読書感想 『おらおらでひとりいぐも』 「孤独の多面性。老いのその先」
この作品が、芥川賞を受賞したときのニュースは覚えている。
かなりの高年齢になってからの受賞で話題になった。
だけど、このタイトルで、方言なのは分かるので、生まれた場所を中心にすえた話だと勝手に思って、なんだか敬遠していた。
『おらおらでひとりいぐも』 若竹千佐子
芥川賞受賞は、翌2018年だから、単行本の初版では、そのことは書いていない。改めて経歴を見ると、自分のイメージよりは意外と最近の受賞で、しかも、自分が無知なだけだけど、映画化までされていた。
先に妻が読んでいて、とても良かったので、とすすめられた。それがなかったら、もしかしたら、この先もずっと読まないままだったかもしれない。
読み始めると、自分が事前に感じていたことは、ただの無知な偏見だったと気がつかされる。
誰にでも関係がある普遍的な孤独の話から始まった。
すでに「老婆」と呼ばれてもおかしくない年齢になった女性が、ただ一人で暮らして部屋にいて、外側から見たら、動きのなさそうなその気持ちの中が、こんなに饒舌なのを知らなかった。
部屋で座っている主人公(桃子さん)のうしろ、台所から音が聞こえる。それは、ネズミが立てる音だとわかっているけれど、それを振り向く勇気もない。だけど、それが去ってしまうことも避けたい。
孤独は、ただ一人でいるだけではない。それに、誰もが無縁でいられるわけもない。自分もそうだけれど、普段は、見ないようにしているだけだと気がつく。
こうなりたくない、と思いながらも、こうなるであろう自分の姿のように思えてくる。
孤独の多面性
一人でいること。孤独であること。歳をとること。
その状況の内面は、これまでの描き方は、外側からのある種のパターン化されたイメージだと思えるのは、この主人公の孤独が、思った以上ににぎやかだからだ。
孤独とは、大勢の人と共にいること。
そして、時間の移動も比較的自由であること。
実は、孤独は、とても多面性があるのに、もしかしたら、孤独とか孤立とか、知らないうちに、どこかで一括りにしてしまっていたから、こうした孤独の多面性に対して、自分がいかに無知だったのか、と思う。
老いのその先
対象から少しでも距離を取らないと、書くことは難しい。
この小説の主人公は75歳の設定。著者は、55歳から小説教室に通い始めて、この作品で文藝賞を受賞したのが63歳の時だったから、その先について書いた事になる。
だから、本当の意味で、その年齢の老いを描くことはできないのではないか、とも思えるが、50代後半から60代前半は、確実に老いが自分の身に起こり始め、それを、笑いに変えるような余裕もないような変化で、どこかで気のせいと思いたい、といったことも考えるが、確実に、これから先に待っているのは下り坂で、その先に死があるのがくっきりと見えるはずで、そこからの眺めとして書いたはずだ。
小説の主人公は、結婚し、子供を産んで育て、期待をかけすぎて、どこか圧迫しすぎてしまったこともあり、息子にも娘にも距離を取られてしまい、とても好きだった夫も亡くなってしまい、一人になってしまう。
だけど、そこからが、ただ老いるという下り坂を下るだけではなく、途中でこぶがあったり、脇道さえも存在したり、そんな本人でさえ思いがけない「老いのその先」まで、この作品では見せてくれているように思った。
それからは、死者とも生者とも距離が変わらなくなり、それでいて生きるエネルギーそのものは時として輝くように強くなり、老いるというものは、そんなに単純な衰えではないことも、この作品では描かれている。
おすすめしたい人
孤独と老い。
これから先、より重要で、誰もが考えなくてはいけないテーマに触れたい時に、手にとってほしい作品です。
若い人も、年齢を重ねた人も、どちらの方々にも、おすすめしたくなるのは、ここには「生きること」が描かれているからだと思います。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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