死にたくなる前に考えてみること
今日の、
この秋の雄々しい風の行状はなんと呼んだらいいのだろう。
雑木林の大きな椿や、
その名を知らぬ何十年と生きている大きな木々が、
激しい風に揉みしだかれて、
枝葉どころか太い幹まで、
オーケストラの指揮者のように大きく両腕を広げたように、
その髪を振り乱すように、
どれもが一心不乱に風と行方を共にする。
賑やかに泡立ち続ける緑の色は、
どれだけの種類があるんだろうと自然の造作に感心する。
それは、土や鳥や虫や風や太陽が作り出した色だ。
雑木林の木々の、その葉の裏返すさまは、
さらに、
いつもの緑よりも多くの絵の具をキャンバスに塗りつけたように、
その葉の裏は白く、ところどころが黄色味を帯びて、
高波がやってきたかのように揺らし続ける。
まるで、天からやんちゃ坊主が大勢で降りてきたようだ。
風にしなる枝の流れは丘の中腹まで、
高く高く、時に昇り龍のように続く。
ブオーブオーと空気と葉のこすれる音が、
ザーザーと雨音のように変わり、
一瞬の静けさが横たわったかと思うと
どこからかまた新しい風が吹いてくる。
午前中はもう、やみそうにない。
カルテット以上オーケストラ未満の鳥の群れは、
いったいどこに移動したのだろう。
夏の朝、お喋りに忙しいその鳥たちは、
いったいどこに隠れ潜んでいるのだろう。
ともかく秋は風が主役だ。
揺する揺する。
心まで揺する。
年若い誰かの訃報を聞くと、さまざまな感情にとらわれる。
歳に不足のない私が生きていてもいいのかと、
なんとはなしに問うことになる。
病気やケガや何かの悩み事が、その若い命を、
大きな口を開けて飲み込んでしまった。
その心の暗闇は知る由もないけれど、
毎日、小さな目標を探して暮らして欲しかったと思う。
お料理の新しいレシピに挑戦するのもいいし、
ほんの10分散歩する日課を作ることでもいい。
早起きして新しいルーティンを作るのもいいし、
最寄りの駅員さんに挨拶してみることでも、
新しくできたカフェで、ひとり過ごしてみることだっていい。
広い世の中には優しい人が大勢いて、
気になる場所がたくさんあって、
やってみたいことも、そのうちにいくつかは見つかるはずだ。
明るく笑わなくてもいいし、
必要以上に自分を演じなくていいし、
そのままのあなたで、あなたはパーフェクトと、
感じる誰かがメロメロに好きになってくれる。
生きることに意味なんてないし、
ましてや「世の中のために、誰かのために、
生きなければ」なんて思わなくていい。
朝起きて、一日を過ごし、
暗くなったら、夕飯やお風呂を楽しみにうちに帰る。
お気に入りの枕カバーなんかを揃えて、ぬいぐるみを飾ったり、
今日も一日がんばったのよって自分で確認するだけでいい。
まだ何も失敗のない明日が、朝の太陽と共に次々と待ち構えている。
そのたびに今日はなにしよう?と考えるだけで、
あなたのその日の生きがいが生まれるのだ。
世の中がどれだけバカ騒ぎに明け暮れていても、
あなたには、ちゃんと毎日生きていくための小さな目標が見つかる。
それには自分や誰かやなにかを静かに、ただ、自分から愛することだ。
秋の風に胸がさわぐ。
空には雲ひとつないなんて。