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「逃げ癖」を治す

どうも、なし子です。

日記が遅いどころの話ではなくなってきました。本来まずは14日の日記を書かなければいけないのですが、15日にあったことを今すぐ書き記しておきたいので、これは15日の日記です(ややこしい)。14日のもちゃんと書くよ!!

15日は友達と二人で飲んでおりまして、私が悩み爆発で人生相談した結果得たことを書き記します。

対話の中で私が抱く苦しさの原因を探り、そしてどうすれば精神的に生きやすくなるかを突き詰めました(友達まじでありがとう)。

色々話したのですが、結論から言うと、「逃げ癖」がある限り、私は自分を好きになれないであろうことが分かりました。

正直滅茶苦茶長いですが決意表明のようなものなので、良かったら見てやって下さい。


まずは友達がどういう人間かを考える

友達は私と雰囲気が似ています。お互い、何となくそれを感じ取っていたからこそ、バイトの先輩後輩関係から発展してたまに飲みに行くようになりました。まず前提として、そういう自分と近しいと思っている・・・・・・・・・・・・人の考え方を掘り下げることで、私はどうすれば苦しさから脱却できるのかということの答えを得ようとしました。「この人とはそもそもが違う」と、最初から諦めずに済むと思ったからです。

まず前提として私の友達は、自分のことが好きで、自らへの肯定感を持っている人でした。そこで私は、”何故肯定感を持っていられるのか”に重点を置いて、彼女に話を聞きました。すると、彼女は「やらなければいけないことをやっている」ことに気づき、それこそが肯定感の源であるように思えました。

これは私個人だけの話かもしれませんが、自分の今までの自己嫌悪の経験上、やらなければいけないことをやっていれば、どうしようもなく自分に厳しい人以外は、著しく肯定感が失われることは無いと思うのです。

やらなければいけないことをやっている、いや「最低限の努力」という言葉の方が相応しいかと思いますが、それをしているかどうかは、私と彼女とのの決定的な違いでした。


自己嫌悪の種類

ここで、私が考えた2種類の自己嫌悪についてまとめます。
まず一つは先述したように「最低限の努力をしていないから」起こる自己嫌悪で、もう一つは「自分自身と自分の理想がかけ離れているから」起こる自己嫌悪です。
この二つは「最低限の努力をすることが自分の理想」という意味で正直同じと言えば同じなのですが、その必要度と自己嫌悪のパワーの強さが異なります。

「理想の自分を手放す」というのは、出来ないことではありません。今すぐには難しくても、例えば年を取ってそういう風になれたという人は多いのではないでしょうか。つまりついついしちゃうけど、別にしなくてもいいことな訳です。

では、「最低限の努力」はどうでしょうか。これをしなくても生きていけるでしょうか。

多分生きてはいけないと思います。最低限の努力が何かというと、風呂に入ったり歯磨きをすることもそうですが、一番は「働くこと」です。
私たちは基本的に「働くこと」からは逃れられません。それが辛かろうが楽しかろうが、とにかく”働いてお金を稼ぐ”ことをせずには生きていけません。

理想の自分とのずれに悩むとは、例えば私の場合見栄を張ることや何事もスマートに出来ないことにコンプレックスを持つということですが、これは自分をより良くしようとする”プラスアルファ”の自己嫌悪です。つまり比較的小さいパワーの、自分を死にたくなるほどは責めない自己嫌悪です。

しかし今私を襲っている自己嫌悪はこれではありません。私は今、いつかは絶対にやらなくてはいけないことから逃げていて、だからこそ特大のどうしようもない、本当に死にたくなるような自己嫌悪に襲われているのです。

ここで言う「いつかは絶対にやらなくてはいけないこと」とは”就活"です。先述したように、いつか働くことからは逃げられません。そうである限り、自分がどこでどう働きたいかを考えたりして働くことに向き合うこと、つまり”就活”からは逃げられません。どれだけ適当に就活しようとしてもESを書かなければいけないですから、考えることからは逃げられません。たとえ今逃げてもそれは先延ばしにしているだけで、いつかは絶対にやらなきゃいけません。

会社勤めだろうがフリーランスだろうがそのどちらでもない形態だろうが、全て”働くこと”です。いわゆる就活が嫌でそれから逃げた人を知っていますが、その人も働くことからは逃げていません。フリーランスで立派に働いています。

ただ厳密に言うと、私は就活から逃げている側面よりも、働くことから逃げている側面が大きいと思います。例えば就活では勿論人に評価されますが、社会に出ればそれは永遠に続く当たり前のことです。そういう意味で、私は就活に向き合うことよりは、社会に出て働くことを怖がっている気がします。でも私が生きているのは資本主義社会であり、評価されることからも逃げられません。


後悔しない人生の為には

ここまでで、自己肯定感にはまず大前提として、生きていくための最低限の努力が必要である、ということが分かりました。どうしても何があってもしなきゃいけないことなのに、それをしないから自分を責めるわけですね。

ではここで今までの絶対にやらなければいけないこととは少し違う、「後悔しない人生の為には」ということを考えてみます。

私は先ほどまで本当に最低限の努力について書いていました。しかし今回友達の話を聞いていても、周りを見ても、皆何かを成し遂げるために努力しています。それは本当にただ・・生きていくためには必要にない努力であり、ただし充実した人生を送るためには必要な努力です。

実は今回こういうことを考えて思い出したことなのですが、私は”努力”への憧れがずっとありました。
そのきっかけは高校受験です。塾での勉強以外は正直宿題もろくにせず、何となくで受験をして、しかもその時手ごたえがあったので、合格発表を見た時も「あー受かったなあ」位にしか思いませんでした。しかしそんな私とは違って、合格発表の紙の前で泣いている女の子が居ました。受かったのか落ちたのかは分かりませんが、どちらにしろ「羨ましい」と思いました。涙を流せるほど何かに向かって努力できることを、心底羨ましいと思ったのです。

自分でお金を稼ぐこと以上に立派なことなど無いし、生きているだけで大変なことはたくさんあります。だからどんな仕事でもいい。
そんな想いがありつつも、それでも私がずっともやもやしていたのは、結局こういう憧れを捨てられていなかったからだと思います。何度も諦めて捨てて、そして何度も拾ってきた憧れなのです。だからこそ、面倒くさくても適当に就活する気にはならなかったのでしょう。

要は、私は本当に最低限の努力もできないくせに、人生を豊かにするためのプラスアルファの努力がしたいのです。そりゃあ何も達成されてなさ過ぎて苦しくもなりますよね。


逃げ癖をどうやって治すか

さて、これまでの記述で、どうしてこんなに苦しいのか、そして私が何を望んでいるのかについてある程度答えが出たと思います。ここからは、では 具体的にどうしていけばいいのかについて記述します。

私が自己嫌悪で苦しい理由は、端的に言えば「努力できないから」ですよね。その原因は間違いなく逃げ癖です。何かに向かって努力すると、当たり前ですが辛抱しなくてはならない場面が沢山あります。私はその時に、とにかく人より逃げたくなるのです。

好きなことなら頑張れるとか言う人もいますが、私のは多分そういう次元じゃないと思います。究極を行くなら本当に最低限のこともやらなくなりますし、度を越えているのです。

また逃げることについては、すでに二週間前に日記にしておりました。


私はこの日記に基づいて二週間逃げないことを意識してみましたが、予定が入っていることでごまかされていたものの、主体的に頑張るということはあまりしていなかったように思います(多少はちゃんとやってました、偉い)。

やっぱりこの厄介な逃げ癖を治すためには、具体的なルールを設けなければいけないと実感しました。ここから、私が今回定めたルールを書いていきます。

↑また、こちらの記事も参考にしてどうするかについて考えました。正直読んでいて泣きそうになるくらいぶっ刺さりました。


1,出来なかったことではなく、出来たことを考える
「マイナス面を見ているから、逃げたくなる。」とは、上の記事にあった言葉です。物事を嫌な風にばかり捉えれば誰だってそれを避けたくなります。
なので、毎日日記に今日出来たことを書き、マイナスに見える出来事からも、出来るだけプラスの要素を抜き出します。

2,これだけは頑張るということを決める
何もかも全部から逃げない(面倒くさがらない)のは無理だと思うし、線引きが難しいですが、ある程度は私の個性だと思っています。頑張ることにメリハリをつけるというのは、自分の完璧主義を克服するにも効果的(何でもかんでも頑張らなきゃいけない強迫観念から解放される)かなと思ったので、実践してみます。

・就活
先述しましたがやらなければいけないことなので。具体的には毎日一つ以上主体的に行動を起こします(ex.インターンにエントリーするだけとかでもいいです)。そうすることで毎日就活に”向き合う”ことになると思います。
あと計画立ててSPIの勉強やります。具体的には一日30分を目指しますが、最初は一日一問とかでもいいです。少しづつ慣れていきます。

・note
これは基本的に、今まで通り”続けること”を一番重視してやります。今内容に凝りだすと絶対に嫌になる自信があります。

以上二つは、絶対にやります。

↓意識して生活すること

・サークルなどの外出予定に行く
大学生活が残り少ないので出来るだけ楽しもうという思考回路です。
・空き時間
やることが終わっていて、かつ観たいものを観ているなら、制限時間とかは設けません。ただ私はそこにも逃げ癖が現れているというか、楽しみにしているものは感情が揺れ動いて疲れるのもあり、目的な動画まで見たくもない動画を3時間くらい見たりします。そういう時間が長すぎると楽しくないですし、感受性が強くて繊細なのは私の個性、とか言い聞かせても一生納得できなかったし、かなり自己嫌悪の元だったので、この時間の制限時間を1時間と意識します。具体的目安を定めて実行することで納得を目指します。
・携帯の電源を切る
「これだけは絶対に頑張る」というもの(就活とnote)に取り組んでいる間は、切っておいたほうが楽だし逃げ道を断てると思います。


これは逆に言うと、これらのこと以外は何してもいいということです。

また就活とnote以外は、あくまで意識することであり義務でも何でもありません。就活とnoteの二つだけすれば、あとはなんでもいいです。


まとめ

今回この記事では友達と話しながら考えたことをまとめましたが、物凄く"現実"に向き合うきっかけになりました。

ただ癖を治すというのは、やはり生半可な気持ちではできないことだと思います。

しかも私の場合、今の自分の現状と私が目指している姿の差が正直大きいです。だからこそ本当に大変だと思います。脳が焼き切れるくらいの面倒くささとかを乗り越えなきゃいけませんから。

でも『決意』の記事でも書きましたが、やってみないと納得できないし何も始まらないので、とりあえずやってみます。

あと、私は努力して何かを成し遂げようとすることへの憧れがあって、先述しましたがもうそれは何回も諦めて、それでも何回も拾ってきた憧れなんですよね。これが無かったら、正直就活も今は先延ばしにして本当にやらなきゃいけなくなったらやる、という風に開き直れると思います。でもやっぱり、やってみないと、この憧れだって消えないのです。

まあなどなど色々書いてきましたが、きっと大事なのは”目標にとらわれすぎない”ことです。
「逃げ癖を治して何かを主体的に成し遂げられるようになる」という目的・・があり、今回定めた毎日就活やnoteなどの目標・・があります。勿論目標も達成できるように頑張りますが、達成されなくても責めすぎてはいけません。
一番大事なのはいつか目的を果たすことであり、手段にとらわれてはいけません。ゴールを目指すことを諦めない限りは、どうにだってなります。

失敗しながらも、目指すことをやめないでほしいです。最初から完璧じゃなくてもいいから。
そうして、自分と一緒に頑張っていきたいです。そして私のことを好きになりたいです。

最後になりますが、私はこの記事を徹夜しながら仕上げました。
自分が思い考えたことを、嘘をつかずにそれでもある程度綺麗にまとめるのは非常に面倒くさかったです。さすがに書ききったのが偉すぎるので、そんな自分を褒め称えて、締めとさせて頂きたいと思います。
読んで下さりありがとうございました!



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なし子
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