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自己犠牲という支配

いつからだろうか。

生きる意味

みたいなものを
そこまで考えなくなったのは。


自分と向き合うようになってから
というか
無意識的には幼少期から感じてはいたけど

去年の自分の誕生日あたりまでは
自分の価値的なものをすごく考えていたと思う。


いつからかはっきりとは分からないけど
気づけば
生きる意味みたなものは
考えるのを辞めていた。

自分の存在価値も
気にしなくなりつつあったとは思う。


それでも
染み付いた感覚というものは怖いもので。

自分でも気づかず沼にハマっていく。


自分の存在価値的なものを考えなくなったと思っていても、体には嫌というほど感覚が染み付いている。


存在価値を考えなくなったとしても
自分が【与えられる側】に完全にハマると落ちていく。

与えてもらった時に
自分にそれだけの価値がある感覚がない。


その分何か返さないと、と思うし
相手が同じようにこちらを求めてないとわかれば下手に出て、都合のいいようにでもそばに居ようとする。


自己犠牲で成り立つ関係。

でも自分からそれをやる。


それにすら気づいてない。


失う方が怖いから気づかないふりをする。


人との関わりを上下で考えてしまう自分に
悲しい人生だなと
自分のことなのに笑ってしまう。


まだまだ自分の不安の感情は見たくない。

拾うには勇気がいる。

今まで見ずに立ってきたのだから。


体の反応は嫌というほど
私を支配する。

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