カウンセラーとの関係
以前に通っていた病院では診察と同じ日にカウンセリングもお願いしていた
担当してもらったカウンセラーさんには
その病院に通い始めてからカウンセリングを受けなくなるまで3年くらいお世話になった
初対面のとき
私はとても失礼で
とても嫌なやつだった
『私は人を信用しません。無理だと思った相手に対してはすごく冷たい感情を持ちます』
こんなようなことを言った記憶がある
そしてさらけ出すというよりは試すように
思うことを話し、反応をみたりしていた
決して心の内は明かさずに
彼女は『うんうん』と私の話を聞いて、当たり障りのない返答を繰り返す
“カウンセラーはアドバイスをしない”
そういうものなんだろう
私が『こんなふうにした』と言えば
『こんなことをしたんですね』とオウム返しのような返事を返す
『こんなふうに思って辛かった』と言えば
『そうなんですね』と相づちをうつ
私はカウンセラーの先生に心を打ち明けて心を軽くしようなどと
そんなものは期待していなかった
それよりも彼女の返答を予想したり
彼女がどう受け止めて考えてるのかを想像したりすることを楽しんでさえいた
結局はこの行為は仕事として報酬がうまれるもの
彼女にとっては「仕事」でしかないんだ
そういう思いが私が彼女に対して心を開くということを邪魔していた
歪んでいたと思う
「カウンセリングの時間」は
私にとって意味のないものでしかなかった
そして病気に対しても
心に対しても投げやりに
「どうでもいいもの」になってしまっていた
意味のない無駄な時間をそうやって過ごしてきたことに向き合えた頃
私は彼女に病気と向き合いたいということを伝えた
『その思いをもっと詳しく教えて』
と言ってくれた
『本来そういうことに対してお話するところだから』
とも言ってくれた
もしかすると、という思いもあって
私は向き合いたいと思うキッカケとなったことや
私の中にあって、表に出したことがない抱えてきたものを少し伝えてみた
私の言葉に対して彼女は
────私の思いを否定した
それは励ます意味でもあったのかもしれない
その後に続く言葉があったのかもしれない
けれど、これまで全く表に出したことのない
隠し続けて守ることで保ってきたものが
否定されたと感じてしまったのだ
瞬間、私の中で何かが壊れた
彼女へのこれから持つであっただろう信頼か
求めた答えをもらえるかもしれないという期待か
とにかくそこで私の心は閉ざされた
『私、あなたに対して。
これまで1度も心をさらけ出したことはありません。
誰にでも言えるようなことを伝えてきただけにすぎません。
私は人を信じることができないです。あなたのことも信じていません。』
酷いことを言っている自覚はあった
「仕事」とはいえ、彼女は私を知ろうとしていてくれてたとも思う
たくさんを伝えてこなかったから私にも原因はあって、仕方ないのもわかってる
だけど私が最もしてほしくない「否定」を
よりにもよって
隠しておいた思いに対してしたのだ
カウンセラーの「仕事」はなに?
「仕事」とするなら、プロとして
やるべきことと
やってはいけないことの
区別はつけるべきではないの?
その後
やんわりフォローをした
私の言い方は本当に失礼だったと思ったから
そして医師に薬のことを相談すると伝えて
話の途中のままカウンセリングの部屋を後にした
きっと
私と彼女は合わなかったのだろう
そんなことすら今まで気にもとめずにきてしまった
そこは私の責任だったと思う
私の思う私の問題は
「信じる」ことと「信頼する」こと
どうにかしなくては、どうにもならない
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