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[57]臥せりつつ 三首

空腹も頭痛も眠気も後悔も
生きてる証拠
生きたい証拠

稲刈りや藁土木犀夕餉わらつちもくせいゆうげの香
せる窓にも営み届く

せりつつ
想得そうえてひとり笑みこぼれ
この世の終わりは終わったらしい


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調子がいい時というのは、
そのことに気付きにくいものだ。
パソコンや家電製品、人間関係や体調も。

少し頭が重い。呼吸が浅く息苦しい。
「ちょっとしんどいな。」
と感じていたにも関わらず、
「あとちょっと。」
とついつい無理をして、
それが予想以上に大きく影響して、
そんな時にまた
ちょうどお天気も不安定だったりして、
こんな風に寝込むことになったりする。ヤレヤレ。

まず頭痛やだるさの身体的苦痛に打ちのめされる。
そして、
予定していたことができないことを嘆き、
対応策に頭を悩ませる。
やっぱりどうにもできないことを確認して、
後悔が襲ってくる。自分を責め始める。
もしやもっと悪化してしまうのでは、と
更なる不安と後悔と自責の念が押し寄せる。
しかも、
前はこのぐらい大丈夫だったじゃないかとか、
あの時はもっとしんどかったが何とかしたじゃないかとか、
過去の体調不良の記憶まで引っ張り出す。

第一第二の矢はもちろん、
第三第四の矢まで(そんなものがあるかわからないが)
自らに射てしまう始末。
これでは横になっていても休まるはずもない。

そこでハタと気付く。
そうだ、
私の体は頭痛になりたくてなっているわけではない。
ましてや、
私を苦しませようとしているわけではない。
今、私の体は私を癒そうとして痛みやだるさを発しているんだ、と。
そこまで追い込んでしまったのは他でもない、私なのだ。
それなのに、
予定通り期待通り動かないことに不平不満を並べ立て、
あろうことか、
未来への不安や昔との比較まで引っ張り出して、
自分を責めていじめるなんて。

今は体が求めるようにしてあげよう。
いつも私にいろいろな経験をさせてくれる
体の声にいつもより耳を澄ませて労わってあげよう。

この感覚は生きている証、
この感覚は生きようとしている証なのだから。


体が求めるままゆっくり休む。
いつの間にかあたりが薄暗くなっていた。
水を飲みに立ったついでに、
空気を入れ替えていなかったことに気付き、
窓を開けて新鮮な空気を入れる。
どこかで稲刈りをしたのか、
藁と土の香りが届いた。
そして金木犀。
夕餉の支度を始めた家もあるようだ。
一日ただじっと痛みに耐えながら眠っていた
私の部屋の窓にも、
いのち溢れる営みの空気が流れてくる。
そんな空気を深呼吸すると、体が潤うようだ。

深呼吸が、できるようになっていた。


しかし、まだ起き上がるには少々しんどい。
また布団に戻る。
ふと、想を得て五七五を指折り数える。
砂浜で輝く美しい貝殻を見つけた時のように
思わず笑みがこぼれる。
そして気付く。
いつものよくある頭痛だとわかっているのに、
まるでこの世の終わりのように、
痛がったり落ち込んだり悩んだりしていたことに。
まったく我ながら微笑ましい。

とりあえず、
この世の終わりは終わったようだ。


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