不妊治療で得た、当事者になるということ
昨日のNoteには不妊治療の辛いことを書いちゃったけど、良かったなと思うことが1つある。
それは、自分が「当事者になった」ということ。
詳しくはいつか書ければと思うのだけど、うちは初めから顕微授精のオプションしかなかった。これに関しては、いろんな感情を通り過ぎて、今は素直に「それがうちに子どもを授かる手段なんだな」という程度に思っている。
ただ、それがうちの手段なのだと思ったら、「私たちは不妊治療の当事者になるんだ」と思った。
そして当事者となって、身の回りを見てみたとき、今までと違った感じ方をすることがいくつかあった。
一番最初はこれ。
妊活を意識し始めた時から飲み始めたサプリに入っていたチラシ。それまではなんとなく見ていたけど、いざ自分が「本当に子どもを授かることができるのか?」という状況になると、箱を開けて飛び出してきたこの可愛い赤ちゃんの写真と、幸せそうな家族の写真に、妙に絶望的な気持ちを抱いた。
確かに、赤ちゃんを望んで飲んでいるけれど、その未来があるのか分からず、希望と不安の狭間で、すがる気持ちでサプリ飲んでいる人もいるかもしれない(私もその一人)。
当事者になり、このクリエイティブの優しさは、私のためのものではないと思った。
一方で、この妊娠検査薬に記載されていたメッセージ。
妊娠検査薬って、妊娠を望む人だけが使うものじゃない。
もし、望んでいない、自分の未来に不安な気持ちをもって検査薬を手に取る人がいれば、このメッセージって、ほんとに優しいのだろうか。
私も仕事でマーケティングやクリエイティブに携わることがあるので、たくさんの人が、自分の商品を一人でも多くの人に届けたくて、自分の商品を通じて勇気づけたり寄り添ったり、温かい思いで作っているものだとよく理解できる(この分野は特に)。きっと、たくさんの優しさが詰まっているし、大半の人がその想いを受け取っている。
でも、自分が当事者になることで、その優しさや配慮が本当に多面的なものか、ある一方のグループだけに向けた過度な優しさではないか、物事を見て感じて、考えるための新しいレンズを手に入れたように思う。
と同時に、自分が不妊治療の当事者になることで、当事者のレンズだけで、もしくは当事者のレンズだけが鋭くなった状態で、物事を判断したり、批判することがないよう、気をつけたいとも思った。
誰でも、何かの当事者になりうる。
それが世の中を分断するのではなくて、より多くの人が居心地よく過ごすために作用していくといいなと本気で思っている。
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