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詩と散策

何度も目にしていたはずなのに、なんでもっと早くに読まなかったんだろうと悔やまれる本が私にはたびたびあります。久しぶりにその感情になったのが韓国の詩人 ハン・ジョンウォンさんの初めての詩集『詩と散策』

ハン・ジョンウォン 著、橋本智保 訳|書肆侃侃房 刊

私は海外文学が苦手です。翻訳された言葉の羅列に違和感を覚えるから。けれど、その違和感を感じることなく、美しい言葉にのめり込めたのが、昨年アジア人女性ではじめてノーベル文学賞を受賞した、こちらも韓国の作家ハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』でした。

そこから沸々と、私の中で韓国文学をもっと幅広く読んでみたいという興味が湧いてきた。『詩と散策』は職場の書店でも毎日目にしては、装丁が美しいな〜程度だったのだけど、珍しく雪が降った日の翌朝に出勤した時、なんだか本に呼ばれている気がして、前日に本を数冊買ったのに気がつけばまた購入していた。

読み終えた今、本当になんでもっと早く読まなかったんだという声と、この季節に読んだことでこの本への愛情がさらに深まったから結果良かったのでは、というふたつの声が脳内で衝突している。

言葉の並びが圧倒的に綺麗で、最初の章ですぐに心掴まれた。

初めの章「宇宙よりもっと大きな」では、朝目が覚めて雪が降っていることに心躍らせ、恋人と一緒にその喜びを分かち合いながら外に出る。という描写を思い浮かべていたのだけど、次のたったの一行で一気に覆される。一行前までの描写はすべて過去のものだったのだ。

「ひとりだけれど、いっしょに歩くふりをして笑い合ったの、楽しかったです」

宇宙よりもっと大きな

25章からなる本書は、著者がひとり詩を読み、ひとり散歩にでかけ、日々の生活の中で感じたことを綴った、澄んだ水晶のようなエッセイ集。このエッセイを読む行為は散歩──歩くことに似ているのかもしれません。(訳者あとがき)

訳者あとがきにそう書いてあるように、この本を読み進めることは、夕暮れ時、行く宛のない散歩をしているような感覚だった。私はこのままどこに行ってしまうのだろう?誰も私のことを知らない遠いところへ、今あるものをすべて捨てて行ってしまおうか。というような感情と対峙している時のような。私にも詩があれば良かったのかなと思う。

詩と夕暮れはよく似合う伴侶のようだと思う。

夕暮れただけ

私は散歩が好きで、散歩が苦手です。感情まで迷子になって一生帰れなくなるんじゃないかと不安になりながら歩いてしまうから。ただの散歩なのに、手に汗握る。でも、この本に出会ってしまったので、もう苦手ではない。ただ赴くままに、身を任せて、時間にすべてを預けて、時に詩を読みながら、歩んでいこう。

しんしんと雪の降る季節に、外の寒さを忘れて静謐な言葉に溺れる本。

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üka
「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら」 太宰治『斜陽』

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