絵日記に、、、、<短歌>

〇絵日記に 記す買ったを コメントの
          筆跡すらも 捨てし今でも

              <作・なかむら>

※幼稚園もおしまいの頃。
「そろそろ欲しいだろう」。自動的な親からの申し出(?)により、お小遣い。わたしはお小遣いを貰っていた。初期の頃、小学1年生ぐらいまでは週に1回、100円ナリ。何に使っていたのかまでは、憶えていない。けど、別に不自由はしなかった。
月々に買う学習雑誌と、学用品は別。ノートでも、消しゴムでも「買うから」と言えば、すんなり出してくれる親だったのである。
事前のチェックも、ホントに買ったかどうかもノーマークであった。

3年生辺りから、月極め制(?)。
「月に1回、500円」と相成った。わたしから言い出したのだ。週に1回、チマチマ貰うのが面倒臭くなった所以である。「じゃっ、月の最初がいい?終わりがいい?」聞いてくるので最初にと答えた。
相も変わらず、月々に買う学習雑誌と学用品は言えばくれていたけれど、当時、わたしは本。殊(こと)、漫画に目覚めつつあった。
よって「夏休みの絵日記」
8月1日。曰く、お小遣い日に書いたのが以下だ。

「今日は、おこづかいの日でした。500円をもらって、本を買い、残りの180円を、ちょ金箱に入れて、ちょ金しました」

これだけである。
ばね指であった。親指だけが、硬く「く」の字に曲がっていた。鉛筆がちゃんと握れずにいたから、どうこうしても金釘文字しか書けなかった。文字を書くのが苦手であった。

学校へ提出。
9月になって、暫くしてから返って来たその横に、先生が「買ったのは<小学3年生>かな?」とコメントしてくれたのを、はっきり憶えている。正解は<ドラえもん>であったけど。

「要らないじゃん、こんなの」
何年か前の整理の時、捨ててしまったのが悔やまれる。断捨離ブームに単に気持ちが乗ってしまったのであろうか?
死んだ時に棺の中に入れるべきものとして、保存して置けば良かったものを。そうすれば今でも時々、わたしは読み返していただろう。

<了>



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