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読書感想  『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる 答えを急がず立ち止まる力』    「ゆっくり身に染みていく何か」

 時代のキーワードのようなものは、多くの人によって、これこそが重要で、しかも新しい、という言葉と共に、絶え間なく提出され続けている。

 それは、おそらくは、もしかしたら人類が言葉を使うようになってから、ずっと継続されていることかもしれないと思うから、いつの間にか、重要で新しい言葉、ということ自体にどこか飽きてしまっていて、なんとなく微妙な無関心になっている。

 特に英語圏の単語をそのままカタカナに置き換えたキーワードは、翻訳するという作業を怠っているようにも見えて、より信用できない癖がついているように思う。

 ただ、そうした言葉の中で、特に気になっているのが、「ネガティヴ・ケイパビリティ」だった。だから、読もうと思ったし、さらには、複数の人が対話している、ということもより読みたい気持ちにさせた。


『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる 答えを急がず立ち止まる力』  谷川嘉宏+朱喜哲+杉谷和哉

 この「ネガティヴ・ケイパビリティ」については、すでに何冊も書籍が出ている。

 そうした選択肢の中から、この本を読もうと思ったのは、他の書籍を読んで、興味深かった朱喜哲が著者の一人になっているのと、3人の哲学者が対話している、という理由だった。

「ネガティヴ・ケイパビリティ」とは不可解な物事、問題に直面したとき、簡単に解決したり安易に納得したりしない能力のこと。わからなさを受け入れ、揺れながら考え続ける力だ。注目の若手論客3人が対話でネガティヴ・ケイパビリティの魅力と実践可能性に迫る知の饗宴!

(Amazon書籍紹介より)

 これは、アマゾンの書籍紹介の文章で、確かにその通りの本でもあるのだけど、読み始めると、こうした紹介の印象とは違って、もっとゆっくりしたスピードで進んでいくように思える。

 ネガティヴ・ケイパビリティは、物事を宙づりにしたまま抱えておく力を指しています。つまり、謎や不可解な物事、問題に直面したときに、簡単に解決したり、安易に納得したりしない能力です。説明がすぐにはつけ難い事柄に対峙したとき、即断せずにわからないままに留めながら、それへの関心を放棄せずに咀嚼し続ける力だと言ってもいいでしょう。

(『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』より。以下、引用部分は同著より)

 ここまで目にしてきたさまざま文章では、だから、先がわからないこれからの時代には必要なので身につけましょう、といった流れになることが多いのだけど、この書籍では違っていた。

 日々の生活の中で、友人関係の中で、家庭でのやりとりの中で、こうした「ネガティヴ・ケイパビリティ」を養い、発揮するだけの余裕を失っているかに思えるからです。

 ネガティヴ・ケイパビリティは、重要なことなのは前提として、でも、そうした能力は、「あ、そうか。大事だから身につけよう」と、それこそスピーディーに自分のものにできる力ではないことを指摘し、だから、社会の、そういう余裕のなさのようなものが、もっと根本的な問題かもしれない、と読者はいい意味で、あれこれと考えられるようになっている。

 そのことで、個人的な能力の限界かもしれないが、素早く読むことができなかったし、考えながら読む本ではないか、とも思った。

陰謀論者について、つい忘れがちなこと

 どんな人でも、自分の考えていること、信じていることについて「陰謀論」と言われたら否定するに違いない。だから「陰謀論者」というのは、おそらくは誰にとっても主観的には、自分自身には当てはまらないはずだ。

 もし「陰謀論者」が存在するとすれば、「あのとき、私は陰謀論にハマっていた」と振り返る過去にしかいないことになるし、同時に、「陰謀論者」という言葉は、どこか侮蔑的な響きを持っていて、その言葉を投げつけあっている印象もあるから、より受け入れにくいのは間違いないように思う。

 谷川嘉宏は、陰謀論者の姿勢について、こういう表現をしている。

 「世界を少しでもよくしたい」「わからないことを知りたい」というのは、陰謀論者だけでなく、多くの人が持っている感覚だと思いますし、その感覚に否定されるべきところはありません。陰謀論者に見られるふしぎな真面目さは、容易く切り捨てられるものではないのです。陰謀論を馬鹿にして笑い飛ばそうとする姿勢は、こういう真面目さを嘲笑うものであり、陰謀論者とそうでない人々の間の断絶をますます深めることになってしまうように思うのです。  

 なんとなく薄々と思っていたことで、かなり大事なことを、改めて気がつかされてくれた気がしたが、それは、他の議論や言説に対して、批判だけをするのではなく、そこから先に思考を進めるという方法が、この対話の中で実行されているから、届く思考のようにも思えた。

 だから、いろいろな著作に対しても、あちこちでためらいなく言及されている。

 例えば、百木漠「嘘と政治」について、杉谷和哉は、こうした考えを、どこか控えめに慎重に提示している。

 結論は煎じ詰めれば、「善い嘘と悪い嘘があって、善い嘘ならいいけど悪い嘘は駄目だよ」という話なんですね。そんなことはわかりきっている。そうじゃなくて問題は、何が良くて何が悪いかを判断する基準がもはやないことにあるのではと思うのです。

 本当にそうかも、と思えるが、杉谷は、さらに別な言い方もしている。

 私がずっと気になっているのは、陰謀論者がメディアを疑って、自分自身で情報を集めて、すごく自分の頭で物事を考えている人たちだということです。イントロにも「真面目さ」の話がありましたけど。それって、やっぱり私たちが理想としてきている民主主義が前提とする「市民」のイメージとすごく重なる。陰謀論者って、民主主義そのものじゃないかと思うわけです。

(『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』より)

 そうであれば、その存在を否定すること自体も難しいし、その構造が民主主義そのものであるからか、陰謀論を否定した人たちが、別の陰謀論にはまってしまうことも珍しくない、いった指摘も、どこか納得できるようにも思えてくるし、話は対話を通して、さらに進む。

マスターアーギュメントのうさんくささ

 谷川嘉宏は、こう話している。

「単純な線引きや基準で、陰謀論を一掃しよう」ということそのものが、実は怪しいということは言っておくに値するかもしれませんね。(中略)それ一つですべての扉を開けることができるみたいに、これだけであらゆる問題をそれだけで突破でき、説明しきることができる理論や基準が、マスターアーギュメント。「そういう理論や基準がある」と語る議論は、どこかうさんくさいと思った方がいい。 

 陰謀論も、陰謀論を批判する側も、実はどちらも手短な議論ですべての方を付けようとしていて、「マスターアーギュメント」になっているということなんです。

 だから、お互いに暴言と決めつけを投げ合うような状況になりやすい。

 どちらのやり方も、互いの「愚かさ」にフォーカスを当てているんです。そうすると、「こいつは愚かだからこれ以上話すことはない」というメッセージを暗に発することになりますよね。そうなると、まともに話ができないし、自分の側に愚かさがないだろうかと自問する道も開かれそうにない。こんなタイプの批判の仕方をどうやって離れようか、という話をしたことがあるんです。 

(『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』より)

聞く力について

 さらに、谷川嘉宏は続けている。

 この世のあらゆる出来事について、自分の頭で答えを見つけ、それを人に話しさえすればいいと思っている、それが私たち近代人だということですよ。この姿勢って、市民としての真面目さの表れ、ポジティブ・ケイパビリティの表れですよね。しかし、まさにこういう習慣こそがネガティヴ・ケイパビリティを腐食させているわけですよ。だから、「話す」「アウトプットする」と対比される「聞く」「インプットする」の側を復権するというのが一つなのかなと。

 ただ、それも「聞く力」がビジネスに役に立つ、といったこととはかなり違った「聞く力」のようで、そのことを少し具体的に、朱喜哲が話している。

 聞く力がたとえばどう活きて来るかというと、哲学カフェを実践している友人から話を聞くと、さっきの話じゃないですけど、マンスプレイニングおじさんというか、「俺の話を聞け」というタイプの方がいらっしゃって、場を制圧するらしいんですね。哲学カフェは「聞きますよ、話してください」というルールがあるから、そういう説明したがる人の言動にお墨付きを与えてしまう側面がある。

  さらに、朱喜哲は、同じ話を何度もしてしまう人について、続ける

 長年哲学カフェのファシリテーターをしていた友人で、大阪大学の臨床哲学者である鈴木圭一郎さんによると、そういう方がなんで同じ話を何度もするかというと、「話を聞いてもらえない」と思っているんですって。自分が言っているのにみんなが「またか……」という顔をしていたり、話題もなんか流されたりして、自分の話を聞いてもらえていないと思っているから、もう一回説明しなきゃという風になる。だから、必ずしも怒っているわけではなくて、聞いてもらっていないからしゃべらなきゃ、言わなきゃと。つまり、相手に伝わるような仕方で聞いているよという姿勢が取れたとき、その方は、抑圧的で一方的な説明ではなくて、その場で会話のやり取りを回してくれるようになるということだそうで。

(『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』より)

 ここ何年かに、あちこちで触れてきた「聞く力」とは、かなり質の違う話のように感じた。

「ネガティヴ・ケイパビリティ」というあり方

 「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何か?

 今のトレンドとなる思考のようだから、その定義を早く説明して欲しいし、どうすれば、自分のビジネスや生活に役に立つのか?

 そうした期待を持って読むと、実はかなりがっかりする可能性が高い書籍でもある。

 3人の哲学者が集まり、おそらくは脚本のようなものがない状態で対話し、そして、話はあちこちに行きながら、でも、その根本的なベースに「ネガティヴ・ケイパビリティ」的な思考があって、だから、広がりながらも散らからない内容になっているように感じる。

第1章 「一問一答」的世界観から逃れる方法
――陰謀論、対人論証、ファシリテーション
第2章 自分に都合のいいナラティヴを離れる方法
――フィクション、言葉遣い、疲労の意味
第3章 「アイヒマンにならないように自分の頭で考えよう」という言葉に乗れない理由
――コンサンプション(消費)、アテンション(注目)、インテンション(意図)
第4章 信頼のためには関係が壊れるリスクを負わねばならない
――マーケティング、トラスト、脱常識
第5章 「言葉に乗っ取られない」ために必要なこと
――SNS、プライバシー、言葉の複数性
第6章 自分のナラティヴ/言葉を持つこと
――倫理、相対化、ナッジ
第7章 公と私を再接続するコーポラティヴ・ヴェンチャー
――関心、実験、中間集団
第8章 イベントとしての日常から、エピソードとしての日常へ
――観察、対話、ナラティヴ

 目次に並んでいる、どの章も、決して分かりやすい言葉ではないし、どんな内容なのかを事前に予測もできにくいけれど魅力的に思えるし、このどこに行くのか分からない対話こそが「ネガティヴ・ケイパビリティ」というあり方なのかもしれないと感じてくるし、だからこそ、もしかしたら、当事者にとっても思いがけない言葉が出てきているように感じる。

 考えを柔軟に改定しようって、やっている人たちは、不安定さに耐えるだけの余裕がある人じゃないかということ。そして最後に、「その専門知のシステムに入って、柔軟に価値観や考えを反省していこう!」っていっても、そのゲームに参加するには、まず社会の価値観を身につけられないといけないのに、社会の価値観が尊重してくれるものの中に、私は該当していないかもしれないという感覚が拡がっている。 

 新しい化学反応を組織内に起こすためには、自分の持っているユニークな言葉遣い、聞き手からすると耳慣れない新奇な言葉遣いを、こちらのボキャブラリーを踏まえてわかるように伝えてくれることが大事になる。円滑にしゃべるスキルというより、組織の側が面白がれるように新しい回路を開いてくれる人かどうかという意味でのコミュニケーション能力が、採用の大事な判断軸になるところがある。    
 僕が心掛けているのは、ビジネスパーソンとして新しく学ぶ会社の言葉遣いとか、ビジネスにおける常識とは馴染まない、その人がもともと持っていたものを尊重することです。

 自分たちの操る言葉に支配されずにいて、なおかつ、言葉を使って人とコミュニケーションをとっていくことの両方が求められているわけですね。研究者とか、業界の偉い人とかに特に求められる力だという気がしました。 

 意見や体験が異なっている他者といきなりコミュニケーションをせずにいる注意深さを思い出させるものとして、「観察」はいいキーワードかもしれません。

 今回の対話から導けるネガティヴ・ケイパビリティの一つのあり方は、「意見はこうだ」と言わずに、誰かと一緒に過ごす力だとでも言えるかもしれません。この雑談に参加すると自分の意見が変わるかもしれない、この意見で取り組んでみても失敗するかもしれないという実験的な日常を誰かとシェアすること。 

 言葉を見つめ直すスキルがどんどん失われていっている。政治を含めて日常を見つめ直す契機が、これまでになく少なくなっている。だから、SNSで見栄を張ったり、有名人と繋がろうとしたりしなくたって、別にすでに生きている日常にエピソードがあるかもしれないという目ですよね。これがネガティヴ・ケイパビリティに近いのかもしれない。でも、そういう目で日常を見ることが難しくなっているというのが、今の政治と社会であり、SNSの状況なんだなと。 

 こうして、対話の断片だけを切り出すように引用することは、それこそ「ネガティヴ・ケイパビリティ」の姿勢ではなく、もっとせっかちな方法のようにも思う。それでも、大げさに言えば、少し目を覚まされるような言葉や感覚が、この本の中のあちこちに、もっと膨大に存在する。

「ネガティヴ・ケイパビリティ」は、確かに、21世紀のこれからにとって、数あるカタカナ言葉の一つではなく、その中でも重要な思想であり、思考であるのは間違いないと思えるような書籍で、それも、できたら少しゆっくり読んでもらえたら、理解というよりは、身に染みていく、という感覚になれるのではないか、と思った。


 今を生きるすべての人に読んでほしい本だと思いました。

 特に実社会で成功している人や、社会的に力がある人ほど、読んで欲しいと感じたのは、そうした人こそ触れていくべき思考や感覚だし、そのことによって、もしかしたら社会全体にいい影響が、時間をかけて出てくるのではないか、と感じたからでした。


(こちらは↓、電子書籍版です)。



(他にも、さまざまな書籍について、記事にしています↓。もし、よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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