残っています。当時、写真を撮る費用がそんなに安かったとは思えないので、保次郎にはそれなりの経済力があったのだろう……と以前は思っていましたが、単に「新しいもの好き」だったからこういうことにお金を使ったのかも? と今は考えています(保次郎の孫である父や私自身の趣味嗜好を考えると、血筋を感じます)。
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