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「ゆるせない人」に囚われていた理由

過去の私は、『こうでなくちゃダメだ!』という想いがあまりにも強すぎて、思い通りにならない毎日にイライラ・モヤモヤしていました。

『〇〇でなくちゃ!』という基準が絶対的なものだ、と思いこんでいたんです。

いま思えば、絶対的なものなんてあるはずがない、のにね。

他者にとっては、私が勝手に決めた基準なんて「どうでもいいこと」「まったく気にならないこと」、あるいは「そんな基準、あり得ないだろ!」と反発されことがあっても当然。

それなのに私は、他者が自分の思った通りに動いてくれないと、自分が大切にしているもの(ひいては自分自身)がないがしろにされているように感じて、我慢できなかったんです。

「どうしてわかってくれないの!?」
と悲しくなったり、
「私がこんなにもがんばっているのに、どうしてあなたはやらないの!?」と怒り狂ったり……

「ゆるせない!!」
とも思っていました。

『私が正しくて、あなたが間違っている』
と私が考えているために、相手は
『間違っているのはあなたのほうでしょう』
という言動を返してきます。

『正義と正義の戦い』が続いて、お互いの関係性は悪化するばかりでした。

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なぜ、こんな不毛な自作自演を続けていたのでしょう。

『〇〇でなければダメだ!』という信念(ブリーフ)が、『〇〇でない自分には存在する価値がない』という自己否定とセットになっていたからです。

自分で自分を否定していることや、「私は存在していい、生きる価値がある」という実感を渇望していることに自覚がないまま、〇〇という基準を満たすように必死でがんばっていました。

そんななか、ふとまわりを見ると、〇〇なんてまったく気にせずに、天真爛漫に(能天気に)生きている人がいる!?

「信じられない!そんなことがゆるされるはずがない
当時の私の想いを言語化すると、こんな感じだったと思います。

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ゆるす』って、なんなのでしょう。

「自分が勝手に決めた基準やルールに沿わない人に対して、ゆるすもゆるさないもないでしょう」
当時の自分の傲慢さに、苦笑してしまいます。

『ゆるすとは、正義の側にある人(=正しいことをしている人)が、正しいことをしていない人を大目に見ること』とでも考えて、『正しくない人はゆるせない』と怒っていたようです。

『なにをもって正しいと言えるのか?』と深く考えることもせず、『正しい(と信じている)ことをする自分とは違う行動をする人=間違っている人』という世界で生きていました。

『違い』は『違い』であって、『間違い』などではない、のにね。

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ただの『違い』を『間違い』だとジャッジしてしまうのは、
・自分と他者を別々の存在だという前提で生きている
・自分の存在証明がほしい
・『他者が間違っている』と断じることで、自分の正しさを証明したい
のが原因でした。

自分で自分のことを無条件に信じることができていたら、自分の正しさを証明する必要などないのですもの。

『〇〇でない自分には存在する価値がない』という幻想が、『〇〇であるためにがんばらなければならない』という have toの行動を引き起こします。

そして、want toでない行動を続けるストレスが積もりに積もって、
「どうしてあなたはやらないの?ゆるせない!!」
と他者に八つ当たりしていたのでした。

『〇〇でなくてはならない』という信念を一時的に取りこむことがあっても、それを持ち続ける必要などないのに、すっかり取り憑かれていました。

『ゆるせない』と他者に刃を向ける必要などなかったのです。

私に必要だったのは、『私が私であること』『私の存在そのもの』を自分がゆるすことでした。

その上で、『自分と他者に区別はない』というワンネスを感じられていたら、どれほど心健やかに過ごせていたでしょう。

(といっても、ネガティブな感情に沼っていた当時は当時で、たくさん恩恵を受けていましたから、それを「なかったことにしたい」「やり直したい」とは考えていません)

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あなたには『ゆるせない人』はいますか?

どうして『ゆるせない』と思うのでしょう?

その気持ちは、あなたが我慢したり、がんばっている『なにか』と、関係があったりはしませんか?

いったいなにを判断軸に『ゆるせない』と考えているのでしょう?

その基準は、どこからきたのでしょう?

自分と他者を区別することで、あなたはなにを得てきたのでしょう?

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「これまで考えてもみなかったこと」
「気にはなっていたけれど、深くは考えてこなかったこと」
が明らかになるきっかけになるかと思います。

自分のことも他者のことも愛おしくてたまらなくなるひとときを、一緒に過ごしてみませんか?

https://resast.jp/events/955242


《基調テーマ》
幾重にもゆるすこと、未来思考の優しい経済学、永遠の愛を伝える家庭の平和使節としての想い
〜Quantum Forgiveness, Caring Economics, and Our Prayer and Devotion to Mary〜

2024年8月15日(木)
午後の部 13:00-15:00/夜の部 20:00-22:00
一部だけでもご参加いただけます。

・どうしてもゆるせない人がいる
・もっと優しい人になりたい
・子どもたちに輝く未来を贈りたい
・本当の自由、本当の豊かさを手に入れたい
・年齢、性別、経済力、健康面など社会的・文化的な制限を超えていきたい

そんなあなたに、『AHA!』が起こるひとときをご一緒できますと幸いです。

ご家族で集うことも多い時期、少しでも自由になる時間がありそうでしたら、お耳だけでもご参加くださいね。

コーチング、コンサルティング、ヒーリング、ボディワーク、医療、教育、起業サポート……

さまざま分野でドリームサポーターとして活躍している講師がそれぞれのテーマで語ります。

*あなたとお逢いできますことを楽しみにしております*

〈私が私である〉ことの確信へ導く魔法使い
御影石 千夏





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