時代のキーワードのようなものは、多くの人によって、これこそが重要で、しかも新しい、という言葉と共に、絶え間なく提出され続けている。
それは、おそらくは、もしかしたら人類が言葉を使うようになってから、ずっと継続されていることかもしれないと思うから、いつの間にか、重要で新しい言葉、ということ自体にどこか飽きてしまっていて、なんとなく微妙な無関心になっている。
特に英語圏の単語をそのままカタカナに置き換えたキーワードは、翻訳するという作業を怠っているようにも見えて、より信用できない癖がついているように思う。
ただ、そうした言葉の中で、特に気になっているのが、「ネガティヴ・ケイパビリティ」だった。だから、読もうと思ったし、さらには、複数の人が対話している、ということもより読みたい気持ちにさせた。
『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる 答えを急がず立ち止まる力』 谷川嘉宏+朱喜哲+杉谷和哉
この「ネガティヴ・ケイパビリティ」については、すでに何冊も書籍が出ている。
そうした選択肢の中から、この本を読もうと思ったのは、他の書籍を読んで、興味深かった朱喜哲が著者の一人になっているのと、3人の哲学者が対話している、という理由だった。
これは、アマゾンの書籍紹介の文章で、確かにその通りの本でもあるのだけど、読み始めると、こうした紹介の印象とは違って、もっとゆっくりしたスピードで進んでいくように思える。
ここまで目にしてきたさまざま文章では、だから、先がわからないこれからの時代には必要なので身につけましょう、といった流れになることが多いのだけど、この書籍では違っていた。
ネガティヴ・ケイパビリティは、重要なことなのは前提として、でも、そうした能力は、「あ、そうか。大事だから身につけよう」と、それこそスピーディーに自分のものにできる力ではないことを指摘し、だから、社会の、そういう余裕のなさのようなものが、もっと根本的な問題かもしれない、と読者はいい意味で、あれこれと考えられるようになっている。
そのことで、個人的な能力の限界かもしれないが、素早く読むことができなかったし、考えながら読む本ではないか、とも思った。
陰謀論者について、つい忘れがちなこと
どんな人でも、自分の考えていること、信じていることについて「陰謀論」と言われたら否定するに違いない。だから「陰謀論者」というのは、おそらくは誰にとっても主観的には、自分自身には当てはまらないはずだ。
もし「陰謀論者」が存在するとすれば、「あのとき、私は陰謀論にハマっていた」と振り返る過去にしかいないことになるし、同時に、「陰謀論者」という言葉は、どこか侮蔑的な響きを持っていて、その言葉を投げつけあっている印象もあるから、より受け入れにくいのは間違いないように思う。
谷川嘉宏は、陰謀論者の姿勢について、こういう表現をしている。
なんとなく薄々と思っていたことで、かなり大事なことを、改めて気がつかされてくれた気がしたが、それは、他の議論や言説に対して、批判だけをするのではなく、そこから先に思考を進めるという方法が、この対話の中で実行されているから、届く思考のようにも思えた。
だから、いろいろな著作に対しても、あちこちでためらいなく言及されている。
例えば、百木漠「嘘と政治」について、杉谷和哉は、こうした考えを、どこか控えめに慎重に提示している。
本当にそうかも、と思えるが、杉谷は、さらに別な言い方もしている。
そうであれば、その存在を否定すること自体も難しいし、その構造が民主主義そのものであるからか、陰謀論を否定した人たちが、別の陰謀論にはまってしまうことも珍しくない、いった指摘も、どこか納得できるようにも思えてくるし、話は対話を通して、さらに進む。
マスターアーギュメントのうさんくささ
谷川嘉宏は、こう話している。
だから、お互いに暴言と決めつけを投げ合うような状況になりやすい。
聞く力について
さらに、谷川嘉宏は続けている。
ただ、それも「聞く力」がビジネスに役に立つ、といったこととはかなり違った「聞く力」のようで、そのことを少し具体的に、朱喜哲が話している。
さらに、朱喜哲は、同じ話を何度もしてしまう人について、続ける。
ここ何年かに、あちこちで触れてきた「聞く力」とは、かなり質の違う話のように感じた。
「ネガティヴ・ケイパビリティ」というあり方
「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何か?
今のトレンドとなる思考のようだから、その定義を早く説明して欲しいし、どうすれば、自分のビジネスや生活に役に立つのか?
そうした期待を持って読むと、実はかなりがっかりする可能性が高い書籍でもある。
3人の哲学者が集まり、おそらくは脚本のようなものがない状態で対話し、そして、話はあちこちに行きながら、でも、その根本的なベースに「ネガティヴ・ケイパビリティ」的な思考があって、だから、広がりながらも散らからない内容になっているように感じる。
目次に並んでいる、どの章も、決して分かりやすい言葉ではないし、どんな内容なのかを事前に予測もできにくいけれど魅力的に思えるし、このどこに行くのか分からない対話こそが「ネガティヴ・ケイパビリティ」というあり方なのかもしれないと感じてくるし、だからこそ、もしかしたら、当事者にとっても思いがけない言葉が出てきているように感じる。
こうして、対話の断片だけを切り出すように引用することは、それこそ「ネガティヴ・ケイパビリティ」の姿勢ではなく、もっとせっかちな方法のようにも思う。それでも、大げさに言えば、少し目を覚まされるような言葉や感覚が、この本の中のあちこちに、もっと膨大に存在する。
「ネガティヴ・ケイパビリティ」は、確かに、21世紀のこれからにとって、数あるカタカナ言葉の一つではなく、その中でも重要な思想であり、思考であるのは間違いないと思えるような書籍で、それも、できたら少しゆっくり読んでもらえたら、理解というよりは、身に染みていく、という感覚になれるのではないか、と思った。
今を生きるすべての人に読んでほしい本だと思いました。
特に実社会で成功している人や、社会的に力がある人ほど、読んで欲しいと感じたのは、そうした人こそ触れていくべき思考や感覚だし、そのことによって、もしかしたら社会全体にいい影響が、時間をかけて出てくるのではないか、と感じたからでした。
(こちらは↓、電子書籍版です)。
(他にも、さまざまな書籍について、記事にしています↓。もし、よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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