「12年ぶりの作品鑑賞」---『溶けでる花と』 伊藤雅恵 個展 。2024.3.23~5.18。Kamakura Gallery。
ずっと作品をつくり続けるのは、思った以上に難しい。
若くて才能があって輝くように見えても、いつの間にか作品をつくらなくなったのでは、という状態になる人は、想像以上に多いように思う。
それは、1990年代後半に、急にアート。それも現代アートという、作家が、今生きていて、作品を制作し続けている分野に興味を持って、細々とながらずっと様々な作品を見てきたから、そんなことを思うのかもしれない。
仕事をやめて介護に専念せざるを得ないような状況でも、現代アートに接することで、気持ちが底の底まで落ち込むのも防いでもらっていたから、それはやはり救われた、といった表現をした方がふさわしいのだけれど、20年以上は観客としてアートに触れてきたから、製作者の変化のようなものも、間接的に知ることもある。
10年ぶりのハガキ
美大在学中から注目を浴び、すでに作品を買い上げられているといった話まで出ている人を見たのは初めてだった。
それから2007年にはトーキョーワンダーウォール賞を受賞し東京都庁に作品が展示されているのを見た。2008年にはVOCA展で佳作も受賞しているから、才能がある人は駆け上がっていくのも早いと実感したことがある。
伊藤雅恵、というアーティストはそんなふうに見えていて、個人的には在学中に作品を見に行って、過去のファイルを見せてもらい、トイレの水にまで星を見てしまうような感覚にとても新鮮な思いになり、未来の明るさが具体化しているようにさえ思った記憶がある。
その後、2012年にギャラリーで作品を見て以来、自分が知らないだけだったのかもしれないけれど、ずっと名前も聞かなくなったし、作品を見る機会もなかったのに、過去に芳名帳に名前を書いたこともあったせいか、2023年に個展を知らせるポストカードが届き、自宅からは遠方のためもあって行けなかった。
ただ、作品を制作し続けているのは分かったので、とても勝手なことだけどうれしかった。
(ここまでの話を、もう少し詳細に書いたのがこの記事↓です)
鎌倉画廊
それでも、その後は、そのことをほとんど忘れていた。
2023年の個展は大阪で、おそらくは地元に近いのかもしれないし、そうした活動を続けていくのだと思っていたせいもある。
2024年になってから、鎌倉画廊からポストカードが届いた。行ったことがない画廊だったのだけど、それは伊藤雅恵の個展を開催することを伝えるDMだった。
かなり以前、この同じ場所で個展を開いたはずだけど、それはもう10年以上前だったし、2023年は大阪で遠いから行けなかったけれど、今回は神奈川県の鎌倉だった。
行ったことがないギャラリーで、都内からだと、途中の駅からはバスに乗ったほうが良さそうなので、余計に時間がかかり、もしかしたら2時間くらいかかってしまいそうだし、もし、妻と一緒に行くとしたら体力的に不安があったものの、それでも行けない場所ではない。
3月から5月。
2ヶ月近くの期間開催しているし、できたら作家在廊のときに行ってみたい気持ちもあったけれど、その日は他の予定がすでにあった。
それでも、とにかく行こうと思って予定を立てて、ゴールデンウィークまでなかなか行くことができず、微妙に焦りながらもなんとか連休中の谷間の平日に予定を入れたらその日は雨が降ったのでさらにその次の日に出かけることを決めた。
晴れていた。
寒くなったり、夏日になる時もあったけれど、その日はそれほど暑いわけでもなくて、だから出かけるにはちょうどいい日で、最近使わなくなった行楽日和、という言葉を思い出すくらいだった。
電車とバス
電車に乗り、大船に着く。
ここに来るまですでに小旅行な感じになっていて、そこから鎌倉画廊のサイトにあった通りにバス停を目指して歩く。途中で走ってくる外国人がいて、そういえばゴールデンウィークの合間だったのだから、鎌倉近辺はとても混むのではないかとも思ったけれど、その人たちが走っていく先はモノレールの駅だった。
かなり明るい絵でラッピングされたモノレールはスタートして、乗りたかったとも思わせるけれど、モノレールの駅からは「急で狭くておすすめできません」というギャラリーのサイトにあった言葉を思い出し、バス停に再び向かうと、すでにバスが来ていたから乗り込む。
しばらく経ってからバスは出発し、初めて乗るルートはなんだか面白かった。だんだん坂を登って、目的地は鎌倉山なので、本当に山なんだと思うと、やっぱりさらに気持ちが盛り上がる。
ただ、鎌倉画廊は行ったことがないので、バス停から迷いそうだと思うと不安で、だけど、もうすぐ鎌倉山のバス停だから、もしかしたら窓から見えるかもと緊張していたら、信号で止まったとき、左側に、目指す鎌倉画廊があった。びっくりするくらい道沿いだったけど、わかりやすくてありがたかった。
12年ぶりの作品
ギャラリーの2階に作品が並んでいた。
以前から花の絵を描いている人だった。
ゆったりしたスペースに作品があって、画面には、花があって、かなり動きがあるように筆の線が走っていて、だけどそれは花を素材として抽象化して何かを狙っているというよりは、花も生きていて、それがきちんと描かれているように思えた。
ブーゲンビリア。
コスモス。
ミツマタ。
サザンカ。
シュウメイギク。
桜。
梅。
チューリップ。
そうした身近な花が、自分に近い存在として描かれている。
ギャラリーは3階まであって、妻と私以外にこの時間は鑑賞者がいなかったので、ゆっくりと見ることができた。
そして、10年以上前に見た同じ作家の作品よりも、新しい感じがしたのは、そこにある花々の生命力が伝わってくるように思えたからだった。
絵画というものは長い歴史がある。さらには花を描く絵も膨大な蓄積がある。
それを美大卒であれば当然知っているはずなのに、そこにさらに新しいものとして、さらに花を描くことをしてきたのが、以前よりも自然になってきたように見えた。
それはすごいことだと思う。
描き続けてきた人にしかできないことかもしれない。
見にきてよかった。
この人は、まだ描き続けるのだろうと思った。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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