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【書評エッセイ】素晴らしすぎて、悲しい。

今回ご紹介するのは向田邦子さんの「父の詫び状」。

言わずと知れたエッセイの名作。

彼女の作品はテレビの脚本も含めて、「家族」が軸になっている。

もっと正確に言えば、「父親」が軸になっている。

もっともっと正確に言えば、「父親」だけが大きな軸だ。

その軸一本だけで、テレビの脚本で一世を風靡し、その後数々の珠玉のエッセイを書き残したのは偉業としか言いようがない。

「お辞儀」という作品の中で、

おばあさんのお通夜に、お父さんの会社の社長さんが来られる話がある。

以下、引用させて頂く。

祖母の棺のそばに坐っていた父が、客を蹴散らすように玄関へ飛んでいった。式台に手をつき入ってきた初老の人にお辞儀をした。それはお辞儀というより平伏といった方がよかった。
財閥系のかなり大きな会社で、当時父は一介の課長に過ぎなかったから、社長自ら通夜にみえることは予想していなかったのだろう。それにしても、初めて見る父の姿であった。
高等小学校卒業の学力で給仕から入って誰の引き立てもなしに会社始まって以来といわれる昇進をした理由を見たように思った。
私達に見せないところで、父はこの姿で戦ってきたのだ。父だけ夜のおかずが一品多いことも、保険契約の成績が思うにまかせない締切の時期に、八つ当りの感じで飛んできた拳骨をも許そうと思った。私は今でもこの夜の父の姿を思うと、胸の中でうずくものがある。

サラリーマンであり父親である私の胸もうずいた。

ペルーでの飛行機事故の話が出てくる。

彼女はその事故の直後に同じフライトに乗っている。

同乗した連れの女性が、もしアマゾンのジャングルに墜落しても原住民に助けてもらえるようにと、大きなダイヤの指輪をして搭乗したという笑い話だ。

そして、別のエッセイで、このような一節もある。

私は出逢った事件が、個性というかその人間をつくり上げてゆくものだと思っていたが、そうではないのである。事件の方が、人間を選ぶのである。

向田さんは51歳で台湾での飛行機事故で亡くなっている。

実は、私も飛行機事故に遭った経験がある。(「UA811の記憶」)

向田さんが飛行機事故で亡くなられたのを知っていたので、

この本を読みながら私の眼はずっと薄い膜のようなもので覆われていた。

向田さんのエッセイがあまりに素晴らしすぎて、

その分、私の悲しみは深かったのだ。

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