2023年の芥川賞受賞作は、ニュースなどで知っていた。重度障害者では初めての受賞だと報道された。
そう指摘されて、普段、本当に考えていないことに気がついた。
そして、そうした受賞時の言葉にまで、これだけの力をこめられることはすごいのだと思ったのだけど、それは、自分も含めた社会の環境を考えると、やはり「2023年になって初めて」なのは、とても遅くて、問題なのだろうと思った。
読む前に、多少、心が構えてしまった。
それ自体が、いろいろな意味で問題があることなのは、分かるけれど、今のところどうしようもなかった。
『ハンチバック』 市川沙央
知らないことばかりで、構成されているように感じた。
それだけ、自分が見ないようにしてきた、ということだった。
病気の症状や、周囲の反応や対応。両親の言葉や、自身の身体のことについて、これだけ正確に描写しているので、全く知らなかった人間でさえ、一瞬、分かったような気になる。
それは、もちろん錯覚であるとしても、その状態で、文章を書き続けることを想像し、だけど、実感としては分かるわけがないことも、分からせてくれる。
普段は見ないようにしていることなのだけど、目を背けさせないような描写が続く。
本
主人公は、親が遺してくれた遺産で、自身が所有するグループホームで生活をしている。
だから、生活そのものには困っていない。というよりも、もしも、そうした経済力がなかったら、生活よりも、命がどうなっていたのか。生きていたとしても、生きていくこと以外に、何かをできる環境があったのだろうか、と思ってしまうが、それも、自分の無知のせいで、それ以上の想像が広がりにくい。
そして、読書という行為自体が、どれだけ身体に負担をかけるのか。それは、芥川賞受賞以後、あちこちで引用されているから、私も少し分かった気になっていたのだけれど、当然ながら、そんなに簡単に分かるわけがない。
バリアフリー、さらにはSDGsという言葉は広く言われるようになり、車イスを押して駅に行くと、この10年くらいでエレベーターは多くなり、変化も感じるが、ただ、自分が関係すること以外については、見えていないことに改めて気がつく。
紙の本を読むのは、知的な側面ばかりに目がいってしまうが、その物質を扱う肉体的な作業でもある。だから、知らなければ、気がつかないうちに排除にもつながる。
それは、こうした内省も踏まえての言葉だった。
さらに、その批判は、それが実現するかどうかは別としても、出版界まで届けている。
これは、本当のことだと思う。それでも、恥ずかしながら知らないままだった。
私の夢
そうした日常の中で、主人公は、ある「夢」についてひそかにつぶやき始める。
そのことについて、いわゆる主人公は、自分以外の「社会」では、どんな反応があるのかも、自分でも分かっている。
その育ってきた環境についても、控えめに描写される。
いないことにされる。そのことについての怒りは、やはりベースにあって、その強い怒りは、受け止めきれないと感じる。でも、そんな傍観者のようなことを言っていられるのも、読者である私自身は、当事者ではなく、関係者でもないからだ。
主人公は、その毎日を繰り返しながらも、自分の「夢」に関して、実現する方向への一歩を踏み出さざるを得なくもなるが、そこに関わってくる人物の悪意は、私のような健常者にとって、決して他人事ではない存在として描かれている。だから、読んでいる側にも向かってくる。
タイトル
この小説のタイトルは「ハンチバック」。小説の文中にもあるように和訳すると「せむし」になる。
ディズニー映画の場合は、主役にも関わらず、邦題の場合は、まるでいないことにされているようになる。
そういう社会状況であれば、今回、紹介した小説のタイトルも、もしも「ハンチバック」という英語ではなく、その和訳の「せむし」であれば、タイトルに使うことはできなかったのだろうか。このタイトルの選択にも、そうした怒りのようなものが込められているのではないだろうか。
21世紀の現在、読むべき本であることは間違いない、と思う。
(こちら↓は、電子書籍版です)
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしければ、読んでもらえたら、うれしいです)。
#推薦図書 #読書感想文 #ハンチバック #市川沙央
#障害者 #文学 #小説 #マチズモ #本
#芥川賞 #小説家 #毎日投稿