「出かけない土曜日と、ワクチン自己負担」。2023.11.18。
この3年間は、ほぼ毎週出かけているのだけど、今日は、1年に数回だけの家にいる土曜日だった。
朝も早く起きなくてよくて、ちょっと気分が違う。
天気がいいので、洗濯を始める。
散歩
妻は、これから友人と散歩に出かけると言って、ちょっとうれしそうだった。
支度をして、玄関を出るところを見送った。
庭の柿の実は、この前かなりとったけれど、まだ残っていて、さらに色づいていた。
空は青い。
気温は低めになってきたけれど、まだすごく寒いわけでもなくて、秋の空気で気持ちがいい。
自己負担
今年度は、「最後」の無料接種ということで、ワクチンの接種もして、幸いにも副反応も特に強くなく、2020年以来のコロナ禍では、重症化リスクがあると思われる家族がいるので、何しろ感染をしないようにしてきた。
だから、来年から一部有料になっても、家族はワクチン接種をし続けると思う。
まだ根本的な治療が確立されないはずだけど、その病気の関心度だけは、どんどん低くなっているような気がする。
その一方で、こうしたニュースも知った。
こうした研究が積み重なることで、ワクチン接種を受ける人は、少しでも多くなる可能性が出てくるし、そのことで、まだコロナ禍は終息していないとはいえ、また、必ず訪れる未知の感染症への対策にも、影響が出てくるはずだ。
それは、一人でも感染死者を減らすことにつながるのだと思う。
この部分に注目すると、今後も、まだコロナ禍が完全に終わっていない以上、感染死者数を減らすには、重症化リスクを持つ当事者だけではなく、そうではない人たちが、どれだけワクチンを接種するかに、大きく関係あるということになる。
そうであれば、もちろん強制はできないとしても、こうしたワクチンの効果も含めて、今後のワクチン接種の方針の立案にも影響があるのに、とは思った。
ただ、こうしたことを考えたり、関心を持つ人が、かなり少なくなっていることは、日々感じている。
でも、こちらが関心を持たなくなっても、ウイルスが消滅してくれるわけでもない。
介護疲れ
改めて、「介護疲れ」について考えて、いろいろな記事を読んだりしていると、やはり「介護殺人」のときに登場する言葉でもあるし、こうした事件が起こるたびに、「介護者の支援も考えなくてはいけない」と言われ続けて20年も経っているのに、ほとんど変わっていない状況に、自分の無力さも含めて、重い気持ちにもなる。
「介護疲れ」ということが、どんな状態なのかを、もう少し理解されないと、不遜な言い方になってしまうけれど、こうした事件は、本当に減らないと思う。
自分が介護をしていたとき、不謹慎かもしれないけれど、読んで、とても共感できた気がしたのが、この「夜と霧」だった。この著者は、「終わらない時間の辛さ」を、わかってくれるのではないか、と思ったことは覚えている。
ドラマ
そんなことを思い出したり、考えたりしていたら、妻が散歩から帰ってきて、遅い昼食を一緒に食べることができた。
そのあとも、夕方近くになって、おやつを食べながら、録画したテレビドラマを見ることもできた。
こんな時間を持てるのは、とてもありがたいことだった。
このドラマに関しては、次を見て、つまらなかったらもう見ない、と妻が言っていて、そして、今回の第6話を見て、次も見ることに決めた、と言っていた。
こんなふうに、ドラマの継続視聴も、きわどい橋を渡り続けているのだった。
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