適応障害、寛解になりました~真面目人間のご自愛日記~
「もう大丈夫ですね。寛解です」
先生にそう言われて、私はやっと一区切りついた、と感じた。
2023年の夏頃から心身共に異変が出始め、11月に心療内科へ行った。適応障害と診断された。原因は、当時働いていた職場での人間関係である。ことごとく合わない部下が入社し、数ヵ月に渡り上司に訴え続けたが、私の意見は見事に通らなかった。その結果が適応障害である。
自分が実際に適応障害になるなんて思っていなかったし、適応障害をはじめ精神疾患は、一生無縁だと思っていた。幼少期から親に割と厳しく育てられ、高校時代も今では問題になってもおかしくないような、昔ながらの体育会系の部活に入っていた。そんな環境で育ったゆえ、いつのまにか「心が病むのは、その人が弱いからだ」という認識さえ持っていた。思い返しても、勘違い甚だしい。
適応障害とは「これ!」といった確定的な症状もなく、人によって違う。症状の程度も違う。他人と比べることもできず、明確な基準もないからこそ、「これは適応障害なのだろうか。私が甘えているだけじゃないのか」という、不安になる思いも長い間拭いきれずに過ごしていた。なっていた今だから思うことだが、その考えが頭に浮かんだ人は、たいてい適応障害なのではないかと思う。
適応障害という診断を11月下旬に受けてから、寛解と言われた4月まで約3ヵ月半。症状が出始めた夏から数えると、約8ヵ月。過ぎてみればあっという間という気もしなくはないが、思い返すと今でも反吐が出そうなくらい長い日々だった。症状が改善したのは仕事を辞めたことが大きかった。12月中旬から休職はしていたが、どこかモヤモヤが晴れず、退職に至った。そこから実家に帰り、1ヵ月ほどゆっくりした後の診断で「寛解」となった。適応障害は他の精神疾患と違い、その原因から離れることでだいたい治るとは聞いていたが、本当にそうなんだなぁと、他人事のように思った。そして、自分を取り巻く環境はちゃんと選ばないといけないのだな、とも思った。
適応障害になった原因の職場から離れることでだいたいの不調からは、休職していた1ヵ月半で解放された。そして無職になった際のお金の心配も、実家でとりあえずの生活の心配はしなくていい、ということでストレスは解消したし、常に家族がいるので気が紛れた。
イライラしたことと言えば、休職していた1ヵ月分だけ、傷病手当を申請していたのだが、元職場の手続きが遅くてまったく振り込まれなかったことくらいだろうか。これも思い出すと反吐が出そうなので、一旦蓋をしよう。
寛解とは言われたものの、思い返すとまだ元職場を思い出してイライラすることもあり、そんな感じだ。それでも、やっとしんどい症状や、気持ちや、諸々から解放されたと思うと、とてもすっきりした。生まれ変わってはいないが、なんだか私の新章がスタートすると思えるほどには、清々しい気持ちになっている。
適応障害は、もちろんなりたくてなったわけではない。ならずに済んだのなら、ならない方がいいだろう。でも、無縁だと思っていたものに実際になってみて、知ったことや感じたこともたくさんある。
精神疾患にもいろいろあるということ、適応障害の原因や症状は本当に人それぞれで他人と比べることができないこと、という知識的なものもそうだし、産業医という存在や、傷病手当や退職後の失業手当の手続きなど、国の制度についてもだし、この歳になっても知らないことが多すぎると実感した。
そして感じたことは、友人や仲良くしてくれていた同僚たち、家族の有り難みだ。心配して声をかけてくれたり、気分転換に遊びに連れ出してくれたりと、とても気にかけてくれていた。いつもいてくれることが当たり前になってしまっていたが、人はこういう時でないと恵まれたアレコレに感謝できないものだと、つくづく思う。気にかけてくれた恩は忘れずに、これから私が元気に生きていくことで返していきたいし、困っていたら微力ながらに助けたいとも思っている。
学びを挙げ始めるとキリがないが、それでも今回1番学んだことは、「自分の心地よいと感じるところで生きていくべきだ」ということである。
適応障害になる人は、どこか自分を押し殺したり犠牲にしたりして、他人を優先して物事に邁進してしまう癖のある人が多いように思う。そして、その上で頑張りすぎてしまうのだ。人生ではそういった場面も必要なことがあるかもしれないが、きっとその期間が長すぎたのだと思う。その人の中でのキャパが、自分を押さえつける続けることでパンクしてしまったのだ。
私も、やりたくない仕事を言われるがままにやり続けていたところに、とんでもなく合わない部下を入れられて症状が出てきたことが始まりだ。そして自分の意見は通らず、上司に押さえつけられパンクした。振り返ってみると、良い典型例にも思えてきた。
でも、せっかく合わない環境から脱出したのだ。これからは私のやりたいように生きていきたいと思った。やりたいと思っていたことを書き出したり、どういう働き方がしたいか、どう生きていきたいか、という人生設計も立てた。頭と心の両方にゆとりがないと、考えられないことである。まだ何も始まっていないし形にもなっていないが、精神衛生の悪い環境に身を置いていた時に比べて毎日がとても楽しいし、なぜか今は「生きてる!!!」という実感が湧くから不思議だ。ずっと生きていたのにも関わらず。
自分の心に正直に、自分の心がワクワクする方に、これからは歩んでいきたいと思う。
私の人生はまだまだこれからだ!
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【あとがき】
少し前の話なのですが、タイトルの通り、医師から適応障害が寛解との診断を受けました。
2023年11月下旬に適応障害と診断を受け、寛解まで約3ヵ月半で、症状が出始めた夏から考えると約8ヵ月。まさか自分が精神疾患に罹るとも思っていなかったので、私にとってはすべてが未知のことでした。
診断を受けてからは、ネット上で同じく適応障害に罹った人のブログを読み漁り、どれくらいで治ったのか、休職期間中はどう過ごせばいいのかなど、とにかく不安で情報収集に明け暮れた日々でした。休職前から現在に至るまで、支えて気にかけてくれた友人や仲の良い前職の元同僚には感謝していますが、それと同時にネット上の見知らぬ人たちの適応障害体験談(という言い方が正しいのかはわからないが)にも同じくらい支えられていました。同じ症状で苦しんでいるのは私だけじゃないんだ、とか、休職中これやってみようかな、とか、得られるものが非常に多かったです。
それに影響されて、私も『真面目人間のご自愛日記』と名前をつけて、適応障害になってからのアレコレを書いていました。自分の思いを整理するためというのもありましたが、同じような人の支えやヒントに少しでもなれば、という思いもありました。適応障害は症状や程度が人それぞれすぎるので、私をそのうちの1つの例だと思って見てもらえたら、という考えからです(それゆえに自分と他人の症状を比べてしまい、自分の方がマシだ……自分は甘えてるんじゃないか……という思考になってしまいがちなのですが、それはご法度です。やめましょう)。
8ヵ月、長かったのか短かったのか、人によって感じ方はそれぞれだと思いますが、私にとっては長かったです。生きていたけど、生きていて楽しくなかった。自分で選んでいる環境だったのに、生きている価値が見出せず、ずっと消えたいと思っていた。「死にたいわけじゃないけど、消えたい」って職場でずっと言っていた気がする。今思い返せば「いやそれ自分でこの環境から逃げたいって言うとるもんやないか」と思うのだが、本当にそんなことを考える余白はなかったんだろうなぁ……と思います。
お陰様で、今は生きていて楽しいです。
無職だけど、お金の蓄えも十分にないけど、フリーランスで働きたいと常々言っているくせにまだ生活できそうな形になる見込みが一切なくて不安は不安だけれど、生きていて良かったなと思いながら生きています。きっと、いや確実に、あのまま仕事をし続けていたら、こんなことは思わなかったでしょう。思い返すだけでゾッとするし、反吐が出そうだ……。
適応障害は弱い人が罹るものじゃなくて、「たまたま」あなたにその環境が「合わなかっただけ」です。なので、罹ってしまった人に責任や悪いところはないのです。だから、もちろん私も悪くないし、自分を責める必要はないのです。適応障害になった時にするべきことは、ただ合わない環境から逃げて、自分の心身を守ることだけです。
この記事も、誰かの「適応障害になった人の一例」として、参考になれば嬉しいです。