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生死の境を見たとしても

感情を拾いたいのに
自分の心が追いついていない。

言葉をつづりたい
感情を出したいと思いながら

もう何から出していいのか
整理が出来ない状態だ。



5月末。

ずっと向き合ってきた
主人の手術を無事に終えた。

経過が順調な今になっても
心はざわつく。



配偶者が生死の境に立ったこと。

その姿を目の当たりにしたこと。


いろんな管に繋がれ
機械で生かされている姿を見ながら

自分自身はここ数年の間に
死にたいと思ってしまうほど
生きるのが苦しかったこと。



ぐちゃぐちゃだ。



よく事故や病気で
生死に何かしら関わった人は

命の儚さや大切さを力説したりするけども

私はそうはなれなかった。



主人が生死の境に立ったのを見てはいるから

命が大切なんてことは
痛いほど感じる。



でもだからと言って精神的にしんどい人に

【死にたいなんて言わないで】

とも思わない。


種類が違うだけで
どちらも苦しい。


肉体的に病気となれば
病名を調べたらだいたい状況は伝わるし

私の場合も事柄を説明すれば
同情はされる。



でも本当にしんどいのって
そこじゃないんだよね。


その出来事がどう苦しいのか。

裏にどんな背景があるのか。



病名が一緒だとしても
おかれている状況や環境はそれぞれなわけで。



でもそれが表に出たり
人に伝えられたりすることって

なかなか難しい。


精神的なものなんて特にそうなんだろう。


精神的なものにも病名があるけど

なぜそれになったのかは
その人によるのかなと。


だからきっと私は、綺麗事の

【命は大切】

なんて言葉でまとめたくないし


主人の手術が終わり経過が順調な今でも



その出来事が起きた現実

その背景にある状況や
これから見えてくるもの


今まで向き合ってきた葛藤を思うと


簡単に無事に済んでよかった

ってだけでは
心が落ち着いてくれないわけで。


手術を通して感じた感情を
ちゃんと拾ってあげたいのだけど


いろんな事があっという間が流れていって
立っているのに必死で

何から拾おうか。


日常を過ごすのにいっぱいで
感情が零れ落ちていってしまっている。


心のざわざわだけが残る今。

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