「365日」連続投稿できました。ありがとうございました。
普通であれば、中途半端な数字だけど、その数字が出た時に、やっぱり、うれしかった。
「365」。
1年間、毎日、noteに記事を投稿し続けることができた。
noteを始めた
2020年3月14日から、noteを始めた。
19年間の介護が終わって、午前5時30分就寝の、かなりガッツリした昼夜逆転の生活を修正するのに、1年ほどがかかり、その頃にはコロナ禍になっていた。
家族に喘息を持っている人間がいることもあり、何しろ、感染しないように外出もままならない生活になった。それまで介護が続いていて、やはりそのことにエネルギーを取られ、その時間の中で資格を取ったものの、仕事は本当に少ししかできなかったから、貯金を崩すような生活が続いていた。
ただでさえ仕事が少ないのに、さらに仕事を増やす機会も少なくなっていた。
なんだか、がっかりした。
それでも、何かを始めようと、そして、書くことは続けていたから、それを外へ向けて書こうとした。何かが変わるかもしれない、というあまり上品ではない期待があった。
SNSは縁がなかった。スマホも携帯もなかった。ツイッターは怖かった。分析が鋭いと思っていたハヤカワ五味という人が、「平和」と表現していたのがnoteだった。
8年ほど使い続けていたコンピュータを買い替えて、やっとnoteに書けるような環境になって、それでも半年ほど迷って、始めた。
一番最初の記事を書いて、投稿した。すぐに反応があって、びっくりもしたけれど、これまではあまりない種類のうれしさがあった。
中断
それから、書き続けた。
毎日更新しようと決めていたから、自分で勝手に締切りに苦しんでいるような気持ちにもなった。
しばらくたって、情報に弱いせいもあったので直接的には詳細に分からなかったが、note運営関係での「炎上」があったのも知り、続けるのを迷った。だけど、自分に直接関わってくるような「変なこと」があったらやめよう、といったズルい考えになったのは、その頃は、書いて投稿する毎日に、やっと慣れていたせいもある、と思う。
このままだったら、1年継続は大丈夫と思った頃、コンピュータのトラブルと、その対応の未熟さによって、更新は中断した。250日を超えていたし、この20年、自分はついていない、という気持ちがあったから、こういう時にもダメなんだ、という思いで、落ち込んだ。
この1年
仕事はあいかわず増やせなかった。
ずっとコロナ禍が続いていたせいもあるけれど、いつ終わるのか分からない不安と緊張の中で暮らしていくのは、介護の時と同じだと思うようになった。これが永遠に続くと思って生きていくのは辛いし、負担もかかるけれど、介護の時も「いま」だけに集中して暮らしていた。
いったん更新が中断されたことで、かえって楽になった。
書いて投稿することに、さらに慣れてきたせいで、この毎日が自然になった。
自分が読める分量は決まっているから、それほど大勢の人のフォローは難しかったけれど、この間も、フォローしてくれる人は少しずつ増えていった。華やかに自慢できるような数字ではないのだろうけど、やはり、ありがたかった。
そして、あいかわらず「スキ」をくれる人たちもいて、書き続ける動機になっていたと思う。やはり、うれしいし、有難いことだった。
さらには、有料記事を購入してもらったり、時にはサポートしてくれる人もいて、それは、意外でもあったのだけど、また違ううれしさがあった。昔、ライターをしていて、お金を払ってでも読みたいと思ってもらう記事を書きたい、という気持ちが少し蘇った。
そして、365日連続投稿ができた。
昔の「ライター」
一応、ライターとして生活していたのは、もう20世紀のことだから、普通に考えたら、とても昔のことで、すでに、その経験が役に立たないのも、分かっている(はず)。
その昔、ライターとしてプロである、ということは、わかりやすかった。
雑誌が多くあったから、そこから仕事を依頼され、書いて、原稿料をもらう。自分自身は、それを主にしながら、生活をしていた。とても貧乏だったけれど、なんとか暮らしていた。他にも紙媒体に(その頃は、紙媒体、という言葉自体がなかった)書いて、それで原稿料をもらっていて、それが継続していれば、「プロのライター」と言えた。
本を出して生活できれば、それが一番ありがたかったけれど、機会に恵まれて、一冊だけ出せた。取材して書く形のいわゆるノンフィクションで、取材対象に恵まれたこともあり、内容には自信があったものの、営業的には振るわず、取材させてもらった人に申し訳なかったし、自分自身も、その後に仕事が先細りになった。
仕事が増えなかったのは、当時、ワープロ(これも古い言葉になった)でタイプするのが主流になっていく中で、売れないライターなのに、ひたすら手書きの原稿を書いていたせいもあったのは、今、考えると、間違いないと思う。
そして、家族の介護をすることになり、私自身が心臓の発作を起こし、仕事をやめたのが1999年のことだった。
何度か仕事を断っていたら、「売れないライター」は、完全に忘れられ、無職になった。
「ライター」を仕事にしたい気持ち
それからも、ずっと文章は毎日書いていたのだけど、こうして投稿して、人の目を強く意識して書くようになったのは、約20年ぶりだった。
最初は、読書の感想文を主流にしようと思っていたのだけど、その投稿が週に一度のペースくらいになったのは、コロナ禍になったせいもあり、書くこと、書きたいことが、思った以上にあるのに気がついた、という理由もある。
そして、このコロナ禍がいつまで続くのか分からない状況もあるし、これから歳をとっていく中で、仕事を見つけること自体が難しくなっているのも分かっているし、生活は苦しいままだし、もともと体力もないし、さらには、この1年で、書くこと自体は、より自然な行為にはなっている。
365日連続投稿ができたというだけでなく、いろいろな要素が重なって、これから、またライターをしたい、と思うようになった。
それは、自分で勝手に思うだけではイタいことでもあるのだけど、「書くことが仕事です」と、今の時代に言えるようになるには、どうしたらいいのか?も考えて、実行して、失敗して、とにかく書き続けることになると思う。
今の「ライター」
昔の「ライター」と、今の「ライター」は、その意味合い自体が変わっているように思う。
昔は「ライター」という単語の前に、どこにも所属しないで仕事をしていることを伝えるために「フリー」をつけることが多かった。だから、私も「フリーライター」と名乗っていたのだけど、今は、ただ「ライター」になっていて、その技能だけの表現になっている。
そして、まだうまく説明ができないけれど、その仕事の内容や、意味合いや目指すところも、実はかなり違っているように思う。
さらに、この前、ラジオを聞いていたら、大人がなりたい仕事のランキング1位に、「ライター」が選ばれたようで、その理由などを考え尽くす能力はないものの、少なくとも自分が「フリーライター」だった頃は、そんな見られ方をされたことは一度もなかったから、意外と思う前に、不思議な気持ちになる。(でも、たぶん、同じ「ライター」でも違うんだろうな、という予感はする)。
昔も「ライター」にはすぐになれた。その頃は、名刺を作って、肩書きを「ライター」にすればよかった。今も、こうしてnoteに投稿して、プロフィールに「ライター」と加えれば、「ライター」とは言えるかもしれない。
ただ、それでも、それで「書くことが仕事です」と自信を持って言えるかどうかは、それこそ自信がない。
これからのこと
これからは、どうすれば、今の時代に「仕事としてライターをしています」と言えるようになるために、少しずつ試行錯誤を続けようと思います。
という、まだぼんやりとしている話ですが、毎日、書くことは前提として、再び、「書くことが仕事になる」のを目指したいと思います。
書きたいことを書く。
書きたいように書く。
その上で、書くことを仕事にする。
これは、考えたら、とても青臭いことでもあるのだけど、その昔、ライターとして、どこにも所属しないで書いていこうと思った時に、誰にも言わずに、ひっそりと決意したことだった。
それが、その後、どれだけ実現したかといえば、それほど自信がないものの、それでも、今回、再び、試みたいと思います。
(他にも、「書くこと」について、書いています。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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