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人はみな、誰かに依存して生きている

先日参加した学会でお聞きしたお話が、印象に残っています。

たとえ健常者であっても、人はみな、誰かに依存して生きている。
高齢者や障害者は、それがわかりやすいだけ。

人は、自分一人で生きているか、それとも誰かに依存して生きているかという、「自立か依存か」の二項関係で捉えがちですが、人は老いるとともに一人で生きていけなくなるのではなく、そもそも人は、一人で生きていくことができません。

ただ、自立と依存のバランスが変わるだけ

言われてみればたしかにそうだけど、そういう見方があるのかと気付かされます。

そのように考えると、人が結婚することの意味も見えてくるような気がします。
そして、いつまでも実家にいると結婚できなくなる理由もなんだかわかります(笑)。

人は一人では生きていくことができないから。
お互いに支え合い、人生を共にするパートナーが必要だということです。

人間の生はそもそも「根本的な孤独」なのであって、愛はこの「二つの孤独を一つに融合しようという試み」なのである。

生きがいについて p.86

しかし昨今では、少子化や晩婚化が進み、結婚することに消極的な人が増えてきています。

若者にとっては、結婚すると自由がなくなる、コストがかかる、自分の時間がなくなるといった、ネガティブな印象が際立って感じられるようです。

そしてそれは、子どもを持つことに対しても同じ。

しかし、自分が死に近づく年齢に達したときに、自分の人生をまとめ、死を受け入れる際には、子どもの存在が大きく影響を及ぼすと考えられます。

「自分の死後も、自分の人生が続いていくような感じがする」

子どもがいることで、人はそんな感覚をきっと抱くことができるようになります。

いつからか、わたしは死者の記憶を想起することで生者のなかで生き続けるという感覚を持つようになった。だから自分がいつか死んだとしても、生者のなかで生かされ続けられるかもしれないとも思えてくる。
もしかしたら、娘の誕生で感得した祝福の年とは、自分の存在を忘れないでいてくれる関係性が出現したという認識とつながっていたのかもしれない。

未来をつくる言葉 p.217

だけど究極的には、誰かと支え合って生きていくことと、継承者の存在によって自分の死を受け入れること。これら二つを達成するための手段は、必ずしも結婚や子育てである必要はありません。

たとえ配偶者でなくとも、支え合える深い関係性の人がいたり、自分の血縁関係以外の形で継承者を見つけたりすることができれば、何も問題がないように思えます。

その意味で、今後は家族とか親子とか、そうした形にとらわれないつながりが増えていく可能性はあります。

しかし現状としては、そんな兆しはあまり感じられません。

むしろ個人化傾向が進み、あらゆる場所でつながりが希薄化しています。

そしてそれは、社会の発展とともに生活が豊かになり、便利なものが増えすぎて、「人は一人では生きていくことができない」ということに、人が気づきにくくなっているからだといえます。

SNSで数多の人の声をキャッチアップしたり、YouTubeで誰かの話を好きなだけ聞くことによって、私たちは「つながり感」を感じるためのツールに困ることはありません。

しかしだからこそ、「人間にとって本当に必要なつながりとは何か」を問い、「人は一人では生きていけない」ということに、もう一度気づき直す必要があると思います。

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rika
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