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読書感想 『残酷人生論』 池田晶子 「届く力がある言葉」

 何もやる気がしなくて、この先にどうしたらいいか分からなくて、未来には、またロクでもないことしか待っていなくて、そういう時には、生きている意味みたいなものはないとも思えて、これまでの自分を振り返っても、何もやってなくて、過去の蓄積のなさに、また暗くなる。

 そんなことは、時々あって、かなり辛い時には、本当に何も出来ないけれど、ふと、何のキッカケか思い出せないのだけど、「ほんの少しでもいいから、まともになりたい」と思ったことがある。

 自分の大変さとか、辛さとかは、たぶん、そんなにたいしたことがないから、それでいちいち落ち込んだり、暗くなったり、やる気をなくしたり、といったことは、少し恥ずかしいのだけど、なぜか「まともになりたい」と思った時に、急に本を読もうと思った。

 そして、それまで読書習慣もなかったのに、それに若い時を過ぎていたのに、少しずつ読み始めたら、その読んだ内容、何より文章に引きずられるように、さらには、その本の中で魅力的に紹介されている本が、また読みたくなった。

 そうした流れだと、自分の興味だけでは、決して手に取らないような本も読むようになった。ラジオなどで熱をこめて語られている本なども、読む機会が増えた。そして、読んでよかったと思えることも多くなった。

 この本↑も、おそらくは、そうした流れで読んだ本だと思う。その中に、哲学者・鷲田清一のこんな言葉があった。

 ヨーロッパの人が哲学でやろうとしてことを自分たちでやるのであれば、やっぱり僕らがふだん使っている日常語をどこまで解剖して再定義できるかどうかにかかっている。

 その言葉は、忘れていそうで、ずっと気持ちの中にあったということを、最近、読んだ本で、急にはっきりと思い出した。

「残酷人生論」 池田晶子

 この本のことは、以前、読んだ本の中で引用されていて、それで読もうと思ったのだけど、恥ずかしくも失礼ながら、著者のことを知らなかった。

 とても力強い文章だと思った。
 持って回った部分がなく、こちらに向かってくるような内容だと感じられたし、だから、一気に読めなくて、少しずつ読んだ。どこかで読んだ気もするが、それは、ずっと「生きること」について書かれているからで、「死」についても、もちろん書かれているが、「死」を直接、扱っているようには思えなかった。

 それは、孔子が、弟子に問われて、「生きることも分かっていないのに、死のことは語れない」といったことも思い出させる内容でもあったのだけど、何しろ著者・池田晶子氏は、とにかく自力で考えている気配がとても強く、伝わる力も強いと思った。

 その中で、読んでいて急に「届く力」が変わり、強くなったように思った文章があった。それは、おそらくは、自分の気持ちが、それを受け取る状態にあったのだと思う。

 幸福とは、善い魂のことである。善い魂であるということが、幸福であるというそのことなのである。善くなるために努力している魂もまた、幸福である。その努力が幸福になるための努力であるということを知っているからである。善い魂は、いかなる外的な悪によっても不幸になることがない、そのことによって幸福なのである。
 ところで、努力とは、必ず苦しいものである。楽な努力、そんなものはない。楽なことは、たんに楽なのであって、そこに努力は伴っていない。善くなるための努力は、必ず苦しいものである。しかし、善くなることは幸福になることなのだから、これをつづめて言うと、
 善く苦しむ
 苦しみは喜びである
幸福とは、これである。そして、これ以外の何かではあり得ない。

 中年になってから、本を読み始めたときに、「少しでもまともになりたい」と思ったことを、思い出したし、少し気持ちが支えられたように感じた。

「届く力のある言葉」

 「届く力」がある文章というのは、やっぱりあって、それは、「届かせよう」という思いの強さでもあるだろうし、さらには、今の私には、引用した文章が「届いた」のだけど、人によって「届く」文章も違うと思った。

 著者は10年以上前に亡くなっていて、この書籍も絶版だったものを、2010年に再び出版されたものでもあるから、すでに新しくなくなっているのかもしれない。だけど、それぞれ違う状況にいる読者の方に、今も「届けるべき言葉を届かせる」ことができるから、おそらく現在でも、広い世代にファンがいることも、帯に「あなたはまだ知らないのか?」とあるのも、納得できるように思えた。

 さらに、今さら、初めて読んだ私のような読者が何かを語れるわけもないけれど、考え続ける力の強さ、といったことは、少しだけど、分かったような気もした。

日常語で考えること

 そして、鷲田清一が、「ヨーロッパの人が哲学でやろうとしてことを自分たちでやるのであれば、やっぱり僕らがふだん使っている日常語をどこまで解剖して再定義できるかどうかにかかっている」といっていたようなことを、実践しようとした人の一人でもあるようにも思えるけれど、そんな「定義」をされることは、著者の池田晶子氏にはとても嫌がられるようにも思う。

 この本は、日常語で考えて、書かれている。
 だけど、本当に「元気な日常」にいる時は、この「考えられた日常語」は、届かないような気がする。
 読んで、届く文章があるとすれば、それは、自分が、そのことについて、悩んでいて、日常よりは、少し深いところにいる時間がある、ということかもしれない。


 文章との相性はあるとは思うものの、世代を問わず、思った以上にフィットする方はいらっしゃると感じたので、少しでも興味が持てた方には、おすすめできると思います。



(参考資料)




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