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「セミの羽化」

 小さい庭なのだけど、毎年、セミのぬけがらがある。
 多い時は、10個以上見つかったりするが、いつも、いつのまにか、そこにある。

 人類にとっては、コロナ禍で、いつもと違う夏になってしまっているけれど、そんなこととは関係なく、今年も、セミのぬけがらがあった。

 庭に置いてあって、あまり乗っていない自転車の車輪のそばにあった。
 玄関先に置いてある机のふちにもあった。
 

 人間の勝手な感覚だけど、木の枝もあるし、鉢植えもあるし、家の外の柱とか、もう少し、快適に羽化しやすい場所もありそうなのに、すごく体を保持しにくい所にあった。

 それは少し不思議だとも思うのだけど、毎年、羽化して、ぬけがらを残しても、それは、いつのまにかなくなったり、こちらで外したりして、夏を迎える頃には、ぬけがらはなくなっているはずなのに、気のせいかもしれないが、いつも違う場所で羽化する。という暗黙のルールがあるのかもしれない、と思うくらい、不自然な場所で、新しいぬけがらが、見つかることもある。

夜中の羽化

 狭いといってもいい庭で、これだけ毎年ぬけがらを見ているのに、不思議なくらい羽化の瞬間を見ることはない記憶の中では、一回だけだった。

 その頃は、義母(妻の母親)の介護を、妻と一緒にしていた頃だった。
 10年以上前だったと思う。

 私は、夜中の介護の担当で、午前4時か5時まで起きていて、だから、夜中の12時頃は、まだ夜としては浅い、みたいな変な感覚になっていた。
 庭に面したガラスの引き戸の外を、介護の時間の中で、時々見る。道路に、人が通ったり、奥へ続く路地に、向こうからゆっくりとネコが歩いてきたりすることもある。外を見ると、外灯や自分の家の蛍光灯などで、明るさはあるものの、それよりも夜は圧倒的に暗いことを、よく思ったりもした。

 いつものように外を見たら、家の壁に、何かがいた。
 少し動いているような気がした。

 ガラス戸をあけて、そばで見たら、セミが羽化をしているところだった。
 ただ、止まっているみたいだった。

 さなぎの背中がわれて、中から、セミになろうとする生き物が出てくる。
 透明だった。白いようにも見え、玄関近くの明かりをうけて、少し輝いていた。
 色がないようだった。

 こんなに、きれいだったんだ。
 おおげさでなく、神聖な光景だった。

 だんだん外へ出てきて、少しずつ色がついていくようだった。
 途中で透明から、薄い緑色になっていった。
 
 ずっと見ていると、時間が止まっているようだったし、夜中だけど、ちょうどトイレに起きてきた妻に声をかけて、少し一緒に見ていた。

 完全に無防備で、ここで鳥が来たり、天敵に襲われたら、すぐに終わりになりそうだった。

 だけど、そんなおびえや、おそれは、あたりまえだけど、関係なく、ただ、羽化を続けて、とてもゆっくりと動いていた。こちらは。ずっと見ているわけにもいかず、時々見ていたのだけど、羽化は進まないように見えて、3時間くらいはたっていたと思う。そのうちに自分の眠る時間のほうが先に来てしまった。

 外は明るくなってきていて、ご近所の早起きの人は、すでに散歩をしたり、ゴミ出しをするような時間になってきたのだけど、羽化は、ただそこで独立した時間と、存在として、ゆっくりと進んでいた。

 最後まで見ることはできなかった。

 翌日、起きて、その場所を見たら、ぬけがらだけがあった。
 たぶん、無事にセミになったのだろうと思った。


地中の7年 地上の7日

 そんなにしっかりと探していないけれど、どこから、セミの幼虫が、あがってきているのか、いつも、分からなかった。土もそんなに柔らかくないはずなのに、いつのまにか、ぬけがらだけが残っているから、この土の下にいたことが想像できるくらいだった。

 たしか、セミは幼虫の姿のまま、土の中に7年いる、という話を知っていて、それはいつ聞いたのか忘れているくらいなのだけど、そのことは、思ったよりも広く知られている。それだけの年数、土の下にいて、その上、羽化してセミになってからは、1週間とか10日の命しかない。といった話も、いつ間にか知っていて、多くの人も知識として持っているのも、その土の下の時間の長さと、セミになってからの命の短さの対比のために、記憶に残りやすいのだと思う。

 7年と、7日間。

 夏になり、ある日突然、というようにセミが一斉に鳴き始め、無視しようとしても、できないくらいの大きい声で鳴き続けるから、よけいに暑い、みたいなイラだちさえ感じることもあるけど、道路にあおむけで落ちるようにいると、時々、それを拾って、急に羽ばたかれたり、動かない時は、土の上にうつしたりはする。
 
 その一方で、小さい体のわりには、あれだけの音量で鳴くのだから、鳴くたびに、あの体に負担がかかっているから、短い命になるのは仕方がないのではないか、と思ったりもする。

 それでも夏が去り、あれだけの声のセミがいなくなると、あっさりと忘れてしまう。

 だけど、長年、暮らしているこの家の小さな庭に、毎年のようにセミが羽化しているということは、ずっと、この土の下にセミの幼虫が住んでいて、その生きている年数によって、どのような階層になっているかは知らないのだけど、いつも、セミの幼虫がいることになる。

 想像すると不思議だけど、普段は一切考えていない。

 しばらくセミの季節が続いて、終わって、セミの声を忘れて、秋になって冬になって、だけど、庭の土の下には、ずっとセミの幼虫がいる。

 そのことも、忘れてしまうけど、また来年、セミの羽化があって、またセミの声が大きく響くのだと思う。




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おちまこと
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