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MB不妊治療のキロク

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備忘録も兼ね、顕微授精のキロクをまとめています。
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今日、頑張った日を覚えておこう

ひとつ前のnoteで書いたうえに、またもや。 少し忙しい日々を過ごしていて、週末も屋外フェスイベントのため終日稼働だった。 イベントは、たくさんの子どもたちやご家族、ブランドのファンの方が来てくれて、大満足の大盛況だったのだが… その裏で、ルテウム腟用坐剤が始まった私。 起きたときまで覚えていたのに、朝のゴタゴタですっかり薬を持って出かけるのを忘れてしまい、仕事の合間にチャリで爆速帰宅 (イベントがチャリで行けるところでよかった)。 薬を取りに帰って、会場に戻って、携

3回目の移植は、自分のからだを信じる

3回目の移植日まで、あっという間に折り返し地点を過ぎてしまった。 最近は、仕事もプライベートも詰まりすぎていて、何かを考えたり、いろんな人の経験談を読んだり見たりしながら移植の準備をするようなこともできていない。 相変わらずエストラーナテープで不眠気味ではあるけど、それよりも疲れが勝るのか、連休はほぼ寝て過ごしたし、夜もバタンキューで寝ている日々が続いている。 文字にすると、なんだかどんよりしてる感じがするけど、いたって平常心というか。これは通常運転で、この2週間は「不

胚のいのちか、親のこころか

前のNoteにも書いたように、 「次までそのまま移植。それがダメならTRIO検査、そして2度目の採卵をしてリスタートしよう!」 と決め、意気揚々と病院に向かったが、 「移植と検査は了解!ただ、保険適用の採卵は凍結胚が残っている間はできないんだよ」 とあっけなく、担当医に言われてしまった。 保険が適用できる採卵は、凍結胚がなくなるか、残っている胚のグレードが明らかに低い時にしかできないらしい。調べたら分かったのかもしれないけれど、調べていかなかったから、この返事は私に

3度目の正直、夫婦での話し合い

2回目の移植が陰性で終わり、 という選択肢をもらった。 判定日から帰宅した私の心境は、 「一旦 検査かな〜」という感じだったけれど、 夫と話をして、次は 3度目の移植を進めることにした。 私たちの話し合いの内容はこんな感じ。 正直、このまま同じようにやって、3回目が上手くいくのかという不安はある。でも、TRIO検査は、エストラーナテープを貼って膣錠を入れるという移植までのプロセスは同じらしいし(移植のための環境を再現して、本当に子宮が胚を受け入れる準備をできているのか

2回目の判定日、こまったこまった

2回目の移植の結果が出た。 かすりもしない陰性。 まぁ、そんなことは前日にやったフライング検査で分かっていた。 気持ちとしては、困ったなぁ〜。という感じ。 1回目のような大きな期待から突き落とされるショックはないけど、それなりにズーンと落ちた気持ちはまだ立て直せていない。 判定の日、診察に入って「陰性だね」と言われたときは、他でも何でもない、「どうしたらいいですかねぇ」という正直な気持ちが出た。 仕事ならPDCAを回すけど、1回目も2回目も同じ治療で、同じ結果。正直何

ストレスの許容範囲

久しぶりに仕事のトラブルで体も心も「キュー」と締め付けられている。トラブルが発覚したのは移植後、週末、判定日前。最悪。 トラブルの内容は冷静に誠意を持って対応しなければいけない案件だと思っているし、お詫びも自分の至らなさへの反省もしなければいけない。 ただ何が辛いかって、このストレスが今の体にどんな影響を与えるのかがわからないこと。もしかしたらこのくらい平気ってことなのかもしれない。はたまた、このストレスで上手くいっていたはずのものがいかないことがあるかもしれない。 も

2回目の胚移植

昨日は携帯をパーソナルモードにして、仕事の通知を切った。通知を切るのは、長期休み中と移植の日だけ。 昨日は穏やかに、2回目の移植を終えた。 正直ここまでリアタイで書く予定ではなかったけど、自分の感情が思いのほか揺れ動いたので、記録として残しておこうと思う。 準備のとき 2回目の移植に向けてホルモン補充をはじめたときに、このnoteを書いた。 でも実際は全然慣れていなくて、日が近づくとむしろ2回目の方が怖くなった。1回目に抱いた新しいものへの好奇心と期待感は、何よりも

慣れっていいこと?

不妊治療の日記と思って始めたけど、最近のnoteは心に浮かんだことや、一度言葉として出力しておきたかったことをつらつらと書いていて、ほんとに自由帳のようになってしまっていた! というのも、今は胚盤胞移植2回目のホルモン補充が始まったところで、不妊治療とはいえど、エストラーナテープを貼ることくらいしかやっていない。 それで慣れというのか、「忘れないように」としっかりカレンダーをつけていた1回目と違って、「テープって昨日貼った?一昨日?」と夫にまだ確認してしまうくらい、緊張感

不妊治療はじぶんの選択

この記事を読み返していたとき、ハッとした。 辛いことを並べてしまったから、いつか自分の子どもと会えたとき、「自分を授かる道筋が、両親にしんどい思いをさせたものだったのではないか」と、子どもに負わせてしまわないかと。 考えすぎ、独りよがり、かも知れないけれど、親の思いを背負ってしまう息苦しさを、私は少し知ってる。親が自分自身の選択を全力で楽しんでいることへの喜びも知ってる。 なかなか結果がでないことの不安や、期待するものが大きい分、一喜一憂してしまうことはあるけれど、目の

不妊治療で得た、当事者になるということ

昨日のNoteには不妊治療の辛いことを書いちゃったけど、良かったなと思うことが1つある。 それは、自分が「当事者になった」ということ。 詳しくはいつか書ければと思うのだけど、うちは初めから顕微授精のオプションしかなかった。これに関しては、いろんな感情を通り過ぎて、今は素直に「それがうちに子どもを授かる手段なんだな」という程度に思っている。 ただ、それがうちの手段なのだと思ったら、「私たちは不妊治療の当事者になるんだ」と思った。 そして当事者となって、身の回りを見てみた

不妊治療、何を楽しみにする? 

正式には、昨日 (9/18) 病院で結果を聞いたのだけど、判定の3日前と前日にフライング検査をして、なんとなくダメだとわかっていた。 判定日の診察で、陽性でも陰性でも「次のステップをしっかり確認できるにように」と思い、自分で決めたフライング検査だったけれど、真っ白の検査薬はやっぱり辛かった。 結果が出なかったことが辛いのは自分だけじゃない。そんなことを思いながらも、寄り添ってくれる夫に甘え、流れてくる涙をそのまま流し、ひとしきり泣いたら一人で散歩に行った。 散歩中は「何

ようやく始まったのかもしれない

母になりたい。 それが私の夢になったのは、大学院1年目を終えたころ。 国際協力や人道支援の興味を持ってアメリカへ留学したものの、ニューヨーク・ブロンクスでのインターンを終え、自分にできる最大限の社会貢献は、しっかり「自分の子どもを育てる」ということだと思った。 それから、幼児教育に携わる企業に就職。 プライベートでも、最高のパートナーと出会い結婚。 自分の思い描く母親像を何度も何度も更新した。 そして31歳になったいま、 それは簡単な夢じゃないことを知った。 思い返せ