読書感想 『出世と恋愛 近代文学で読む男と女』 「社会の反映」
名作と言われている近代文学の多くは、例えば「夏休みの課題図書」だったり、教科書で出会ったせいか、大人になってから、なんとなく縁が遠くなってしまうことが多い。
それでも、思いついたように過去の文学を読むと、その凄さを感じることもある。
例えば、実は夏目漱石の「明暗」は、まるで見栄を張ってしあう現代の男女の気持ちの繊細な読み合いまで描かれているように感じて、やっとすごいのが分かったのが、自分が中年になった頃で、同時に、これは若い時よりも大人にならないと読んでも理解できないのではないか、と自分の無知を棚に上げて思ったりもした。
その一方で、明治以降の「青春小説」は、ちゃんと読んでいないような気もするけれど、特に自分が大人になってからだと、主人公が学生だったり、若かったりすると、微妙に読めないような感じがして、それが、自分の能力の問題なのか、小説側の問題なのか、わからない部分もあった。
だけど、この書籍を読んだあとでは、もう一度、近代の「青春小説」を読むことに挑戦できるかもしれない、と感じるくらいに、視界が晴れたような気がする。
『出世と恋愛 近代文学で読む男と女』 斎藤美奈子
冒頭に近いところで、近代の「青春小説」へ薄々感じていた疑問のようなものが、初めて明快になった気がした。
自分自身も、地方から上京してきたわけではないのに、似たような若い時があって、だから、棚に上げられるわけもないのだけど、そんな自分から見ても、近代の「青春小説」では、何やっているのだろう?と思ってしまうような主人公の、極端に言えば挙動不審のイメージがあった。
だから、いろいろな場所で断片的に読んだようなうっすらとした読者であっても、納得できてしまう分析だった。
これも、自分のことを棚に上げるけれど、展覧会で見た川端康成の、若い女性への手紙(一応ラブレターだと思う)が、とても一方的で、とても高飛車で、ちょっと引いた気持ちになったことを思い出す。
これは正しい見方だと思うが、このことは、今もそれほど変わっていないのかもしれない。それも、いわゆるエリート層と言われている男性の中では。
この記事↑の中でも、東大の医学部の学生で、男子校出身で、共学出身に、ほとんど幻想の敵意を持っていることが書かれている。
これからの社会で、こうした発想はやっぱりどこか危ういというか、もう男女別学は避けた方がいいのでは、と思うような印象だけど、その始まりが明治以降の近代にあることが明らかになってくるし、今後、この「出世と恋愛」で扱われている作品を読むときは、著者の斎藤美奈子氏の視点から自由ではいられないと思う。
そのくらい、新鮮で魅力的だった。
名作の背景
こうして発表された年月も共にあげられているから、そこで時代の変化のようなものも考えられる。そして、当然ながら、この明治の当時の風潮と、『三四郎』の内容とは無縁ではない。
そして、斎藤の視点に沿って、主人公とヒロインとの意識を追っていくと、改めて、こんなに違うことに少し驚くような気持ちにもなるし、三四郎は、あまりにもウブすぎるのではないかとも思えてくる。
明治の巨匠、もう一人の森鴎外の『青年』は、『三四郎』の2年後に発表されている。
まず知らなかったのが、「青年」という言葉に関して、だった。
さらに、不謹慎な表現になるかもしれないが、この頃は若い人たちの間では「自殺ブーム」だったといわれている。そして、そのきっかけもはっきりしているという。
ただ、この時代の「恋愛論」といっていいものが、最初から矛盾に満ちたものであったことも、若い人たちの苦悩を深めていったようだ。
そして、ある意味、身もフタもないけれど、藤村操や、北村透谷に関しての、こうした結論に関しては、とても納得がいった。
さらに、『三四郎』から10年以上が経ち、それでも、その主人公が進歩しているわけでもないことを、武者小路実篤が書いている。
例えば、ヒロインから見た主人公(野島)と、そのライバル(大宮)との対比。
ただ、この主人公は、現実の世界も含めて、大正時代だけではなく、今も、いるような気がするのが、おかしいというよりは、ちょっと怖い。
ヒロインの変化
その一方、時代が経つと、ヒロイン像は、変化していくようだ。
もちろん、そうした作品は一つだけではない。
そして、ある意味では、時代がやっと追いつくときがくる。
ただ、『三四郎』と、こうしたヒロインたちが違うのは、相手に正面から向き合ってからのダメージだったから、おそらくは意味合いが全く違うだろうし、描かれなかったとしても、その後の主人公の成長や、あり方は、変わってくるはずだ。
「風立ちぬ」の時代背景
例えば、『風立ちぬ』も、その時代背景を考えたら、おそらく読むときにも印象が変わってくると思える。その刊行は、1938年、昭和13年。盧溝橋事件が、その前年のことだった。
そうした視点自体を、恥ずかしながら、知らなかったし、わからなかった。
だから、近代の「青春小説」は、今にもつながっているし、そして、主人公のあり方も、恋愛への姿勢も含めて、想像以上に変わっていないかもしれないので、この書籍で気になった「青春小説」を読めば、それは、本当に、現代と関係ある世界として見えてくるのだろう。
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