【展覧会感想】 「両大戦間のモダニズム1918-1939」。町田市立国際版画美術館。2024.9.14~12.1-----「知らない時代の華やかさ」
行きたいと思いながらも行けない美術館の一つだった。
雑誌などで見て、すごいと思った、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館や、十和田市現代美術館など、海外や、国内でも、遠くて行けない美術館はあるけれど、東京都内なのに、なんとなく行けないままだった美術館がある。
町田市立国際版画美術館。
自分も都内在住で、交通費も、時間も、それほどかかるわけではない。だけど、情けない話なのだけど、駅から歩くとなると、ちょっとためらってしまうところがある。
それに、この美術館のホームページの「アクセス」には、親切で書いてくれているからありがたいのだけど、町田駅から徒歩15分程度。だけど、最後にとても急な下り坂がある、という詳細まで記されていて、そのことを想像して、なんだか少し怖がっていたせいもある。
でも、今回、noteでフォローしてくださり、コメントまでしてもらっている方から、この美術館の招待券をいただけることになった。
とても、ありがたい。
これで、版画美術館に初めて行ける。
町田の印象
町田のイメージは、人が多い場所というものだった。
小田急線と、横浜線の両方の駅がある。
その乗り換えのとき、本当に人波がすごくて、というような印象がずっとある。
駅前には、大きいデパートがある。
ラーメン屋も多く、学生の街という印象もある。
だけど、その駅前から少し歩くと、思ったより静かになっていくのを知ったのは、初めて「ことばらんど」という場所に行った時だった。
こういうところがあるのは、ちょっとうらやましかった。
そのとき、ここから、またさらに先へ歩くと版画美術館があるのは知っていたのだけど、「ことばらんど」から出たとき、もう閉館の時間が近かったのであきらめた。
だから、もしかしたら、近いのに行けない場所になるかと思っていたから、今回、こうしてきっかけを作ってもらったのは、ありがたい上に、とてもうれしいことだった。
町田市立国際版画美術館までの道
横浜線の町田駅で降りた。
平日だけど、人が多い。
版画美術館の「アクセスマップ」をプリントアウトして、(北口)からのルートを選択したのは、(ターミナル口)からのルートの最後は、「たいへん急な坂道です。足元にお気をつけてください」とあったからだ。
妻と二人で歩いていくのだから、できたら、もう少し穏やかな道がいい。
それで選択したルートは、最初の歩道橋のスロープがどこだ?と少し探すようなところから始まったけれど、原町田街道を歩き、何ヶ所かで彫刻があり、町田街道に突き当たって右折をし、今度は左へ曲がる。
少しずつ下り坂になって、芹が谷公園という場所に入る。
緑が濃く、ここにも彫刻があり、人が少なく、すごく遠い場所に来たような気持ちになる。
そこから、さらに急な階段で、しかも段数が多いところを降りていく。
駅から遠ざかっていくと、なんとなく勝手に坂道を登るような場所が多い印象なのだけど、思った以上に下がっていく。こんなに谷のようなところに美術館があるのが意外だったけれど、でも、新鮮だった。
階段を降りて、また立体の彫刻があって、右折すると、そこに美術館があった。
両大戦間のモダニズム 1918-1939 煌めきと戸惑いの時代
第一次世界大戦が終わったのが1918年。
そのあと、第二次世界大戦となったのが1939年。
その間が約20年。
改めて、その時間は短く、第二次世界大戦が終わってから時間が経って生まれた人間にとっては、その時間に関しては、とても薄い印象しかない。
だけど、戦争と戦争にはさまれた時代は、勝手に重くて暗くて不安だけがあるように、自分が思っていたことに、両大戦間というタイトルを見て、改めてわかった。
最初の展示は「両大戦に向かって」というテーマで、1918年以前の作品が並んでいる。
フェリックス・ヴァロットン。
こうして個展が開催されるのだから、有名な作家の一人なのだろうけれど、個人的には全く知らない人だった。
だけど、黒と白だけで、しかも、それほど大きくない画面の中で、大勢の人がいて、それもデモらしき集団だから、穏やかではないはずなのだけど、その動きが伝わってくるような気がした。
それでいて、野蛮というよりは、洗練されていて、どこかおしゃれな気配もあって、生き生きとして、モダンだった。
ただ、そうした混乱を経て、第一次大戦に突入するのが1914年。
この展覧会のキャプションにもあったのだけど、この戦争は、それほどかからないと思われているのに、4年も続いてしまい、そして、歴史上、初めて大量に殺戮する兵器が使われたから、その衝撃も、その弾孔だらけの平原や、毒ガスを使う兵士といった表現で、版画作品にも残されている。
亡くなった方々も多いし、生き残った人たちの不安やショックや、その後にも残るような様々な影響もあるだろうと思わせる重さが伝わってくる作品も多かった。
煌めきと戸惑い
そうした第1章と違って、第2章は「煌めきと戸惑いの都市物語」というタイトルで、そして、その作品は、鑑賞者にとっては、煌めきの方がまず強く伝わってきた。
最初は、「フランス:パリ・モードの輝き」。
自分の無知のせいもあって、そこに並んでいる作家の名前は知らなかったのだけど、その華やかさは十分に伝わってきた。
考えたら、フランスは戦勝国であって、それは、言葉は悪いが浮かれていると思えるほどの輝きだった。
それに、そのファッションをテーマにしたような版画作品は、今から見ても新しく、おしゃれでカッコよく見えた。今から100年くらい前のはずなのに、この頃からパリは、こんな風だと思うと、日本にとっては、憧れが募っても当然ではないかと思えた。
そして、両大戦間という、今から見ると、戦争にはさまれた時期でもあったのだけど、第一次大戦が終わったあとのパリには開放感があったのだと改めて思った。
同時に、展示室のそのあとには、「アメリカ:摩天楼の夢」、「日本:西洋への憧憬」と題された作品が続く。
この頃の日本は大正時代から、昭和初期で、モダンガール・モダンボーイを略して「モボ・モガ」などと言われ、そして竹久夢二が人気がある時代だった。
それが、本当に西洋、おそらくは特にパリへの憧れがベースにあったのがよくわかる展示にもなっていて、当たり前だけど、世界は影響しあっているのを目の当たりにしたような気がした。
さらに「ドイツ:新しい社会の現実」は、敗戦国のドイツが多額の賠償金を課せられて、厳しい状況にあったことは、それこそ教科書などで知識として知っているだけだがったが、その頃のドイツの版画作品は、フランスとは対照的に、もっとミニマルというかシャープな印象だった。
戸惑い、というよりは、試行錯誤な感じが強かったのは、「ロシア:アヴァンギャルドの未来」のコーナーで、そこには今でも不思議な新しさがあるようだった。
版画作品は、一点ものではなく、しかも、大きな作品はほとんどない。
だけど、色と形で、黒と白だけでも、本当に当たり前だけど、人によってすごく違う。その上、小さい画面なので、かなり近くによって、その画面全体が視野に入って、そして、ゆっくりと見ることができ、それは作品との距離がより近いような感じもする。
版画だけが展示されていることで、そうした特徴のようなものに改めて気がつかされた。
ビッグネーム
ラウル・デュフイ。長谷川潔。アンリ・マティス。パブロ・ピカソ。ルネ・マグリット。マルク・シャガール。マルセル・デュシャン。マン・レイ。マックス・エルンスト。サルバドール・ダリ。
もちろん、これで今回の展示のすべてではないけれど、自分にとってのアート界のビッグネームの作品も、思いがけず、たくさん目にすることができた。
マティスは、スキルというより味の人だったし、ピカソはラフに描いているようでも版画でもうまいのがわかるし、マン・レイは気持ちよさを拒絶するようなクールさがあるし、シャガールは版画で色が少なくても得体の知れない豊かな不気味さがあった。
ダリは、この版画という方法のほうが向いているのではないか、と思うくらい画面に緊張感があった。
画面が小さくても、私が知っている印象に過ぎないのだけど、どの作家も、版画の形式になっても、その特徴や凄さははっきりしていて、人間が作品をつくる、ということの不思議さのようなものも感じた。
そして、こうした20世紀を代表するようなアーティストたちも、多くは、第一次世界大戦と、第二次世界大戦にはさまれた時代だけではなく、戦争の時代も経験していることを改めて思い出して、厳しい時間を生き抜いて、それでも作品を制作し続けた人たちだ、ということを思い出させてくれた。
全部で100点を超える作品を見た。
鑑賞には90分以上かかったと思うけれど、適度な疲労感もあったのは、それだけ作品の力があったせいだと思う。
今回、両大戦間、という誤解しがちで、形にはまった見方をしがちな時代も、作品を通して見ることで、その時の気配も含めて伝わってくるし、その時代も、ただ戦争の間、というだけではなく、人間が生きていて、複雑な要素があったことを分からせてくれた。
来てよかった。妻と二人で、ゆっくり鑑賞することができた。
改めて、招待券をいただいたことをありがく思いました。
ありがとうございました。
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