去年の夏、7月終わりだったと思う。 私は母親を突き放した。 もう家族に関わるのが辛い。 連絡をとりたくないと。 母親からはその瞬間、謝りたいの連絡が止まらない。 「謝りたい、一度電話できないか」 と連絡が来るが 「謝ってもらいたいわけじゃない。その代わり今まで私が背負っていたものに自分で向き合って欲しい。話すことは何もない」 旦那に隣にいてもらいながら、潰れそうな気持ちをなんとか保ちLINEを返した。 母親と祖母は昔から仲が悪く未だに揉めている。 お互いに憎し
辛くて生きるの辞めたいって思ってたのに、いざ満たされてというか穏やかな生活になってくると それはそれで虚無感。 安定を求めてるはずなのに知らない感覚だから怖いのか?
未知の世界。 でもどこに行ったって何を選択したって、結局は自分がどうしたいのか何を目的としてるのか、ただ本能のままに穴を埋めることはできるけど、私が目指してるのはそこじゃない。
もっと いろんな愛の形が表面化していたら すんなり愛を 受け入れられただろうか。 ただでさえ 世の中にわかりやすく出回っている 愛の形もわからない私には 愛に対して手探りだし 人一倍求めてる気がする。 大人になってしまった以上 子どもの時に得られるはずだったものと 同じものは決して手に入らないし 親が型を崩したのだから それを埋めていくのに 普通なんて通用しない。 普通以外のものが 自分を形取るものとなっていくのに 覚悟がいるのかな。 普通でいられないし 普
久しぶりに 何年かぶりに母方の祖母と話した。 仕事帰りの運転中 祖母から着信があってすぐ切れた。 最近体調がすぐれないことを耳にしてはいたから、もしかしたら何かあったのかもしれない、と掛け直した。 ただのかけ間違いだったらしいけど ついでに体調どうかと言う話と、一応私も祖母の体調が耳に入るようにしていることを話した。 自分の実家から離れてから、祖母が亡くなるまで関われず過ぎていくのかと思うこともあり、このままでいいのかと頭をよぎることがあった。 今の母親との関係やい
ここ最近、過去を振り返ることから現在を生きるようになって 何かを探している感覚がある。 過去の出来事から出来た人格を 誰のせいにも出来ず自分で受け止め 今の自分を把握する。 誰かのため 自己犠牲 基準は他人。 一番近い家族という社会の中で 親という他人をうかがい機嫌をとり 押し殺し続けてきた自分。 それを解放したところで 自由に歩けないわけで。 だって歩き方がわからない。 本来なら親から教えられるはずのものを 人生半ばにして手探りしてる。 探しているんだよ
いつからだったか。 家にある先祖供養に しばらく手を合わせることが出来なくなった。 うちの主人は次男。 私も嫁に出た。 お仏壇など家にない。 母方の家は今までの記事にも書いたように 後継問題がゴタゴタ。 祖母の家には 若くして亡くなった叔母の仏壇がある。 すごく立派な大きいやつ。 今もその仏壇は放置されているのだろうか。 母方の実家は後継が必要で 祖父も祖母も貰い合わせ。 後継のための結婚だったらしい。 そこに生まれた叔母と母。 男の子は生まれなかった。
当たり前に交わされる会話 家庭を持つこと 家族を作ること 親の介護をすること 孫の面倒を見ること どんな仕事につき 今後どうしていくのか 私には 両親が揃ってることも 子どもを持って家族を作ることも 親戚がいる感覚も 人とが繋がっている感覚もわからない 同じ時間を生きながら 住む世界が違うと感じる 目の当たりにする 母親と会えない感覚 ただ仲が良くないんじゃない 会えない 連絡が来ようものなら 発作が起きる 父親に頼れない 夫が命の関わる手術をした
勇気を振り絞った電話で 否定され続けた私。 それでもここまで意を決したから 引き下がるわけにもいかない。 引き下がったらまた母親の洗脳のままだ。 私はなんとか 父親と会う約束をした。 でも、1人ではとてもいける気がしなくて 主人と行くことにした。 向かうまで吐き気が止まらなかった。 父親の自宅に着き 再会。 電話の時のきつい口調はなく 穏やかな父親。 離婚後に一度だけ来てくれた時の面影は 正直ない。 いつのまにかおじさんだ。 父親って言うより、他人のおじ
両親は私が小2の時に離婚。 突然父親が出て行った。 4つ上の兄には 「どちらについてくるか」 の問いかけがあったらしい。 私は全く記憶にないが 聞かれていたのだろうか。 私の記憶では 夫婦喧嘩の延長でそのまま父親が出て行った。 最後の挨拶はなし。 父親と再会して聞いた話では 父親はそのあと母親に連絡したが取り合ってもらえず、家の外から見ていたこともあったそう。 家を出てからどれくらいかは分からないけど 半年とか1年以内に、母の不在時に父親が家を訪ねてきた。
状況が進めば進むほど どうしようもないってところに 辿り着く。 必要なことはわかっていても それが出来ない。 可能なところに持って行けない。 理解されないことを理解して 自分で受け止めないといけない。 どうしたって拾えない 子どもの私を。
いつからだろうか。 生きる意味 みたいなものを そこまで考えなくなったのは。 自分と向き合うようになってから というか 無意識的には幼少期から感じてはいたけど 去年の自分の誕生日あたりまでは 自分の価値的なものをすごく考えていたと思う。 いつからかはっきりとは分からないけど 気づけば 生きる意味みたなものは 考えるのを辞めていた。 自分の存在価値も 気にしなくなりつつあったとは思う。 それでも 染み付いた感覚というものは怖いもので。 自分でも気づかず沼にハマっ
いつまで続くのだろう。 体の反応が出るたびに 自分が抱えているものに頭を抱える。 どうしたって 自分でどうにかできるものじゃない。 頭ではわかってる。 体の反応。 脳の異常。 ちょっとした出来事が引き金で 全てがもっていかれる。 出来事よりも 感覚が異常反応してしまう自分にいらけがさす。自分の感覚が普通ではないことに、これが複雑性PTSDなんだって。 子どもの指導に立ち保護者にもサポート入る仕事をしておきながら、その本人が愛着からくる複雑性PTSDだなんて見えな
命について記事にすることが 多々あるけれど 命のことを考える時に もう一つ ここに置いてない出来事を たびたび思い出す。 今から10年ほど前 私が20前半の時。 職場で妊婦さんがいた。 ギリギリまでその方の様子を見ていて 予定日の1週間くらい前に 「じゃあ産んでくるね!」 と元気に挨拶をして しばしのお別れをした。 しばらく時が過ぎ 出産後にその方と顔を合わせた。 …ん? 何か違和感を感じた。 普通じゃない空気。 お子さんのことを聞いていいの
感情を拾いたいのに 自分の心が追いついていない。 言葉をつづりたい 感情を出したいと思いながら もう何から出していいのか 整理が出来ない状態だ。 5月末。 ずっと向き合ってきた 主人の手術を無事に終えた。 経過が順調な今になっても 心はざわつく。 配偶者が生死の境に立ったこと。 その姿を目の当たりにしたこと。 いろんな管に繋がれ 機械で生かされている姿を見ながら 自分自身はここ数年の間に 死にたいと思ってしまうほど 生きるのが苦しかったこと。 ぐちゃぐちゃ
親ではない その感覚が 安心を得る度にのしかかることがある。 そもそも安心感ってなんだろう これが安心感なのか そう思いながらも求めていく。 こぼさないように集めていく。 知らないからどれかわからない。 何かわからない。 どういう感覚が安心感なのか。 初めて得た感覚に これがそうなのかもと思い ほっこりもするけど それでも絶対的なものはない。 人は変わるから。 環境や心境、関係性は変わっていく。 悪いことじゃなくて当たり前のこと。 なんなら自分だ