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ラ・フォル・ジュルネ初日 -熱狂の祭典,音の表情

「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」5/3-5/5、その初日。

ラ・フォル・ジュルネは、1995年、フランス西部の港町ナントで誕生したクラシック音楽祭。「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)」のネーミングそのまま、ヨーロッパの数ある音楽祭の中で最もエキサイティングな展開を見せています。 毎年テーマとなる作曲家やジャンルを設定。コンベンションセンター「シテ・デ・コングレ」の9会場で、同時並行的に約45分間のコンサートが朝から夜まで繰り広げられます。演奏者には旬の若手やビッグネームが並び、5日間で300公演!を開催。好きなコンサートを選び、1日中、音楽に浸ることができます。

同上

ピアノバーの衝撃 生音が聴きたくて

 このイベントのことは、友人から聞いて知った。きっかけは、赤坂のピアノバーだ。

 あるきっかけで、グランドピアノが置いてあり、客が自由に弾くことのでできるピアノバーで仲間たちと夜を過ごした。わたしは楽器は全くできないのだけど、耳コピで何でも弾ける才を持つ人と、クラシックピアノに優れた2人のピアニストが交互に演奏し…ピアノの目の前のカウンターで聴いていたわたしは、生音の魅力にすっかり入り込んでしまった。

 「もう一度、生音が聴きたいのだけど」と伝えたところ、クラシックのほうのピアニストに、ラ・フォル・ジュルネのことと、聴くのならなるべく小さな会場で、とアドバイスをもらった。

 窓口での前売り開始は3月2日。行ったときには小ホールは夜チケットくらいしか残っていなかったのだけど、それでも初日と最終日の前売り2枚を入手していた。

 1公演3000円にも満たない。わたしのような素人でも、いかに破格であるかはわかる。2枚のチケットは使用する日まで、ずっと長財布に入って一緒に旅をしていた。

五月晴れの下で

 5月3日、初日。

 五月晴れ。

 会場の東京国際フォーラムは、楽器関係の企業ブース、ミニコンサートが随所で行われていて、すでに大盛況だった。

 チケットもしくは半券があれば、自由に鑑賞できる公演も。

無料ライヴの数々

 屋外を散策すれば、

 屋台が軒を連ね、

  

 屋外ステージではライブも楽しめる。

 ベビーカーを含め、子どもを連れた家族が楽しそうに鑑賞していて、ああ連休なんだなと思う。

東京国際フォーラム、陽光

 陽光が美しいので、建築を鑑賞しがてら散策もした。

 まずエレベーターで上階に上がり、

 そこからは、ぐるっと楕円を回る形で、徒歩でロビー階に下ることができる。

 木漏れ陽。

 ゆるやかなカーブが、なかなか心地よい。

初日夜の熱狂

 銀座も京橋も歩ける距離なので、銀座のGINZA SIXと、京橋のアーティゾン美術館をはしごして、カフェに立ち寄り、有楽町の地方のアンテナショップをのぞいたりしながら時間を費やし、夜に再び会場に戻ってきた。

 初日最後の無料公演は、観客総立ちで、おおいに盛り上がっていた。

台本・演奏・ひとり芝居

 前売りを買った公演は21時15分開演。

 パンフレットに「台本・演技・演奏」とあって、とても気になって前売り購入した、ピアニストパスカル・アモワイエル 氏の一人芝居+演奏会だ。

 やわらかなフランス語、ほぼリアルタイムで表示される日仏通訳。リストという天才の人生と、アモワイエル氏がいかにリストを尊敬し心酔してきたのかがわかる、すてきな芝居だった。

 「音」という意味でも、ああ、という納得感があった。

 宮廷で演奏する7歳の神童リスト、熱狂的なファンが付き、公演旅行を繰り返す若き天才リスト、そして36歳で演奏を引退し、指導や作曲にあたり、老年になって穏やかな曲を書くに至ったリストの心境。それらが、リストの名曲とともに一台のピアノで表現されていた。

 わたしは、おいしい料理は「材料が特別なのではないか」と勘ぐってしまうし、うまい演奏は「楽器が特別なのではないか」と思ってしまう。

 しかし、「ピアノの才能のない教え子の演奏」の演技はもちろん、おふざけで、バンザイの姿勢で椅子に背中を預け、背泳ぎでもする姿勢でも軽やかに演奏してしまうプロの技を観て……なるほどと。これは本当に全部、一台のピアノの音色なのですねと。表情がまったく違う…。

 注意を向けないと、ピアノの音色は「あ、ピアノの音だ」と処理されてしまう。今までのわたしはそうだった。ちゃんと聴いていなかった。大きな音が苦手で、特にポピュラー音楽のライブ会場では、スピーカーの大音量に辟易とし、「聴く」を遮断してしまっていたのだと思う。

 しかし、耳に集中し、演奏家が伝えたいものに耳をすませて聴けば、そこには、限りない音の世界が広がっているのだった。

 そして、鍵盤に指が着地する響きも音、しんという沈黙も音。

消えるアート、嵌った沼

 そうか、そうなのか……。帰宅後、ふわふわした気分のまま、きっかけをくれた「ピアニスト」さんにメッセージを入れた。

 本当に今更だけど、演奏というのはもしかして、アート(インスタレーション)なのだ。それも、聴いた傍から儚く消えてしまう。

 そして遅ればせながら気づいてしまった今、これは、「沼」に嵌ったということですよね? と。

 やさしい返信は「沼の世界へようこそ」という言葉で結ばれていた。



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