感情
こんにちは、ペン子です。
最近外に出ると春風が吹いていて、ぽかぽかきもちいです。
雨の日と行ったり来たりしているのは、少し人生と似ている、気がする。
この季節の花粉は持っていないので、とても好きな季節です。
春ですね。
新生活が始まる、新しい気持ちになる人が多いこの日。
感情
私が言葉と同じくらい敏感になっているもの。
自分以外の人の気持ちを100%理解することはできないけれど、その人の今の周りの空気とか、表情とかでなんとなく察知します。
そして言葉を発すれば、ぼやけていた感情に輪郭が付いて鮮明なものになります。
当たっているかは別として、ヒトが考えていることを見透かそうとしてしまうのは、良くも悪くも昔からの癖です。
誰かが怒鳴っていたり、喧嘩していたりするところが一番嫌いで、
そんな姿を見る度に、なんで感情があるのだろう、と考えては悲しくなります。
自分は喧嘩をしたくないから、塞ぎ込んでしまい誰とも向き合えません。
話し合いの意見はいくらでも話せるけれど、自分自身の話や人生のこととなると本当の気持ちを伝えるのが怖くて、泣いてしまう。
嫌な顔をされるんじゃないか、否定されてしまうのではないか。
本当はこうしたい、ああしたいと思うことは沢山あるけれど、不安な気持ちになって本当のことが言えない。
父に「うん」か「ううん」しか言えないの?と言われたことがあります。
(大学入学後、確か去年あたり)
(そしてこの質問も「うん」とうなずいて答えた)
父と話をしたくなかったわけではありません。
ただ、自分の気持ちを伝えるのが下手っぴで、不器用なあまりいつの間にかそうなっていたようです。
当時は、はい・いいえで答えられない質問や話もそれで答えていました。
前に比べたらましにはなりましたが、今もそうです。
何かあるたびに、どうして感情は存在するのだろう。
存在するなら、目に見える形にしてほしい。
「言葉は いつもその人を映したがってた
神様は なぜこんな近くに言葉を作ったの?
心は いつも言葉に隠れ黙ってた
神様は なぜこんな深くに心を作ったの?」
RADWIMPSの『愛し』という曲のフレーズです。
私が感情に対する考えをきれいに代弁してくれている。
言葉が本心だとは限らないけど、発する言葉の中に感情が見え隠れしている様子がはっきりと分かるフレーズ。
感情がなければ、煩わしさも鬱陶しさも嫉妬も嫌な気持ちにもならなくて済むけど、嬉しくて幸せな気持ちにもなれない。
その逆もあります。
感情をコントロールできる人は後者だし、感情にコントロールされている人は前者でしょう。
私は前者だから、感情は要らないと思ってしまいます。
ロボットになりたい、と昨日も思いました。
きっと自分の力や外的環境で感情を無くすこともできると思います。
でもそうする勇気はないから、感情をコントロールできる人になりたい。
せっかく人間に生まれてきたのだから、人間らしく生きる努力はしたいです。
100年生きると仮定したら、あと80年もある人生。
とても長い。
きっと私はまだ人間になる途中。
人間の皮を被った、人間じゃない未確認生命体なのかもしれない。