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読書感想  『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』  「書くことの本質」

 こうした本を読むときに、自分の中で雑音になってくるのが、「うらやましさ」だった。

 書くことが仕事になる上に、需要が多い書き手であれば、仕事はこちらから売り込まなくても、向こうからやってくる。その上、書くことに苦戦し、締め切りを破ることになっても、次の仕事がある。

 そんな状況の書き手が、書けない悩みを語るのは、私にとっては「貴族の話」に思えて、それは単なる嫉妬なのだけど、自分の中の雑音になって、読むことに集中できないこともあった。

 だから、この本を読み始めても、最初は、そんな身勝手な不安を振り払えなかったのだけど、ここに登場する書き手の真摯さや、本の構成によって、読み進めるに従って、「書くことそのもの」について、考えられるようになった。

『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』 千葉雅也 山内朋樹 読書猿 瀬下翔太

 4人の著者は、職業的な専業のライターという人たちではない。学者だったり、NPO法人に関わっていたり、組織で働きながら、書き続けている。それも、基本的にはアカデミック的な思考法を共有している、という言い方もできるのだけど、それぞれ活躍している分野も住んでいる場所も違う。

「書くこと」をテーマとしながらも、おそらくは意識的に、参加者の様々な要素をバラエティーに富ませることで、「書けない悩み」を、同業者同士の、どこかナルシスティックな馴れ合いではなく、緊張感や広さや深さのある記録として形にできたのだと思う。

 最初に4人が会って、「座談会」をする。それは、「挫折と苦しみの執筆論」とタイトルがついている。
 その後、それぞれが、「座談会を経てからの書き方の変化」をテーマに、原稿を書く。

 その原稿が仕上がったのちに、再び、「座談会」を開く。そのタイトルは「彼方と解放への執筆論」である。

 この形式をとることで、こうして手間と時間をかけることで、おそらくは通常ではたどり着きにくいところまで、それも、ただ遠くを指差すという抽象的な話ではなく、「彼方と解放」まで地続きで歩いていけそうな気持ちになる。

 書くこと、ひいてはなにかをつくることは、ようするに生きることだ。書くことは結局のところ自分自身と向きあい、その限界を認め、諦めることだし、これ以前に受けてきた傷やわだかまり続けるしこりも含めて許すことだ。書くことの悩みは自分自身の生と深く結びついているがゆえに絡まりあっていて、表に出すのは恥ずかしく、涙なくして語ることはできない。しかしだからこそ、それを晒しあい、迎え入れるこの場には、底抜けに明るい笑いが満ちている。 

 これは、本の冒頭の「はじめに」で、著者の一人の山内朋樹が書いていて、最初は大げさだと感じたことが、読み終わる頃には、かなり正直な描写だと思えるようになった。

座談会を経てからの書き方の変化

 最初の座談会を終えてから、それぞれ、この「座談会を経てからの書き方の変化」を共通のテーマとして、文章を書いている。それぞれのごく一部を引用する。

 断念の文章術  読書猿
 断念1 ノンストップ・ライティング:構成やプランをあきらめる  
立ち止まることなく、欠落も重複も厭わず書き続けること、読み手に伝わるようにとか、分かりやすくとか、印象深くとか、そんなことをすべてあきらめ、ただ自分が書こうとしているものが一体何なのか、それを知るためにだけ書き続けること。


散文を書く  千葉雅也
フリーライティングで大事なのは、いわば「凝集的に書こうとしない」こと。無駄なくコンパクトに整えて書こうとしない。「えーと」とか「まあそうだな」とか間投詞的なものや、迷いやイライラみたいな情動もそのまま書いてしまう。冗長な要素も出るに任せて書いていると、アイデアはそのあいだに出てくる。


書くことはその中間にある   山内朋樹
ツイッターに書いたところだけど、執筆はスポーツに近いんじゃないか。いや、そう言えるとするなら逆にスポーツもまた執筆に近いのであって、というよりそもそもスポーツも執筆もそのコアには身体と習慣がある。


できない執筆、まとめる原稿 ―― 汚いメモに囲まれて  瀬下翔太
限りなくゴミに近い「メモ」でいい。


書くことの本質

 座談会→原稿執筆→再びの座談会。

 この時間の中で、特に原稿の内容については、それぞれが打ち合わせもなく書いているはずなのに、どれだけこだわらなくするか、といったとても似たことを書いているように思えた。

 さらに、それを踏まえての2度目の座談会は、ある種の共同体を作る作業にも似ていると思えたから、書くことは孤独であっても、孤独ではない。それを確認できただけでも、意味があるのではないか、と読者でも思った。

「殻を破る」というのはよくある言い方だが、それがまさに今回の試みだなあ、と思う。つまらない「殻」を自分で作り出している。それを破って、外に出るということはどういうことか。それは、安全地帯でぬくぬくしていたいというのを諦め、危険に満ちた外気に肌をさらすということだ。
 自分はこう書く、こう書いてしまった、という結果に肯定否定どういう反応が起きるにせよ、堂々としていよう、ということである。勇気である。

「あとがき」で、著者の一人である千葉雅也が書いていることは、「書くことの本質」の確認でもあるように思う。

おすすめしたい人

 何かを書いている人。
 書こうとしている人。
 それでいながら、書くことに悩むこともある人。
 
 そういう人には、特におすすめできるのですが、もしかすると、私もそうですが、noteを読んでいる人、noteで書いている人、全員に当てはまっているかもしれません。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえるとうれしいです)。



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