見出し画像

ソフィ・カルの魅力,偶然の出会い@三菱一号館美術館とギャラリー小柳

 三菱一号館美術館「再開館記念「不在」 ―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」(-1/26)



「準備期間」に読んだ2冊の本

 上京する友人が「観たい」、とのことで、属性もバラバラの、自称「本好き」9人ほどで出かけることになった(もちろん別々に鑑賞して、観終わったら適当に集合する)。

 ただ、その日までに1カ月ほど時間があった。メンバーの一人が「この本面白かった」と情報をくれた。

放浪の旅を終えたソフィは、ある日偶然であった男がヴェネツィアへ旅立ったことを知り、変装して追跡を始める。アイデンティティにつきまとう謎を追い続ける作家カルの新しい「物語」3編と、ボードリヤールのカル論を収録。

同上

 小説……と思って読み始めたのだけど、これは、彼女の作品そのものだった。追っているはずの者と追われているはずの者の立場が交錯して……。

 乱暴にいえば、安部公房的テイストに満ちている(数人が同意してくれたので、たぶん大丈夫)。

ソフィ・カルは、制作活動を始めた1979年以降、自伝的作品をまとめた《本当の話》(1994年)、自身の失恋体験による痛みとその治癒を主題とした《限局性激痛》(1999年)など、テキストや写真、映像などを組み合わせた作品を数多く生み出してきました。また、「見ることとはなにか」を追求したシリーズ『盲目の人々』(1986年)、『最後に見たもの』(2010年)などを通して、美術の根幹に関わる視覚や認識、「喪失」や「不在」についての考察を行っています。

自分自身、もしくは他者とのつながりをモティーフとし、現実と虚構のはざまを行き交う大胆で奇抜な制作は、常に驚きに満ちており、見る者の心に強い印象を残します。

三菱一号館美術館ウェブサイトより

 あとがきに、ポール・オースターの「リヴァイアサン」の紹介があった。もちろん、読んでみた。

一人の男が道端で爆死した。製作中の爆弾が暴発し、死体は15mの範囲に散らばっていた。男が、米各地の自由の女神像を狙い続けた自由の怪人(ファントム・オブ・リバティ)であることに、私は気付いた。FBIより先だった。

実は彼とは随分以前にある朗読会で知り合い、一時はとても親密だった。彼はいったい何に絶望し、なぜテロリストになったのか。彼が追い続けた怪物リヴァイアサンとは。謎が少しずつ明かされる。

同上

 この小説の、主要登場人物として、ソフィ・カルをモデルとした女性が出てくる。その、果てしなく自由で謎めいた感じ。実際、この小説に取り上げられたことで、ソフィ・カルは一躍有名になったという。わかる。

 そんな長い事前準備を経て、11月の末に、美術館へ。


存在と不在

 開催概要。

 長い引用になる。読んだところで、決してネタバレになるような展覧会ではないので、先に。

(前略)美術館は、時代の変化に応じて、常にその活動を見直す必要があります。そのために、時代を映す鋭敏なアーティストの感性を借りることが、ひとつの最善策であると考え、2020年の開館10周年記念展として企画された「1894 Visions ルドン、ロートレック」の開催に際し、現代フランスを代表するアーティストのソフィ・カル(1953- )氏を招聘する予定でした。しかし、世界的な新型コロナウイルス感染症の流行により、ソフィ・カル氏は来日を見送らざるをえず、現代アーティストとの協働というプロジェクトは再開館後に持ち越されることになりました。

リニューアル・オープン最初の展覧会となる「再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」では、当館のコレクションそして展覧会活動の核をなすアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)の作品を改めて展示し、そこにソフィ・カル氏を招聘し協働することで、当館の美術館活動に新たな視点を取り込み、今後の発展に繋げていくことを目指します。

ソフィ・カル氏は長年にわたり、「喪失」や「不在」について考察を巡らせていることから、今回の協働にあたり、「不在」という主題を提案されました。一方、トゥールーズ=ロートレックは、「不在」と表裏一体の関係にある「存在」について興味深い言葉を残しています。

「人間だけが存在する。風景は添え物に過ぎないし、それ以上のものではない。」

1897年の旅行中、アンボワーズの風景に感動していた同行者に対して発せられたこの言葉に象徴されるように、トゥールーズ=ロートレックは、生涯にわたって人間を凝視し、その心理にまで踏み込んで、「存在」それ自体に迫る作品を描き続けました。

トゥールーズ=ロートレックも彼が描いた人々も「不在」となり、今ではその作品のみが「存在」しています。ソフィ・カル氏から投げかけられた「不在」という主題を通して、私たちは改めて、当事者が関わることができない展覧会や美術館活動の「存在」について考えていきたいと思います。

同上

ロートレック作品

 大部分が写真撮影禁止のため、撮影許可作品の写真から何点か。まず、ロートレックから。

 ロートレックといえば、SOMPO美術館でも。


ソフィ・カル作品

 次いで、ソフィ・カル。写真に、物語とも現実ともつかない、ときにはシュールにさえ感じられる長いキャプションが付いている、その物語そのものが作品。

 ふと、

 「動かない影」が気になって、じっと目を凝らせば、

 あー、やっぱり。

 それは「壁に、描いてある」のだった。

 見知らぬ人を勝手に尾行して写真を撮影したり、探偵を雇って自分の後を付けさせたり、という、摩訶不思議な作風の作家だけあって、きっと、観る者が気づかない仕掛けが、ほかにもあったに違いない。

 観ているうちに、作品はどんどん、わたし好みとなっていき、

 コロナ禍の、人のほとんどいないピカソ美術館で、作品保護のため「紙に包まれた」ピカソの絵画を、その「包まれた状態」で撮影した写真作品(写っているのは包み紙)……。

 三菱一号館美術館での展覧会の約束をしたが、それまで自分が生きていられるか不安に駆られ、その不安を克服すべく?、あたかも葬儀の死体のように横たわっている写真、がエピローグ。

 個人的には非常にツボに刺さる作品に、すっかり興奮してしまった。

 もちろん、そういうのが苦手、扱いに困惑する、という感想を持った人も多くいて、集合したあとの感想シェアも、なかなか有意義だった。


ギャラリー小柳「Unsold Unsold」

 この話には、おまけがある。

 この集まりの際に、ある友人に、都内ギャラリーのマップを謹呈した。フリーペーパー的なもので、2カ月ごとのギャラリーの展覧会が紹介されている。

 彼女が、たまたま銀座に用事があってそのうちの一軒をのぞいてみたら、それはソフィ・カルが参加した作品だったという。

 もちろん、三菱一号館美術館との連動で開催されている企画だと思うけれど。全く知らなかったので、偶然が呼び寄せてくれた嬉しい報せ、と捉えることとする。

 開催概要は、なかなか衝撃的だった。

 杉本博司の写真原図、8000円なり。アートファンなら、いろいろな意味で叫び出したりするかもしれない。

 ちなみに、青柳龍太の「Unsold」はこちら。

 杉本博司の「Unsold」。


ソフィ・カルの「Unsold」は

 Unsoldは、手前の展示物たち。

 こちらは、Sold。

 展覧会同士が、第二会場といわんばかりに繋がっている。

 ソフィ・カルというアーティストの、チャーミングな感じが伝わると嬉しい。




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集