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読書感想 『この世の喜びよ』 井戸川射子 「名づけられない幸せ」

 前作・『ここは、とても速い川』については、作家・保坂和志が、涙を流した、といったことを言っていたので、読んだ。

 あまり経験したことのない速い文章のリズムなのに、静かな感じがした。

 それでも、泣くまではいかなかったので、きちんと読めなかったのではないか、といった不安もあったのだけど、不思議な感触は残った。

 井戸川射子は、1987年生まれ。だから、新しさを伝えることもできるはずなのに、すごく新しい感じはしないし、かといって古くもない。というよりも、作者の年齢自体がわかりにくかった。


『この世の喜びよ』 井戸川射子

1987年生まれ。関西学院大学社会学部卒業。
2018年、第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行。
2019年、同詩集にて第24回中原中也賞を受賞。
2021年、小説集『ここはとても速い川』で第43回野間文芸新人賞受賞

 ここに、2023年『この世の喜びよ』で第168回芥川賞受賞、というプロフィールが加わる。しかも、井戸川は、国語教師でもあるらしい。

 ただ、詩も小説も、どちらも、この短期間で高い評価を得るような、そうした世間的な成功の華やかさと、小説の作品の質は、かなりギャップがあるような気がするほど、静かな気配に思えた。

 この『この世の喜びよ』は、前作『ここは、とても速い川』とは読んだ時の印象は違うのだけど、でも、独特で、他ではあまり読んだことのない不思議な感触があるのは、共通している。

 今も、現役の国語教師を続けているとしたら、そうした芥川賞作家は、おそらくはこれまでは存在しなかっただろうし、どんな授業をしているのだろう、という下世話な興味は広がってしまうが、そうした邪推とは無縁に、地道に誠実に仕事をしているのではないか。

 そんなことを思ってしまうような作品だった。

見守られている感覚

『この世の喜びよ』。

 主人公は、「あなた」と呼ばれている女性。喪服売り場で働いていて、娘二人は成人している。そして、その生活の中で、過去の時間の記憶が、自然にはさまされてくる。今働いているショッピセンターには、子どもを育てている頃から通っているから、それは、まるで過去と現在が重なっているようでもある。

 ベビーカーにのる下の娘は取れるものを手当たり次第に取り、先の細くなった指で持つもの全てを喜び、高く振りかざしていた。その手に取ったものを、片っぱしから上の娘が奪っていっていたから、下の娘には我慢をさせた、でもあの場では三人みんなが我慢していた。まだ角の取れていない、先の尖った歯が並ぶ口を開け、上の娘は昔あったクレープ屋の前から動かなかった、その手からは色んなにおいがした。トイレへ続く廊下は今よりもっと、細く迫りくるようだった。階段が何段あるかも知っている、カーブする時のベビーカーの重さまで思い出せる気がするが、勘違いだろう。今もそういう親子たちが朝から来て、あの時のあなたたちと同じように、ゲームセンターの遊具にお金を入れずに跨ったりしている。流れるバックミュージックを頼りに、あなたはここでなら目を閉じていても歩ける。

(「この世の喜びよ」より)

 そのうちに、主人公は、フードコートによく来ている女子中学生と知り合いになる。その中学生は、歳の離れた、とても幼い弟の面倒をみているから、それも含めて、話もできる上に、ショッピングセンターのプレイルーム的な場所にいるときは、主人公の過去の記憶が、すぐそばにあるように浮かぶのが、より自然に感じてくる。

 大勢が親特有の高い声で子どもに注意していて、向かう先のないあなたの声は昔ほどはハリがなく、出してもきっと誰にも聞こえない。娘たちだって育ち終える前は、その時その時で、抱きしめるのにちょうどいい大きさだった。弟をずっと守っているお兄ちゃんがいて、他の子に体が当たれば必ず謝っていた。高校生になるまで狭いアパートで暮らしていたから、自分は運動ができないのだとあなたは思っている。大きなソファや室内に階段でもあれば、また違っただろう、あなたは自分の家に、人を呼ぶのが恥ずかしかった。目の前の赤ちゃんたちの、全部が丸でできたような顔を眺める、端には造花が惜しげもなく繁り、硬く波打つ葉を伸ばしている。あなたは靴を履いてそこから出ていく。

(「この世の喜びよ」より)

 最初は、「あなた」という2人称が不自然に感じたりしていたのだけど、そのうちに、その呼称の選択が、描写が正確すぎることの押し付けがましさを減らしたり、誰も見ていないとしても、誰かが見守っている気配や、過去の行為への控えめな称賛にも思えてくる。

 上の娘が一度、おもちゃ売り場でおしっこを漏らしてしまった時、あなたはとっさに下の娘のよだれ掛けを剥ぎ取りそれで拭いた。床に落とされたよだれ掛けは、首もとに収まっている時より薄く見え、もちろん先によだれで濡れていたので、吸い込めなかった分が床で光っていた。靴でもみ消すようにすると広がるだけだった、あの失敗と反省が、あなたに小さなタオルを持ち運ばせ続ける。更衣室のロッカーの棚や、パンプスが汚れている時にも手軽に使えて便利だ。 

(「この世の喜びよ」より)

名づけられない幸せ

 最初に読んだ時よりも、こうして、もう一度、この小説を振り返って引用をしたりもすることで、その文章が、普段は気づきにくく、記憶にも残りにくいような、生きている時間を確実に描写しているようにも思えてくる。

 暇な時にはいつも思い出しているはずの、幼いあの子たちの姿も、誰かに語ろうとすれば飛んでいってしまう。小さい子はいつまで、落ちてた石をあの空いてる穴に入れたい、くらいの欲望だけ持っているんだっけ、いつから好物ができて、細かな主義主張はどのくらいあるんだっけ。 

(「この世の喜びよ」より)

 そうした思いは主人公のものであるのだけど、「あなた」と言われることで、「名づけられない幸せ」な場面は、客観的な視点から、より克明に再現される。

 朝起きれば生臭い息を吐きながら、笑って転がり合っていた、咳き込む体を抱けばバネの力を感じた。気の毒に、とあなたは折り重なって眠っていた時の自分に向け微笑んだ。でも、寝ぼけたまま笑っている娘たちを両脇に抱え、明るくなっていく窓を眺めるのは、今でも時々思い出すほど良かった。寝息のたくさん聞こえる部屋だった。南向きの小窓、それは磨りガラスなので朝日がぼんやりと入り、毛布で作った上着を着た二人はぶ厚く温かく、下の娘は寝起きはずっと笑顔で、どんなにまとわりつかれても寝ている姿勢なら、あなたは倒れたりしない。

(「この世の喜びよ」より)

 そして、読み進めていくと、生きている時間は、本当は過去と現在と未来さえも、はっきりと分けられないのではないか、というような思いにもなってくる。

 帰る新幹線の座席は、三列シートの通路側にあなたが座って、窓の方を眺めれば、自分が生んだ頭がそこに二つ見えることが、それ同士で笑い合って並んでいるのが不思議だった。小さい頃は銀行ごっこが好きで、お金のシワを伸ばしては、財布や区切った箱にずっと出し入れしていた。二人で向かい合って座り、長い時間絵を描いていた。一つの消しゴムをきちんと譲り合いながら使っていて、ちゃんと、それぞれの考えがあるようで感動した、この子たちほどの喜びはなかった。近くから見守り過ぎて、昔は主語や人称さえ混ざってしまっていた。   

(「この世の喜びよ」より)

混じり合う感覚

 そして、生きる時間というものは、もうすぐ、また新しく幼い弟が一人増える女子中学生の時間とも、微妙に混じり合っていくような感覚もある。

 ねえ、目を上げれば何か、人間以外のものが背景にあるようなところ、長めの用水路だっていいの。揺れる木の二、三本でもあれば、大きな岩とか芝生でもいい。そういう場所でなら、弟たちの拙い歩行もいつまででも見ていられる。

 あなたと話したいから思い出したの、うちの近くには団地が合って、それがありがたかった。寒さでベランダの柵が鳴り出すような古い建物で、錆びた遊具や枯れ木なんかが落ちてた。最近行ってみたの、壁は思い出のよりももっと黄色くなって、バリアフリーなんてない頃のだから細かい段差がいくらでもあって、大きな切り株は、時が経てば岩と見分けがつかなくなって。あんな地面を、どうやってベビーカーを押して進んでいたんだろう。日なたの黄色い芝生に鳩がたくさんいるだけで、あの子たちは叫ぶほど嬉しがって、私も手を打ち鳴らして、芝生は古かろうが柔らかくて安全で、陽が照ればなおいい。傾斜の緩い坂もあるから歩くのに楽しく、夕方は団地の子で溢れるけどそれまでなら人がいなくて、強い風が吹けば砂が形を作った。

(「この世の喜びよ」より)


「この世の喜びよ」という、ストレートすぎるタイトルも、読み終わる頃には、かなり正確なのではないか、といったようにも思えてくる。

 この書籍には、他に『マイホーム』と『キャンプ』という短編が収められている。

 モデルルームに泊まる女性の内省と、子どもたちのグループでの、その時にしか交わされないような会話や行為が描写されているけれど、どちらも、本当にそういうことがあったのではないか。というリアルさがありながら、それが赤裸々という押し付けがましさではなく、気がついたら、そこにいるように描かれているように思えた。

 
 少し時間が経つほど、そんなふうに思えてくるが、それは、あからさまでないから、余計に、そのすごさがじわじわと沁みてくるようだった。著者自身は、「すごい」という形容詞を、あまり好まないようにも思えるのだけど。



(こちら↓は、電子書籍版です)。

(こちら↓は、前作です)。


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